第127章 夜襲男爵領
フィルードは一通り斬りつけ、敵陣に混乱の種を撒いた。
――もう十分だ。この状況は短時間では収まらない。
彼はそう判断すると、刃についた血を軽く振り払う。悲鳴が夜気を裂き、熟睡していた兵士たちが次々と飛び起きた。
目を覚ます者が増えるほどに、状況は一層混沌としていく。混乱は伝染し、秩序は音を立てて崩れた。
フィルードは低く息を吸い込み、喉の奥から奇妙な叫び声を発した。
「――フッフーハッヘー!」
すぐそばにいたリーダーたちも、それに続くように声を上げる。
それは暗夜小隊にだけ伝えられた撤退の合図だった。作戦中、誰かがその信号を発した瞬間、全員は即座に離脱に移る――それが彼らの鉄則だ。
熟練した傭兵たちは、音もなく出入口の方へと退いていく。
だが、残念ながら部屋自体が狭すぎた。
貴族は兵の寝所など気にしない。この一室に百人以上が押し込められていた。
――馬鹿げた設計だ。逃げ場を自ら潰している。
その頃、外ではブルースが兵を率いて城門へ突入していた。
彼らは周到に動き、時間をかけて味方の脱出を援護する。
ほどなくして、フィルードの一団は内城に入り込み、各所で火を放ち破壊工作を開始した。
男爵もすぐに異変に気づいたが、顔を出した瞬間、敵軍がすでに城内に侵入していることを悟り――迷わず再び隠れた。
城はいくつもの隔壁に分かれ、扉はどれも厚く堅牢だった。
フィルードは周囲を見回し、家畜小屋の梁を外すと命じた。
「柱を担げ。扉を叩き割る。」
木材を運ぶ兵士たちは、一斉に掛け声を上げて動く。
だが、内側からは何か重いもので突っ張られているようだった。
――こちらの魔力を試すには丁度いい。
フィルードは歯を食いしばり、隣にいたライドンへ振り向いた。
「後で俺たち二人で一気に叩く。……中の奴ら、どこまで耐えられるか見せてもらおう。」
兵士たちは木材を担いで後退し、距離を取る。
助走をつけた突撃――その瞬間、扉が目前に迫った。
フィルードとライドンの両掌に光が宿り、魔力が炸裂する。
「――ドカン!」
轟音とともに、扉に大きな亀裂が走った。内側から悲鳴が上がる。
手応えを感じたフィルードは、間髪入れず再度魔力を注ぎ込む。
それでも、扉は倒れない。
ライドンが魔力を使い果たすまで叩き続け、ようやく扉が軋んだ。
中から驚きと恐怖の声が漏れ聞こえる。
フィルードは冷たい声で叫んだ。
「武器を捨てろ! 投降すれば、貴族としての体面は守ってやる。だが――逆らえば、家族の安全は保証しない。」
直後、女の悲鳴と男の怒声が交錯した。
フィルードは眉をひそめ、短く手を振る。
「……突入。全員、制圧しろ。」
女たちは隅に縮こまり、男たちは剣を構えて抵抗を試みる。
盾兵たちは正面からぶつかり、乱戦となった。
フィルードとライドンもすぐに続く。
一人の男が盾兵の脚を狙って剣を振り下ろした瞬間、フィルードは体をひねり、回し蹴りを叩き込んだ。
男は悲鳴を上げて転倒し、他の者たちも次々に縛り上げられる。
フィルードは無言のまま、縛られた男たちを見下ろした。
「……お前たちの中で、誰がマフリック男爵だ?」
問いかけた途端、一人の中年男が唾を吐きつけてきた。
フィルードはすっと身を引き、軽く避ける。
「沼地に棲む下等生物め。奇襲しかできぬ腰抜けか。正々堂々と戦う勇気もないのか!」
その口ぶりで、誰が当主か確信した。
「なるほど。貴族らしい口だけは立派だな。」
次の瞬間、フィルードは踏み込み、蹴り飛ばす。
男爵は床に叩きつけられ、フィルードはその襟をつかんで拳を振り下ろした。
「どこでも痰を吐くな! 育ちが悪いぞ!」
殴るたびに、手のひらがじんじんと痛んだ。
やがて男爵の顔は豚のように腫れ上がる。
――この程度で済むのは、まだ温情だ。
手首を軽く回しながら、冷ややかに言った。
「さて、もう一度聞こう。どれがマフリック男爵だ? 答えぬなら……お前たちの女どもに聞いて回るぞ。」
その言葉に、空気が一瞬凍る。
男爵は呻き声を上げるだけで、隣の若者たちは青ざめていた。
だが、ついに一人の青年が立ち上がり、叫んだ。
「父上を殴るとは何事だ! 彼は男爵だぞ! 貴族を虐げた報いを受けるのはお前だ、どこにも居場所など――!」
「黙れ。」
フィルードはライドンに目だけで合図した。
「……代わりに叩け。死なない程度にな。」
ライドンは大笑いし、斧を投げ捨て、拳を構える。
分厚い腕が唸りを上げ、若者の頬を打つたび、鈍い音が響いた。
――暴力の理屈は単純だ。理解できるまで叩く。それでいい。
フィルードは視線を少年へ向けた。
震え上がるその顔に、一切の表情を見せない。
腫れ上がった男爵へ冷ややかに言う。
「マフリック男爵、なぜもっと早く名乗らなかった? 名乗れば殴らずに済んだのに。……まあいい。もう手遅れだ。」
「外に出て命じろ。兵たちに武器を捨てさせろ。
――お前の命は、今のところ俺が握っている。」
男爵は呻きながら頷き、数人の兵士に監視されて外へ出た。
松明の光がともり、敵兵たちは領主の姿を見てすぐに武器を落とす。
フィルードはそれを確認すると、短く命じた。
「略奪を許可する。持てるだけ持っていけ。」
兵たちは歓声を上げ、物資を運び出していく。
マフリック領の倉庫からは金貨六百枚、食料二十万ポンドが回収され、さらに四十万ポンド分は領民へ分配された。
馬車十数台、馬二十頭、牛二十頭、羊百頭――すべて戦利品である。
そして、農奴八百人以上、捕虜百五十人以上が鎖につながれ、行列を作った。
彼らは羊の群れのように追い立てられ、夜道を進む。
歩みの遅い者は鞭で打たれ、それでも動けぬ者は――容赦なく処刑された。
――残酷だが、必要な速度だ。ディオ伯爵の援軍が来る前に戻らねばならない。
恐怖に駆られた一行は、わずか二日足らずで領地へ帰還した。
その間、追撃の援軍は常に一日分の距離を保ち続けていた。
帰還後、フィルードは農奴たちを選別した。
兵を家に持つ家庭を探し、従順な者とそうでない者を分ける。
ほとんどの農奴は、無気力で、痩せ細り、衣服もぼろぼろだった。
――搾取の末路。マフリックも典型的な貴族か。
彼は冷静に記録を確認し、命じた。
「有能な者は盆地へ送れ。開墾に使う。
捕虜は全員、労役だ。……利用できる限り、使い潰せ。」
その声には一片の感情もなかった。
戦果は冷たく数字として積み上がっていく――
それが、フィルードの戦争の形だった。




