第120章 策士、山に籠る
フィルードは、もし今回の危機を切り抜けられたなら、もはや曖昧な中立などやめ、完全に王国陣営に傾くつもりでいた。
――生き延びた者だけが、次の手を打てる。勝負の盤上に残ること、それが最も重要だ。
しばらくして、マイクたちがようやく山頂に辿り着いた。
息を切らせたマイクが叫ぶ。「団長、大黒に乗って早く逃げてください! この山の地形なら、彼らが追いつくのはほぼ不可能です。私たちは別の逃げ道を探します。もし逃げきれなくても、団長が外から救援を呼べば――」
言葉の端には、絶望と覚悟が滲んでいた。
隣でライドンも頷き、険しい顔で言う。「そうです、団長。あなたが捕まれば、我々全員が終わりです。」
フィルードは二人の忠告を聞き、わずかに笑った。冷徹な光が、その瞳の奥に宿る。
「まだそこまで追い詰められちゃいない。だが……もし万一そうなった時は、私が逃げる。君たちを見捨てるつもりはない。――ただし、逃げる前に、あのディオ伯爵に一矢報いてやる。」
口調は穏やかだったが、そこに宿る怒気は凍てつくほど鋭かった。
「君たちはあの山稜に沿って移動しろ。私はここで奴らの先頭を叩く。」
マイクの顔色が一変する。「団長、お願いです! 彼らを刺激しないでください! 超凡者が混じっていたら――」
ライドンもすぐに続いた。「ダービー城には、上位超凡者が何人もいます。いくら団長でも、正面からは……!」
「分かっている。」
フィルードは短く答えたが、その声には確固たる自信があった。
彼はかつて峡谷の宝物庫で、超凡者の戦闘記録をすべて精査していた。確かに彼らは圧倒的だ。だが――“射程が短い”という致命的な欠点がある。距離を取れば恐れるに足らぬ。
(この地形なら、私が狙撃手。奴らは的だ。)
彼は特製の盾を思い出した。シャルドゥンに作らせたそれは、内層に硬木、中層に魔獣の皮革、外層に鉄板を重ねた三層構造。徹甲矢でも貫けないことを、自ら試射して確認済みだった。
(これがある限り、私は“狩る側”だ。)
「心配するな。奴らが私を捕まえるのは容易じゃない。早く行け!」
短く、しかし鋭い命令。
マイクたちは一瞬ためらったが、フィルードが目を剥くと誰も逆らえなかった。
「……了解しました、団長!」
全員が一礼し、山稜の陰へと走り去っていく。
静寂が戻る。
冷たい風が吹き抜ける中、フィルードは草むらに身を伏せた。大黒を反対側に隠し、呼吸を整える。
――狩りの始まりだ。
三十分後。
先頭の敵騎兵が慎重に登ってくる。距離、二百メートル。まだ早い。
フィルードは息を潜め、魔力を矢に通した。
(射つなら、一撃で頭を潰す。)
百メートルまで近づいた瞬間、全身甲の男が視界に入る。指揮官だ。
指先がわずかに動く――そして、矢が放たれた。
「……!」
矢は風を裂き、鋼の鎖帷子の隙間を貫通した。リーダーは声もなく膝をつき、喉を押さえたまま倒れる。
「敵だ! 隊長がやられた!」
叫び声が山に響き渡る。
(騒げば騒ぐほど、貴様らの位置が露わになる。)
フィルードはすぐに姿勢を変え、別の草むらに潜り込んだ。徹甲弓を軟弓に持ち替え、矢を番える。
十分後、さらに別の敵部隊が現れる。
「なぜ追わん! クートはどうした!」
「……隊長は射殺されました!」
その場の空気が凍った。
「くそ……! 弓兵、構えろ! 奴が頭を出したら撃ち尽くせ!」
怒声が響く。
フィルードは冷静に観察した。
(命令系統はまだ生きている。だが焦り始めたな。恐怖は伝染する。)
再び体を伏せ、山頂へと静かに移動する。
「……次は、もっと高所から狙う。」
大黒を呼び、再び鞍に跨がった。
数分後、岩と茂みが入り混じる絶好の狙撃地点を発見。大黒を岩陰に隠し、自らは木の根元に身を沈めた。
敵は慎重になり、進軍速度が鈍っている。先頭部隊と後方の距離は百メートル以上。
(学習したか。だが――遅すぎる。)
矢を一本、指に挟む。魔力を通し、狙いを定める。
「ヒュッ」
矢は唸りを上げ、百二十メートル先のリーダーへ飛んだ。
命中を確認する暇もなく、フィルードは草むらで転がりながら移動する。
直後、彼のいた場所に無数の矢が降り注いだ。
「……ちっ、反応が早い。」
その瞬間、一本の矢が背中を掠めた。衝撃が全身を走る。
だが、フィルードの唇はわずかに歪んだ。
「……いい判断だ。だが、次は私の番だ。」
(狩る側に回った瞬間、勝負は決まる。)




