第103章 黒き軍勢、動く
フィルードは盆地の暗河出口に、目印として特製の黒い牛革をいくつか置いた。
あの少年たちには「この牛革を見つけたらすぐ戻って報告しろ」と指示してある。
数日後か、あるいは数ヶ月後か──いずれ必ずこの道が開く日が来る。
外の情勢が不安定になりつつある今、彼は領地内に残る獣人奴隷の処分を本格的に検討し始めていた。
(ここで情に流される指導者は多い。だが俺にとって“民”とは戦力の一形態にすぎない。)
峡谷の開発が進んだことで、急ぐ必要はなくなった。
豚頭族のうち、前回の戦闘に参加した者とその家族──計130名に満たない者たちだけを残し、残りの400余名はすべて売却する。
目的は単純、食糧の節約だ。
伐採以外に役立たぬ労働力に、余計な穀物を与える余裕などない。
これで領地の人口は二千に満たない水準に抑えられる。
購入した食糧は二年持つ。
その間に、あの峡谷を農地へと開拓し、民を養う基盤を築く──そう、俺ならできる。
(勝ち筋を読む。準備を整える。
戦いも経営も、結局は“先に手を打った者”が勝つ。)
戦争が終われば、傭兵たちの家族を呼び寄せ、彼らの不安を根こそぎ潰す。
報酬と安心を与え、忠誠心を買う。
それは金よりも確実な“絆”という名の鎖だ。
結果、俺の軍団はより強く、より速く動ける集団へと進化する。
この間、ダービー城の子爵たち数名が雇用を打診してきたが──もちろん、全て断った。
(誰かの下につく気などない。俺が上に立つ側だ。)
十数日後、王国から政令が下る。
「各地の徴集団はモニーク城へ集結せよ」と。
木造の砦の上に立ち、眼下に広がる約九百名の兵を見下ろす。
胸の奥に、静かだが確かな昂ぶりが湧いた。
──これが、俺が築き上げた“軍”だ。
この世界で俺が生き残るための、最強の礎。
正式傭兵は四百名を超え、見習いは五百に満たない。
(次に帰る頃には、奴らの大半が一人前になっているだろう。)
装備も、もはや並の貴族軍に劣らない。
三百名の鉄甲兵が最前列に立ち、無言の威圧を放つ。
この部隊は三度以上の実戦を生き延びた精鋭──傭兵団の誇りであり、俺の牙だ。
残りの兵も、鉄板付きの皮鎧や蛮牛革の鎧を纏っている。
粗末な二重皮鎧など、もはや誰も使わない。
物資は乏しいが、鹵獲した獣人の装備だけは潤沢だからだ。
今回の遠征では、抽選で五十名の正規傭兵を残し、領地防衛を奴隷兵に任せる。
ジャッカルマンの戦士は一人も連れていかない。
人間中心の軍で彼らを混ぜれば、余計な摩擦を生むだけだ。
(感情より結果。差別より効率。
戦場では“最も合理的な冷酷さ”こそが正義だ。)
領地には三百余の壮年奴隷、六十名の豚頭族戦士、四十名のジャッカルマン戦士、五十名の正規傭兵──
総兵力は四百五十。
奴隷といえど訓練を積み、既に戦に耐える肉体を得ている。
あと数度の実戦を経れば、“戦士”として完成するだろう。
出征する八百余名の兵は三つの方陣を組み、二十台の補給馬車を中央に護衛する。
その周囲を二十騎の騎兵が旋回し、全軍から重圧のような威圧感が漂っていた。
フィルードとライドンは馬を並べ、車列の外側を護る。
周囲には弓兵と刀盾兵が控え、軍の機動部隊としての役割を果たす。
(見ろ──完璧な布陣だ。
これが俺の“力”だ。どの貴族が見ても舌を巻くだろう。)
出発して間もなく、彼らと交易関係を持つ小部族と遭遇した。
その首領、狼玄は、通り過ぎる大軍を見て毛を逆立てたが、やがて木札を掲げて駆け寄ってくる。
木札を受け取ると、それが上質な硬木製で、番号は──甲級一号。
最初に貿易を結んだ信頼の証だ。
発行は十枚に満たない。
つまり、彼らは俺にとって最重要の“協力者”だ。
札の裏には刻まれている。
「ブラックスウォーター傭兵団傘下獣人小部族。
この部族が攻撃を受けた場合、傭兵団の報復が下る。」
乙・丙・丁級の札もあるが、甲級こそが俺の本命。
彼らが敵に襲われれば、必ず援護に向かう。
(それは慈悲ではない。計算だ。
信頼という名の支配、恐怖という名の秩序──それが俺のやり方だ。)
フィルードは札を狼玄に返し、肩を叩く。
「狼玄兄弟、遠慮するな。これからこの地は騒がしくなる。
部族の戦士を総出で周囲を探れ。もし人間が来たら、この札を見せろ。
それでも許さぬなら──家畜を全て差し出せ。
相手が多いなら、絶対に抵抗するな。俺が救う。」
狼玄は深く頭を下げた。
「大首領、ご安心を。近くの者たちは皆、我らがあなた方の傘下だと知っています。」
「近くの者だけの話じゃない。」
フィルードは淡々と告げる。
「これから、もっと多くの人間の兵が来る。覚えておけ。
それと──近く人族の少年が来る。
彼の指示に従って山上に避難所を築け。
食糧も家畜も、全てそこに備蓄しておけ。
緊急時はそこが盾になる。」
狼玄は一瞬驚いたが、すぐに理解した。
それが自分たちを守る策であることを。
彼は喜んで頷き、すぐに部族へ戻っていった。
──そして、軍勢は再び動き出す。
丸一日歩き、ついに自領を離れる。
途端にフィルードの表情から柔らかさが消えた。
木札を持たぬ部族に出会えば、即座に排除。
鉄甲兵の突撃を前に、彼らは一瞬で瓦解した。
数人の“勇敢な者”を殺せば、残りは地に伏して動かない。




