第128章 包囲の朝、理性と怒号の狭間で
翌朝。
谷を震わせるような太鼓の音が鳴り響き、ディオ伯爵は一万の兵を率いて姿を現した。
まるで自らの権勢を誇示するかのように、谷口に陣を構え、歓呼を浴びながら進軍する。
だが、あれほど急いでいたはずの男が――その場で野営を始めた。
午後になってようやく、彼は兵士と民衆の視線を背に城の前へと現れる。距離、約二百メートル。
「フィルードの小悪党め! 貴様、よくも私の配下を襲ったな!
今すぐ城門を開けて降伏しろ! さもなくば、この大軍が貴様の領を破った暁には――虐殺をもって報いようぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、フィルードの口元が僅かに歪む。
(……愚かだな。自ら“虐殺”などと宣言するとは。自分の兵に“死ぬまで戦え”と命じているのと同じだ。)
怒りに支配された老将ほど、扱いやすい存在はない。
フィルードはわざと笑みを浮かべ、声を張り上げた。
「ほう、さすがは老いぼれ盗賊! 恩知らずの腐った裏切り者め。
お前の祖先は代々王国に忠義を尽くしてきたというのに、貴様のような者が利益のため獣人どもに尻尾を振るとはな!
――お前の兵たちはまだ、主が裏切り者だとも知らぬのだろう?」
挑発の言葉が風に乗って響く。
ディオの顔は真っ赤に染まり、まるで尻尾を踏まれた猫のように怒号を返した。
「たわけが! どこに証拠がある!?
我が領は王国に搾取され続けてきたのだ! 食糧を奪われ、税を上げられ、民が飢えた!
私は、やむを得ず立ち上がったにすぎん! 貴様のような小僧に何がわかる!
捕らえ次第、その舌を引き裂いてくれるわ!」
(ほう……口だけはよく回る。だがその言葉、すべて味方への言い訳だな。)
フィルードは静かに笑みを消し、低く言い返した。
「哀れな芝居だな、ディオ。
獣人の襲撃――あの時の手口は、人間の戦術そのものだった。
お前が裏で糸を引いていたことなど、誰の目にも明らかだ。
金を失い、誇りを傷つけられ、復讐を望むのも理解できる。だが――」
フィルードの瞳が鋭く光る。
「俺を殺したいなら、正々堂々とやってこい。
首を差し出す趣味はない。俺がやったのは“目には目を”――それだけだ。
次にお前が寝首をかかれるのは、明日かもしれん。
商隊も、騎士領も、貴様が築いた全てを、ひとつずつ潰してやる。」
「ふん、言ってろ!」
ディオは顔を歪め、怒りを押し殺した声で叫んだ。
「まずはこの攻撃を耐えてみせろ、小僧!」
そう吐き捨てると、馬首を返し、軍勢の中へと消えた。
今回は、以前の獣人戦とは違う。
敵は人間、しかも長年戦場を渡り歩いた老将。戦術も経験も桁が違う。
だからこそ――油断は一切できなかった。
フィルードは即座に監視塔に兵を登らせ、峡谷の両側から敵の動きを見張らせる。
やがて敵陣から多くの兵が出て、木を伐り始めた。
その動きは一見、ただの野営準備に見える。だが、油断はできない。
夜。敵陣は灯火で照らされ、昼のように明るい。
(夜襲を恐れているな……。それでいい。恐怖は疲労と同義だ。)
しかし、伐採の音は止まらなかった。
明らかに、攻城兵器の材料を集めている。
(……やはり、来るか。)
我慢の限界に達したフィルードは、即座に命を下す。
「チェリル、外に出ろ。伐採隊を襲撃しろ。夜通しだ。」
そして、闇夜に火花が散る。
谷の外では、短い悲鳴と剣戟の音が夜明けまで続いた。
翌日。敵はなおも黙々と攻城車を作り続けていた。
午後になり、ついにその全貌が姿を現す。四台の巨大な攻城車。
両側に盾を構えた兵たちが、亀のように密集して前進してくる。
フィルードはその光景を見て、わずかに息を吐いた。
(……悪くない。やっと“まともな敵”が来たということか。)
距離を測り、静かに命じる。
「投石機、用意。目標――攻城車群。」
城壁の上で、兵たちが息を呑む。
合図とともに、弦が解かれ、轟音が谷に響いた。
数十ポンドの石が空を切り裂き、敵陣へと落下する。
人馬が吹き飛び、地に叩きつけられた。
だが、命中した攻城車はわずか数台。
「射角を修正しろ! 奴らの足を止めろ!」
的確な指示が飛び交い、次々と石弾が放たれる。
やがて、峡谷から百メートルの地点で四台の攻城車は完全に停止した。
遠くで見ていたディオ伯爵は、歯ぎしりをしながら呻く。
「くそっ、あの小僧……どこからこんな兵器を……!」
隣の腹心が沈んだ声で応じた。
「恐ろしい男です、伯爵様。平民から短期間でここまで――。
やはり、長期戦を覚悟すべきかと。」
「……そうだな。」
ディオは深く息を吐き、悔しげに命じた。
「退け。無駄死にはさせん。夜になったら将たちを集めろ。次の策を練る。」
敵軍の退却を見届けながら、フィルードの表情は重いままだった。
(勝ったのではない。――“次”が始まるだけだ。)
彼が恐れていたのは、攻城戦ではない。
もしディオが矛先を変え、自分の支配下にある獣人部族や人族の開拓地を狙えば――防ぎようがない。
獣人たちはまだいい。移住させれば済む。
だが、人間の開拓領は違う。畑を持ち、土地に根を張り始めた者たちだ。
彼らを避難させることは、未来を一度失わせるのと同じ。
フィルードは静かに決断する。
「チェリル。今夜すぐに出ろ。
我々の配下の部族と開拓領に伝えろ――移動できる者は避難させろ。
人族の開拓領では、兵に耕作地の規模を確認させろ。
もし損害が出たら、我々が補償する。」
傍らのケビンが逡巡の表情を浮かべる。
「団長様……優しすぎやしませんか? 金はともかく、 先例を作れば、彼らは次も要求を……。」
フィルードは軽く笑い、首を振った。
「優しさじゃない、ケビン。
“支配”ってのは、恐怖だけで続くものじゃない。
信頼という名の枷を与えてこそ、人は逃げられなくなる。」
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