第121章 鋼の矢が告げるもの
鉄の鎧に当たって「パン」という乾いた音が響いた。しかし防御は破られなかった。
フィルードはすぐに姿勢を低くし、素早く岩陰へと駆け込み、大黒に飛び乗るとそのまま悠然と離脱した。
「……ふん、狙いは悪くない。だが、甘いな。」
前方を走っていた兵士たちはようやく異変に気づき、慌てて手持ちの武器を投げつける。後方の弓兵たちも弦を鳴らし、矢が空を裂いた。
フィルードは牛の背に積んでいた盾を取り上げ、風を切る音の中、次々と飛来する矢を受け止めた。
「ピンポン」と甲高い音が連続し、盾の表面は瞬く間に矢の山となる。
大黒の尻にも数本の矢が突き立った。
だが、この頼もしい相棒は一声も上げない。
フィルードは身を屈め、そっとその頭を撫でながら確認する。
「……よし、生きてるな。やはりお前は俺が選んだ相棒だ。」
安堵の息が漏れる。
しばらく走った後、フィルードは安全な場所に入ってから矢を一本ずつ取り除き始めた。
大黒の体を覆う革鎧を脱がせ、傷の有無を確かめながら作業を進める。
近距離で放たれた徹甲矢を浴びながらも、一つとして貫通していない。
やはり中級見習い魔獣の皮は伊達ではない。ご先祖の加護というやつか――。
胸部と後臀部に中級素材を使った鎧が功を奏したらしい。
側面の二重牛革部分でさえ、致命傷には至っていなかった。
「……よくやったな、大黒。お前が無事ならそれでいい。」
矢を抜き終えると再び鎧を着せ、彼は静かに息を吐いた。
もう同じ手は通じない。敵のリーダーを狙撃するのは諦め、次の目標を一般兵士に切り替える。
フィルードは大黒の背から降りることなく、なだらかな斜面を見つけて待ち構えた。
やがて追撃してきた兵たちが姿を現す。
距離は百メートル。
フィルードは淡々と弓を引いた。
矢が連続して放たれ、三人の兵士がほぼ同時に地面へ崩れ落ちる。
残る者たちは悲鳴を上げて伏せた。
「……やはり、恐怖は伝播するな。」
フィルードは微笑み、声を張り上げた。
「諸君、追うのはやめた方がいい! たとえ俺を捕まえたとしても、功績はお前たちのものにはならん。だが、命は――お前たち自身のものだ。
リーダーは元気か? 俺の矢は避けにくかっただろう!」
挑発するような声に、遠方から新たな声が返る。
新しい指揮官が盾を掲げて叫んだ。
「調子に乗るな! 我々は何千、何万といる! お前が一人殺したところで何も変わらん。
フィルード、投降しろ! 爵位ある者に無体はせぬと上から命が下っている! 逃げ場はないぞ!」
フィルードは鼻で笑った。
「……お前たちのようなガラクタが俺を捕まえる? 笑わせるな。」
その言葉と同時に、彼は気づく。
――風が裂ける音。
反射的に体を捻った。
次の瞬間、鋭い痛みが背に走る。
「……っ!」
敵の矢は、首を狙っていた。
わずかにずらした結果、背中に命中したのだ。
全身を覆うドワーフ製鉄甲と魔獣皮の裏地が貫かれる――あり得ない威力。
「……なるほど。少なくとも高等見習いクラスか。入階超凡者――か。」
痛みに耐えながら、冷静に分析する。
背中から血が滲む感触。それでも、彼は即座に大黒の背に這い上がり、低く命じた。
「走れ、大黒。全力で――!」
「ヒュー」という風切り音を残し、大黒が地を蹴った。砕石が飛び散り、枝葉が裂ける。
だが、すぐに二射目。今度はフィルードではなく、大黒を狙っていた。
「くっ、読まれてるか!」
咄嗟に盾を構え、魔力を流し込む。
次の瞬間、「ドスン」という鈍い音とともに、矢が盾に深々と突き刺さる。
衝撃でフィルードは体を浮かされそうになった。
草むらの奥から、背の高い女性が飛び出した。
遠ざかるフィルードを睨みつけ、銀の歯を噛み締める。
「この泥棒め……ずる賢い奴! 負傷している、追えっ!」
すぐ傍らに小隊長がスライディングして現れた。
「二番目のお嬢様、残りは我々にお任せを!」
彼らは声を上げ、追撃を開始した。
女性は返事をせず、奇妙な形の弓を構え、静かに後を追う。
一方その頃――。
フィルードは息を荒げながらも冷静だった。
大黒の蹄から火花が散る。
二つの山を越えるまで走り続けた後、ようやく背中の矢に触れた。
「……血は出てない。致命傷じゃないな。」
指先で矢を探る。矢尻が肉に浅く刺さっているだけだと判断し、歯を食いしばって引き抜く。
激痛が走ったが、耐える。
矢尻には返しがない。徹甲矢特有の円錐形だ。
抜いた矢を観察すると、先端数センチにだけ血が付着していた。
「やはりな。命中角度が浅かった。」
そして矢全体を眺め、微かに漂う魔力の気配に気づく。
「……魔器の矢か。なるほど、これなら貫通も納得だ。」
首筋や関節を狙われていたら、防げなかったかもしれない。
背筋に冷たい感覚が走る。
「この忌々しいディオ伯爵……。俺を死地に追い込むつもりか。いいだろう、この借り、必ず返す。」
一時間ほど走り続け、ようやくマイクたちの隊に追いついた。
ライドンがすぐに声を上げる。
「団長! 背中の矢……怪我をされたのですか!? 内臓に――!」
他の騎兵たちも慌てふためく。
フィルードは片手を上げ、静かに制した。
「大丈夫だ。かすり傷だ。それより――やはり入階超凡者がいた。最低でも高等見習い、間違いない。」
マイクは苦い顔をした。
「団長……だから言ったんです、危険を冒すなと! あなたがいなければブラックスウォーター傭兵団は――」
「わかっている。」
フィルードは彼の言葉を遮るように言った。
「だが、事は単純ではない。俺が逃げたら、君たちは捕まる。金で取り戻せると思うか? 彼らにとって我々は、今や最大の脅威だ。
理由は――領地に“食糧”があるからだ。王国が反攻を仕掛ける時、必ず我々の地を基点にする。
俺が敵でも、同じ判断をするだろう。」
その声は低く、しかし揺るがない。
戦略家としての冷徹な分析と、仲間を思う確固たる信念が混ざり合っていた。




