第123章 奇襲の連鎖
フィルードは、火花を散らすような勢いで五、六分ほど走り続け、ようやく息を整えた。
――そろそろか。奴らの追撃も限界に近い。
彼は先ほど、青い服の女が隊列の先頭にいなかったことに気づいていた。つまり、いまここで待ち伏せすれば、敵の先頭部隊に奇襲をかけられる可能性が高い。
周囲を見渡すと、岩がゴロゴロと転がる河原。
「……悪くない。」
地形を利用するのは得意だ。フィルードは大黒を岩陰に隠し、自らもしゃがみこんで待ち伏せの体勢を取った。
しかし今回は、予想に反して女が自ら最前列に立っていた。怒りのあまり冷静さを失ったのだろう。
髪は乱れ、かつての高貴さは見る影もなく、まるで怨念に取り憑かれた修羅のような顔をしていた。
――感情で動く女か。好都合だ。
フィルードは背中から特製の弓を取り出し、矢じりを徹甲仕様に付け替えた。
彼女との距離、およそ百メートル。魔力を鼓動のように高め、一気に放つ。
「――ッ!」
冷たい音を立て、矢は一直線に飛んだ。
突如襲いかかる殺気に、女は驚きのあまり跳ね上がった。だが反応が一瞬遅れた。
矢はそのまま、彼女の胸を正確に射抜く。
悲鳴が山に響いた。
フィルードは確認すらせず、大黒に跨がって即座に撤退した。
背後から聞こえるのは、人の鼓膜を裂くような悲鳴。
――効いたな。狙い通りだ。
だが、殺傷力は限定的だと彼は理解していた。
彼女の防具は極薄だが、信じられないほどの弾性を持つ特殊素材。
矢は貫通しなかった。しかし、屈辱と衝撃は致命的なほど深く残る。
結果として、彼女は足を滑らせ、崖から転落。
追っ手たちは騒然となり、ようやく山の下で彼女を発見した。
女は呆然と前方を見つめ、現実を受け入れられずにいた。
長い沈黙ののち、怒りに震えながら叫ぶ。
「――あああっ! 絶対にあいつを殺すッ!! 追え!!」
その頃、フィルードはすでに次の奇襲ポイントを見つけていた。
再び緩んだ巨岩のある斜面。
「……二度目の岩落とし。少々芸がないが、効果はある。」
陰険な笑みを浮かべ、岩の背後に身を潜める。
だが、今回は敵も学習していた。
追っ手は扇状に広がり、互いに距離を取っている。
――ふむ、連携を意識したか。少しは成長したな。
フィルードは標的を女に定めた。
彼女が姿を現すと同時に、大黒と共に巨岩を押し落とす。
轟音が山を震わせ、土煙が舞い上がる。
「お嬢様! お気をつけください!」
兵士の叫び。女は反射的に地面を転がって回避した。
再び、致命傷を免れた。
――まったく、運だけは一流だな。
舌打ちしつつも、フィルードは悠然と大黒を走らせ、再び山の奥へと姿を消す。
夕暮れ。逃走と奇襲を繰り返した末、ようやく休憩を取る。
「食事を済ませたら夜行で進むぞ。」
静かだが断固とした声で、フィルードは指示を出す。
「雨さえ降れば、奴らは完全に足跡を失う。」
マイクが眉をひそめた。
「ですが団長、この山は夜間は危険です。視界の悪い兵も――」
「分かっている。だが進む。見える者を前に、見えぬ者を導け。
危険よりも、停滞のほうが死を招く。」
全員が黙り込み、やがて頷いた。
その瞳には信頼と恐れが混じっていた。
*
夜。フィルードは再び大黒を駆り、敵陣の偵察に出た。
敵の野営地は開けた河原。兵は三百。装備も整っている。
「厄介だが、脆い部分も多い。」
彼は草の中を這い、見張りを三人矢で沈めた。
そして円を描くように撤退。
その後も不定期に奇襲を繰り返し、敵陣に安眠を許さなかった。
――焦らせ、疲弊させ、判断を狂わせる。それが最も効率的な戦い方だ。
深夜過ぎ。
この一晩で十五人を仕留めた。全て長距離からの狙撃。
敵の女隊長はついに全見張りを撤収させた。
「ふん、ようやく諦めたか。」
フィルードは弓を下ろし、満足げに笑った。
二日が過ぎた。
泥と汗にまみれた彼の顔は、どこか獣のような鋭さを帯びていた。
一方で、女の方は見る影もなかった。
高貴な気配は完全に失われ、顔には疲労と苛立ちが刻まれている。
――そろそろ限界か。崩れるのは時間の問題だ。
彼女の周囲では、兵が息を切らし、馬は痩せ、崩れていた。
「携帯食はあと三日分……か。馬はもう限界だ。」
部下の報告に、女は唇を噛みしめた。
「……あの黒い牛さえなければ、八度は殺している。」
その声は怒りよりも、敗北の苦味に近かった。




