第117章 忠と策の秤
魔蓮の植え付け地を訪れると、芽はすでに顔を出していた。
だが、まだ小さい。成長は焦っても意味がない。
水を少し注ぎ、隣に置いた集魔珠の横に新たな魔石を一つ加えた。
魔力の循環を促すには、この程度の投資が最も効率的だ。
――順調だな。時間さえあれば、これも軍事資源に化ける。
村に戻ると、黒牛の群れが相変わらず荒れ狂っていた。
奴隷たちは近づくことすらできない。
この牛たちはただの家畜――それも子牛ばかりだ。
だが、どうにも異様な“敵意”を感じる。
……恨み?いや、そんな知能はないはずだ。
本能だな。俺の背にある星魔草の匂いを察知したか。
魔力を流し、鞭を一閃。
鋭い音が空気を裂き、黒牛たちの暴れは次第に静まった。
領地にいる牛は三十五頭。十五が準成年、残りは子牛。
その中で、一頭だけが妙に目を引いた。
他の牛よりも毛並みが黒く、そして、僅かに異質な霊的波を放っていた。
――面白い。こいつだな。
魔力でその牛を拘束し、太いロープで縛りつける。
重い蹄が地を鳴らすたび、縄が軋む。
だが、こいつを従えられれば、将来的には不入流魔獣――
俺の“象徴”になり得る。
暗河への通路へ引きずるように進むが、牛はまるで岩のように動かない。
力任せに引いても一歩も動かず、息が上がった。
鼻輪を付ければ簡単だが……。
“力”で従わせた者は、強くなれば必ず牙を剥く。
そのリスクを俺は嫌う。
ふと、星魔草の存在を思い出す。
背負い籠から一枚の葉を取り出し、差し出した瞬間――
黒牛の瞳が見開かれ、葉に釘付けになった。
まるで、渇望に飢えた中毒者だ。
「……なるほど、こういうことか」
葉を食べた途端、黒牛の態度が一変した。
もはや制御する必要もなく、俺の後を素直に付いてくる。
数歩進むごとに葉を一枚与えるたび、距離が縮まっていく。
こうして、俺は“忠実な従者”を得た。
谷の領地に戻ると、木造小屋の隣に牛舎を建てた。
これはただの飼育ではない。未来の“戦力育成”だ。
――戦うのは兵士だけじゃない。魔物もまた、武器になる。
半月後。四十八の小部族の首領たちが領地を訪れた。
それぞれ三十名の戦士を連れて。
その多くはジャッカルマンで、豚頭族は少数。
俺は彼らに告げた――“獣人討伐のための連合軍結成”だと。
もちろん、表向きの理由に過ぎない。
報酬はエール(麦酒)百ポンド。
それで充分だ。彼らは単純だが、酬いには敏感だ。
結果、九つの部族――すべて豚頭族が辞退した。
残る三十九の部族が応じ、総勢千人を超える戦士が集まる見込みだ。
地図を広げ、各部族の居住地を確認する。
以前滅ぼした中規模部族の跡地――そこには広大な草地と森林が残っている。
使える場所はいくらでもある。
拒めば……そのまま消滅するだけだ。
領地から半日圏内に彼らを配置する。
いずれ、盆地全体を掌握する布陣になるだろう。
――駒は多いほどいい。動かせる限り動かす。
遊牧民たちは住処の変更に抵抗がなかった。
木札を再発行し、全員を甲等部族へ昇格させる。
ただの恩恵ではない。忠誠を確保するための“印”だ。
次に三部族を一組としてグループ化。
ローセイを指揮役に、一人のジャッカルマンを調整官として配属。
各組には六〜七百人を収容できる中型木造砦の建設を命じた。
場所は山上。三方向から囲むように配置。
放牧、採集、狩猟――すべてを兼ねる拠点になる。
板材は十分にある。
構造は単純だ。地面を炙り、板を組み合わせ、丸太で補強。
内部に土を詰め、温水をかければ、凍結して固定される。
――冬の冷気さえ、俺の味方だ。
この方法なら投石機でもなければ落とせない。
春になればさらに補強し、砦は完成する。
鹵獲した石斧も配分し、建設支援に二千名の豚頭族奴隷を派遣。
百名の兵で二つの隊を護送。
さらに、まだ糧食を受け取っていない二十六部族に
一万ポンドのドングリ粉を支給――合計二十六万ポンドが動いた。
物資を動かすだけで勢力は形になる。
獣人の群れを見送った翌日、今度は人間の開拓者たちが現れた。
一日圏内の全領地に通知しておいたのだ。
――予想を超える数だ。
集まったのは四十二家。
モニーク城での同盟会を生き延びた者たち。
これほど残っていたとは、少しだけ感心する。
彼らと護衛を合わせ、数百名規模。
峡谷の外に巨大なテントを張り、そこで会合を開いた。
王国発行の「開拓子爵証」と「北境軍団長証」を掲げ、
俺は穏やかに口を開く。
「諸君。今日から、我々は同僚だ。
王国は今、こちらに構っている余裕がない。
カーマック伯国も同様だ。
だからこそ、俺たちは独力でこの北境を守る。
――『北境治安軍団』を設立する。」
人々の視線が一斉に集まる。
「目的は単純だ。この地の平和を守ること。
連合木造砦を築けば、少数でも持ちこたえられる。
どこかが攻撃されれば、俺が――治安団が、支援に入る。」
言葉を区切り、ゆっくりと笑った。
「ここを中心にする。だが、強制はしない。
参加するかどうかは、君たちの自由意思に任せる。
五分やる。左が“参加”、右が“拒否”だ。選べ。」
沈黙が走り、やがてざわめきがテントを満たした。
その様子を見ながら、フィルードはただ静かに思う。
――さて。
この中で、本当に“賭け”に乗る者は何人いる?




