第115章 炎の裏で動く影
チェリルは素早く頷き、兵士たちを率いて立ち去った。
夜が更け、静寂が支配する砦の中で、フィルードはわずかに息を吐いた。
──さて、これで「次の駒」が動く頃合いか。
翌日の夜、伝令兵が再びやって来た。
「フィルード団長、あなたの要求は我が子爵様が承諾いたしました。子爵様は王都にも多少の伝手があり、正式な王国騎士の身分を手配することが可能です。」
フィルードは、疲れたふりをして椅子の背にもたれた。
「申し訳ないが、君を失望させるかもしれない。──昨晩、私は部下と非常に不仲になった。以前の提案を撤回したい。今は何もいらない。
君は私に六千金貨を支払い、部下を労うだけでいい。そうしなければ、私は部隊をまったく指揮できない。」
軽くため息をつく。芝居の一環だが、完璧に演じ切る。
「長期間の籠城で、兵士たちの神経は限界だ。積極的な攻撃任務をこなすには、巨額の金貨を約束しないと、彼らはもう動かない。君も知っているだろう、我々は貴族の軍ではなく、ただの傭兵団だ。」
伝令兵の眉がわずかに動いた。驚きと疑いが混ざった反応。
「それは……私には決められません。それに、我々の領主様はそれほどの金貨を持ち合わせていません。最大でも一部しか……」
「それでは無理だ。」フィルードは冷淡に言い切った。
「この額を下回れば、私は指揮を放棄する。最低でも一人につき六枚の金貨を出陣手当として支払う。それが条件だ。帰って相談してくれ。子爵様が同意しなければ、私にもどうすることもできない。」
伝令兵は歯を食いしばって去り、数時間後、布袋を抱えて戻ってきた。
「フィルード団長、我が子爵様の手元にはもう四千金貨しか残っていません。それを全て持ってくるようにと。」
「……四千か。」
フィルードは、わざと眉をひそめる。
「この値段は私が望んでいるのではなく、兵が望んでいる。私はもう、彼らを完全に掌握できていない。もし外の情勢が安定していれば、もう逃げ出していたかもしれない。」
伝令兵の顔に焦りが浮かぶ。
「で、ですが……!」
彼はポケットから十個の魔石を取り出し、震える手で差し出した。
「これらの魔石で相殺してください! 我が子爵領は今、非常に危機的な状況にあります。どうか、すぐに行動を!」
──よし、釣れた。
フィルードは内心で冷笑し、外面では沈黙を貫いた。
伝令の身なり。仕草。金貨の渡し方。すべてが不自然。
子爵本人の命ではない。これは……裏がある。
彼はゆっくりと立ち上がり、隣にいたユリアンとブルースに目配せした。
二人は即座に動き、伝令兵を取り押さえる。
「さて──話してもらおうか。」
フィルードは穏やかな笑みを浮かべ、声を低くした。
「なぜハロルド子爵を騙った? お前はどこの手の者だ?」
「な、何を言っているのか理解できない! 子爵様を怒らせた結果をよく考えろ!」
「ほう?」フィルードの瞳が細められる。
「ならば教えてくれ。昨晩、なぜ獣人の野営地に入った?」
沈黙。
「もし私が尾行させていなければ──今頃、私は獣人の墓の下だ。」
伝令兵の顔が一瞬で青ざめ、瞳の奥に怯えが走る。
「で、でたらめを言うな! 証拠があるのか? お前はただ子爵様の金貨を騙し取りたいだけだろう!」
フィルードはため息をつき、ユリアンに顎で合図した。
「我々の“おもちゃ”で、この頑固者の筋をほぐしてやれ。殺さなければ構わん。」
ユリアンの顔が愉悦で歪む。
「団長様、見ていてください。」
数分後、部屋の奥から豚を屠殺するような悲鳴が響いた。
十数分後、血まみれのユリアンが出てきて報告する。
「全部吐きました。団長様のご推測通り、ハロルド子爵は裏切っていました。それに──ディオ伯爵もです。二人は王国から離脱し、『カーマック伯国』という新国家を建てたそうです。名目は中立陣営。ですが、獣人との繋がりがあるようです。完全な支配には至っていませんが、我々以外にも二つの子爵領がまだ抵抗しています。」
「……そうか。」
フィルードは目を閉じ、低く呟いた。
全てが繋がった。獣人軍の装備の違和感。攻城戦の戦術の精度。
その背後に人間の影があったというわけだ。
だが今は──動くべき時ではない。
「王国がどう動くか、見ものだな。」
獣人たちはその後、まるで潮が引くように静まり返った。
だがフィルードは油断しなかった。
彼は城壁と山脈に兵を分散配置し、監視を徹底させた。
六日後、チェリルたちが帰還した。
「団長様、ディオ伯爵が正式に離脱を宣言しました! ハロルド子爵も追随しています。外はもう大混乱です!」
「知っている。」フィルードは静かに頷いた。
「それだけではない。ディオ伯爵は獣人と共謀している。──これから、この地は血の匂いが絶えないだろう。」
チェリルは目を見開き、息を呑んだ。
「……了解しました。」
やがて季節は冬に変わった。
フィルードにとって、この世界で迎える初めての冬。
思っていたよりも、ずっと寒い。
雪が降り始め、獣人たちは撤兵。
二ヶ月近く続いた攻防戦は、ようやく終わりを告げた。
敵に三千の損害。自軍の被害はごくわずか。
戦果は十分だった。
彼は獣人の助っ人たちにも一人あたり一万ポンドのドングリ粉を贈り、冬越えを助けた。
盆地では二千ムーの開墾が完了し、魔力貯蔵点も八つ開いた。
この冬が終わる頃には、体内の魔力循環が完成する。
偵察兵の報告によれば、モニーク城方面でも獣人は撤退。
寒さはもはや、人も獣も耐えられないレベルだ。
「……まるで前世の北海道を超えてるな。」
火鉢のそばで、フィルードは自嘲するように呟いた。
そこへケビンが駆け込んできた。
「団長様、ウェイン侯爵様の使者が到着し、お目通りを願いたいとのことです!」
「そうか。」
フィルードは立ち上がり、マントを羽織った。
「行こう。次の戦場は、言葉の駆け引きだ。」
谷の入り口に建てられた木造の応接室。
鎧をまとった精鋭たちが整列していた。
彼らの視線を受けながら、フィルードは静かに微笑んだ。




