第116章 火種を拾う者たち
「フィルード団長、あなたの最近の活躍は目覚ましいものがあります。これほど多くの獣人の攻撃を防ぎきれたことは、誰も予想していませんでした。
私はアナトスという騎士です。今回、王国からの褒賞をお伝えするために参りました!」
そう言うと、アナトスはそばにいた兵士たちから木箱を受け取り、中から三枚の羊皮紙を慎重に取り出した。
その動作はまるで、古代の秘宝でも扱うかのようにゆっくりで、見ているだけで場の空気が張り詰めていく。
「今日からフィルード団長は、王国北域東部の治安団長となります。理論上、あなたはここにおける貴族以外の全ての兵力を動員することができ、王国はあなたに三千人の編成を許可します。
毎月モニーク城から軍資金と糧食が送られ、一般兵士の一日の待遇は黒麦二ポンド、月給は銀貨四枚です。士官の待遇はこれに応じて増加します。」
──三千人か。
数字としては悪くない。だが“理論上”という一言が気になる。
王国がこの地方で、まだどれほど実際に兵を動かせると思っているのか。
次にアナトスは二枚目を広げた。
「これは王国があなたに授与する貴族の証明です。あなたの功績に基づき、王国はあなたを直接男爵に叙爵いたします。
あなたの現在の開拓領に加え、あなたの故郷であるルビンもあなたの封地となり……フィルード男爵、おめでとうございます。」
羊皮紙の表面に押された王国印章の赤が、夕陽のように鮮やかだった。
だが、俺の心は微動だにしなかった。
ディオ伯爵の支配が残る限り、この爵位はただの“紙切れ”に過ぎない。現実的な力ではなく、装飾の勲章だ。
そして三枚目の羊皮紙。
「それだけでなく、王国はあなたに開拓子爵という名誉爵位も授与しました。現在のところ、その役割はダービー城の範囲内にある全ての開拓領に命令を下すことができるという一つだけです。
彼らが納める税金も全てあなたが徴収でき、さらに見習い男爵を三名叙任することもできます。」
アナトスの口調には誇りが滲んでいたが、俺にとってそれは“餌の匂い”にしか感じられなかった。
王国は今、兵も金も足りず、北域の支配をつなぎとめるために必死なのだ。
三枚の羊皮紙に込められた意味は、すなわち──“俺の兵を王国のために動かせ”ということ。
俺は王国がこれほどまでに気前よく振る舞う理由を考えた。
爵位は虚飾。実利は、三千人の兵を動かす権限と、彼らを養う軍資金。
一ヶ月で五百金貨、一年で六千金貨。食糧に換算すれば二百万ポンド以上。
輸送費を含めれば王国は実質、一年に一万二千金貨を支払う計算になる。
──それだけの出費を王国が許すほど、俺は“必要”とされている。
だがそれは同時に、俺を囲い込む鎖でもある。
「……善意とは思えんな。」
心の中でそう呟く。
この提案は、俺の傭兵団を“王国直属”に組み込むための取引だ。
つまり、王国が北部で動かせる最後の駒が俺というわけだ。
少しの沈黙のあと、俺は決断した。
膝をつき、叙爵を受け入れる。
形式上の忠誠ほど、扱いやすい盾はない。
王都へ赴くこともなく、ここで“形式”だけを果たす。それで十分だ。
「フィルード男爵、おめでとうございます。……開拓子爵の爵位は特定のものです。平たく言えば、子爵の名称を持つ男爵の役職でございます。」
アナトスはそう付け加え、重みのある布袋を差し出した。
「これは三千金貨です。王国からの軍資金と糧食の代金です。侯爵様は、あなたの領地に食糧が不足していないことをご存知ですので、金貨として渡されました。」
──現金支給、か。
実に王国らしい。最も効率的で、最も誠意が薄い。
金貨の袋を受け取り、俺は短く礼を述べた。
アナトスは長居せず、儀礼的な挨拶を交わすと去っていった。
城壁の上に立ち、彼の去る背を見送る。
かつては手の届かぬ夢だった“貴族”の称号が、今は手を伸ばせば届く距離にある。
──だが、それを掴んだ瞬間に、俺は自由を失う。
王国の崩壊はすでに始まっている。ウェイン侯爵の敗北を境に、瓦解は一気に加速した。
今の俺に必要なのは忠誠ではなく、選択肢だ。
拒まない。
約束しない。
責任を取らない。
これが、俺の“遊び人の三原則”だ。
数日後、今度はディオ伯爵の使者が現れた。
まさか、あの冷血な貴族が自ら接触してくるとは。
谷間の入り口にある木造の応接小屋で、俺はその使者オードリッチと対面した。
「尊敬するフィルード団長、こんにちは。私はカーマック伯国の使者、オードリッチと申します。今回はディオ陛下の依頼を受け、あなたを伯国に招待するために参りました。」
彼もまた任命書を取り出した。
だがそこに記されたのは、子爵叙任とヴァル子爵領の封地だけ。
軍権も金もない。誠意の欠片すら見えない。
──交渉のつもりか、それとも見せ札か。
どちらにせよ、受け取って損はない。
俺は静かに任命書を受け取り、丁寧に対応した。
使者を見送った後、俺は冬籠もりの準備を始めた。
だが、平穏は長く続かなかった。
ダービー城に潜ませていた密偵が、凶報をもたらす。
──ドヴァ城のシウス伯爵が、王国からの離脱を宣言。
手にしていた松の実が、指の間から滑り落ちた。
まさか……もう崩壊が、ここまで来ているとは。
俺はすぐに決断した。
ローセイに命じて下の部族へ徴集令を出させ、マイクには近隣の開拓領への伝令を任せた。
二十日後、会盟を開く。
それまでに、俺の掌にある全ての“力”を把握しておく必要がある。
手配を終えると、俺は暗河の通路を抜け、谷間の盆地へ向かった。
村の周辺では、すでに広大な農地が拓かれていた。
来春には穀物を播く予定だ。……悪くない。人も土地も、思ったより早く形になってきている。
そして俺は聚魔珠のある石室へ。
中では変異星魔草が青々と繁っていた。
以前食い荒らされた部分もすべて再生し、葉は厚く力強い。
俺は小刀で一籠分を刈り取った。
──まだこの世界は俺の思い通りに動いている。
問題は、どのタイミングで“崩壊”の波を利用するか、だ。




