第126章 報復の刃は静かに振り下ろされる
少し間を置いて、フィルードはさらに続けた。
「――あの貴族連合軍は約千人。我々の傭兵団は八百。そして、他勢力から合流した者を含めれば、総数は三千近くになる。
後ほど、君たちは領地の農奴の中から百から二百人を選び出し、全体の兵力を三千に整える。
これで我々は、名目上ではあるが“国境治安軍団”の要件を満たすことになる。」
声は静かだったが、その響きには鉄のような確信があった。
「今後、余計な干渉がなければ――この三千が、我が軍団の骨格だ。君たちは彼らを徹底的に鍛え上げろ。」
一拍置いて、フィルードの視線が鋭く光る。
「人間族の開拓領地については、正規兵を使うな。代わりに、奴隷の中から徴集できる者を選べ。
訓練して軍として成長した後、資金を得た段階で“通常の奴隷”と彼らを交換すればいい。
――人員を削ることなく、同時に士気も保てる。」
理想論ではない。完全に合理と戦略で構築された采配だった。
「それと、獣人たちについてだ。ローセイたちに彼らを引き入れ、徹底的に馴染ませろ。
決して差別してはならん。食事の待遇も削るな。
ここでの生活が、部族での暮らしよりも遥かに豊かで安全だと“感じさせる”ことが重要だ。」
フィルードの声は冷たくも柔らかかった。
――支配は、恐怖よりも利益によって完成する。
その法則を、彼は知り尽くしている。
そして、声の調子を低く落とす。
「……それからだ。今回の襲撃――このままでは終わらせん。」
空気が張り詰めた。
彼はチェリルに視線を向け、顎で合図する。
「今、君の“暗夜小隊”は何人いる?」
チェリルは即答した。
「開拓領地の奴隷戦士から五十二人を選抜しました。
……仕方ありません。ほとんどが栄養失調で、戦闘に耐えられる者は限られます。
古参兵を合わせれば、暗夜小隊の総数は百四十を超えました。」
「上出来だ。」
フィルードは短く頷いた。その眼には満足の色が宿る。
「準備を整えろ。明日、私が自ら君たちを率いる。
標的は――ディオ子爵領だ。あの老いぼれに、我々の“存在”を思い知らせてやる。」
チェリルは笑みを浮かべ、胸に拳を当てて敬礼した。
その笑顔には血の匂いが混じっている。
夜明け前、まだ薄闇が地を覆っている頃。
フィルードはライドン、ブルース、ユリアン、マイク、そして暗夜小隊を連れ、静かに城壁を越えた。
峡谷を抜けるまでは、誰一人、言葉を発しない。
夜が完全に明けるよりも先に、彼らは山脈の方角へと進軍していた。
フィルードの腰には、詳細な地図が収められていた。
商人時代の伝手を通じ、この世界でもほぼ唯一の“正確な地図”を手に入れている。
「……狙うは、ハロルド子爵領。」
前回の山岳戦で得た経験と地形情報――そのすべてが、彼の脳裏で戦略として再構成されていた。
ハロルド領は山脈に隣接し、麓にはいくつもの村落と町が点在している。
攻撃にも撤退にも有利。
まさに奇襲には理想的な標的だ。
「無理に馬を使う必要はない。足跡を残すだけだ。」
馬の代わりに十頭の準成獣・黒牛を駄獣として用い、食糧や装備を積ませる。
特に“大黒”は、全身に荷物を巻き付けられ、ほとんど巨大な移動倉庫のようだった。
――約四五〇キロの積載。だが、大黒は一度も呻き声を上げない。
「……いい子だ。」
フィルードは思わず呟いた。
一行は山脈沿いを三日間進み、ついにハロルド領の外縁に到達した。
その間、誰もが息を潜め、焚き火さえ上げなかった。
やがて、フィルードは地図を折りたたみ、前方を見据えた。
「標的は――“ニト”の町。山に近く、資源が豊富で防備が甘い。」
計画は明快だった。
まず男爵領を奇襲で突破し、町を制圧・略奪。
完全な“報復”であると同時に、彼らに“恐怖”という名の印を刻む。
深夜三時。世界が最も眠りに沈む時刻。
暗夜小隊は、音を立てずに城壁へと接近した。
衛兵たちは長槍にもたれてうたた寝をしている。
兵士たちは梯子を静かに立てかけ、古参兵が一人、また一人と登っていく。
フィルードは弓を構え、鷹のような目で上方を見張っていた。
――予定外の事態が起これば、即座に排除する。
呼吸すら制御するような緊張の中、登攀兵の数が三十を超えたところで、ようやく行動開始の合図を送った。
ライドンとブルースが前に出る。
二人は太い麻縄を手に、眠っている歩哨の背後に忍び寄る。
音もなく縄が放たれ、首を締め上げる。
古参兵が口を塞ぎ、もがく音もすぐに消えた。
数分後、城壁上の歩哨は誰一人、声を発する者がいなかった。
完全な沈黙――完璧な暗殺だった。
「……よし。次は門だ。」
フィルードは低く呟き、部下に合図を送った。
だが、その瞬間。
「……誰だ? そこにいるのは!」
尿意に襲われた一人の衛兵が、偶然にも暗闇の中で人影を見つけたのだ。
――最悪のタイミング。
フィルードの反応は早かった。
矢が放たれ、音もなく衛兵の喉を貫く。
だが遅かった。隣の兵が火光に照らされた仲間の死体を見て、咄嗟に叫ぶ。
「敵襲だ! 敵襲――!」
その叫びが終わる前に、ライドンが飛び出し、両刃の斧を振り下ろした。
刃が閃き、声は途中で途切れた。だが、警報の種は既に撒かれていた。
「……まずい、組織される前に叩く!」
フィルードは鋭く命じる。
「ブルース、十人を率いて城門を開けろ!
ライドン、ユリアン、マイクは私と来い――敵兵舎を制圧する!」
彼は弓を背に納め、片手剣を抜き放った。
その刃が火光を反射する。
敵兵舎では、まだほとんどの兵が状況を理解できず、武器を探して右往左往していた。
フィルードはためらわず突進する。
入口の歩哨が目を見開く間もなく、喉を切り裂かれた。
さらに一歩、突き出した剣が胸を貫き、血が飛び散る。
同時にライドンの斧が別の兵を叩き伏せた。
二人は息を合わせ、木製の扉を蹴破った。
「突入!」
内部では数人の敵兵が状況を掴めず立ちすくんでいた。
しかし次の瞬間には、剣と斧が閃き、血が舞った。
――混乱は最も強者に味方する。
フィルードの脳裏に浮かんだのは冷徹な理論。
混乱の中では、命令を出せる者こそが唯一の“秩序”だ。
その秩序を、今夜この城に刻み込むのは――俺だ。
PS:「勝敗は読者の数で決まる」――そんな言葉はないが、応援が多いほど戦略は広がる。
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次は、さらに深い策を見せよう。




