嫁両親への挨拶
逃亡準備としてカネは重要だ。俺はお小遣い制だからあまりお金を持っていない。それでも、自分の通帳に18万円くらいはある。移動や数日のホテル代なんかはこれでなんとかなるだろう。問題はどこに行くか、だ。俺も妻も地元を離れなかったので両親も比較的近くに住んでいる。だから、実家に行っても秒でバレる。縁もゆかりもないところじゃないとすぐに見つかってしまうだろう。遠くというと……北海道か? 俺は寒がりなので、冬は辛そうだ。じゃあ、南の沖縄……? 飛行機はお金がかかりそうだ。陸でつながった最南端ということで行き先は鹿児島にしようと思う。普段乗っている車は置いていこう。ナンバーでバレるかもしれないし、うちには車が1台しかないからなくなると妻が困るだろう。俺は公共の交通機関で鹿児島まで行く方法を調べた。その後、パソコンの検索履歴を削除した。
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俺達の付き合い方は少し変わっていたかもしれない。どこか「ごっこ」的だったというか……。テレビや情報誌なんかで今の話題の場所の情報を得てくるんだけど、「ここに行きたい」という感じじゃなくて、「今の若い人たちはここが人気らしいね」「俺達も行ってみますか」みたいな感じ。めちゃくちゃ若者なのだが、どこか心が枯れているのか、「ナウなヤングの行く場所」に憧れて行く年寄りみたいな立ち位置だった。あ、心の持ちようの話ね。
だから、遊園地みたいな定番のデートコースも行ったし、海が見える展望台の一番高いところまでのドライブデートもした。海辺の高いタワーの一番高いところの柵に2人の名前を書いた南京錠をロックするという若者に人気のスポットにも行った。夜中の12時にオープンして朝の5時には閉まる幻のラーメン屋にも行ったし、食べ放題のビュッフェが人気の温泉宿にも旅行に行った。
その時のお互いの口癖は「今の若者に人気だというーーー」とか「ナウなヤングに人気のーーー」とかだった。ガッツリ真正面から行かない分、普通に考えたらテレくさいようなイベントにも挑戦できた。誕生日には弾けている花火が刺さったケーキを出してくれる小ジャレたバーに行ったもした。
そんな付き合いが続いて俺達が付き合ってから1年が経った頃、結婚の話が持ち上がった。2人共30歳を前にして、彼女も周囲の結婚の雰囲気にのまれていた。何となく30歳までに結婚したら勝ち組みたいな雰囲気を感じていたのだ。
そして、彼女は直接的に言わないのだけれど、俺は彼女の雰囲気から忖度して30歳までに結婚しなければと思っていた。彼女に伝えて彼女の両親に挨拶に行きたいことを伝えた。
あ、彼女の家庭は彼女が小学生の頃に離婚をしたのだけど、彼女が中学生の頃に別の人と再婚したらしくて両親ともそろっている。そのお義父さんがコワモテで顔を見た瞬間、ヤバいと思った。昭和の頑固爺という佇まい。
一戸建ての彼女の実家に挨拶に行ったのだけど、和風の居間に通されて胡坐をかいて腕組みしているお義父さんを見た瞬間、内心3回くらい死んだ。彼女はかわいいし、嫌味が無くて朗らかで、いい人成分100パーセントなのに、結婚の挨拶をしに来たであろう相手がデブでメガネでチー牛なのだから。俺は1本3000円の高級羊羹の2本セットだけを武器にこのコワモテの昭和の頑固じじいと対峙しないといけない。コミュ力よわよわの俺には他に武器が無い。「はい、ゲームオーバーーー」と心の声が俺に試合終了を伝えて来ていた。
彼女によく似たお義母さんに促されながら、居間のローテーブルをはさんでお義父さんの真反対に座った時は無意識に正座だった。必死に彼女が会話のとっかかりを作ってくれようとしていたけど、俺の耳には何も届いていなかった。そして、お義父さんも一言も言わずに座っていた。俺は言葉が出ないどころか、顔を上げることすらできずローテーブルの木目を見ていた。
そのときテレビでは「アッコにおまかせ」が流れていた。もちろん、そのスキャンダルの情報も耳には届いていると思うけど、俺の心までは届いてない。
「風間くんと言ったかな……」「あの……っ!」
タイミング悪くお義父さんが何かを言おうとした瞬間に俺もしゃべり始めようとして被ってしまった。
「……」「……」
今度はお互いに相手に譲る格好で静かな時間が経過していく。静かなリビングで音がするのはテレビから流れて行く「アッコにおまかせ」のCMに入る時のジングル。
「今日は……」「本日は……」
しまった! また被ってしまったーーー。
「……」「……」
そして、再度沈黙タイム。デジャビュであってくれ。単なる気のせいだったらどんなにいいことか。俺もお義父さんも何も音を発せない。迂闊にしゃべり始めたらきっとヤられる。そんな張り詰めた空間。
彼女もお義母さんもその空気に飲まれて一歩も動けない。何も発することができない。三すくみの様に誰も動けなくなってしまった。
その沈黙を破ったのはお義父さんだった。テーブルの脇に置いてあったであろう一升瓶をローテーブルの上にドンと置いた。「お前では婿として不適である」一升瓶をテーブルの上にドンと置くことにはそんな意味があっただろうか。この地方の独特の意味であるのだろうか。いや、俺もこの地域の生まれだがそんなの聞いたことが無い。
色々なことが頭の中でぐるぐると回った。この時の俺の頭の中は1秒間に1000兆回の演算処理をするテラフロップスを超える処理がされていただろう。その処理は次のお義父さんの言葉まで続いた。
「まあ、飲むか」
それはヤクザがニヤリとした時の様なそんな一場面。石原裕次郎か渡哲也がニヤリとした時の様に、どう捉えていいのか分からない表情。
「私はね、こんな顔だから初対面だと絶対怖がられると思ってたんだ。その上、人見知りするし、口下手だから、挨拶なんて絶対向いてない。その上、由紀ちゃんとの親子関係はそんなに長くないから私が育てたというにはおこがましい。麻衣子さんと由紀ちゃんが良いっていうなら私の出る幕はないんだ」
お義父さんがさっきと打って変わって急にいっぱい喋り出した。ちなみに、「由紀ちゃん」は彼女の下の名前、麻衣子さんはお義母さんの名前だ。
「男同士はとりあえず飲めば分かる」
そう言ってお猪口というか、もう少し大きな茶碗みたいなのを2つ出してきてくれて、それに日本酒を注いでお義父さんと俺で飲んだ。
「失礼しました。ご挨拶が遅れまして……風間と申します。お嬢様……由紀さんとお付き合いさせていただいています」
酒が潤滑油になったのか、さっきまで音をさせたらヤられる雰囲気から一転、俺の口も動くようになった。
「もうーーー、2人ともしゃべらくなったから、しゃべりにくかったじゃないーーー」
彼女もさっきの「間」を冗談にしてくれて会話に参加してきた。
「そうですよ、それに武弘さんは由紀の立派なお義父さんですから!」
お義母さんも会話に入って来てくれた。多分、俺がこの家の中で酸素を吸い始めたのはここからだ。それまでは、呼吸をするのを忘れていたに違いない。
「はい、風間さんがおみやげ持ってきてくださったんですよ!」
このタイミングでお義母さんが俺の手土産の羊羹を切ってくれて出してくれた。テーブルの上には酒が注がれた茶碗が2つ。どう考えても、日本酒と羊羹が合うとは思えない。それでも、お義父さんは羊羹を食べて「うまい! 私は甘すぎるのは苦手なんだけど、これはいい! 上品だし、ちょうどいい甘さだ!」なんて嬉しそうな表情で食べてくれた。
「お父さんは甘いのが好きでしょ?」
「あ、そうだった……」
ご両親の会話は漫才の掛け合いみたいに面白くて無意識に俺も口元が緩んでいた。
「由紀ちゃんがいつも楽しそうにきみのことを話していたし、私も会いたいと思っていたんだ」
「もっと早くご挨拶に伺うべきでした……」
お義父さんは昭和の頑固じじいのたたずまいだけど、今時そんな人はほとんどいない。普通に話せて普通に良い人だった。よく考えたら、彼女のお父さんなのだ。良い人に決まっている。
こんな感じで順調に俺達は「試練」をクリアして行ったんだ。




