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決行日前日

 俺の逃亡決行日まであと1日。明日の朝決行だ。当日は朝6時に起きて、スーツを来て出張用のキャスターが付いたカバンを持って6時30分に家を出る。以前に東京に出張に行ったことがある。その時の時間に合わせたのだ。


「出張明日からだっけ?」

「そう」


「朝ごはん要らない? おにぎりくらいにぎろうか?」

「……いや」


 朝食は要らないことを既に妻には伝えてある。


 あの店長のナニを触った手でにぎったおにぎりなんて食べられない。考えただけで吐き気がする。そう、俺はここ数日一番困ったのは食事だった。妻が作ったものが食べられない。口に詰め込んでも喉の辺りにくるとえずいて中に入って行かない。俺の身体は食べ物として認識していないようだった。


「最近顔色があんまりよくないし、出張大丈夫?」


 妻が俺の顔を覗き込んできた。本当に心配している顔だ。……いや、そう見えるだけ。


 子どもも寝たし、俺達はリビングにいた。まだ寝るには早い。あまり早くベッドに行くと、妻も来てしまう。彼女が起きている時に同じベッドに入ることが苦痛になっていた。だから寝室に行くことはできない。2LDKの家で1部屋が娘の寝室となっている以上、消去法でリビングしかいる場所が無いのだ。


 妻はワインを飲んでいる。デザートワインという感じの少し甘いワイン。テレビを見ながら飲むのにいいらしい。もっとしっかりしたワインを飲むと合わせてなにか食べたくなり、太ってしまうと言っていた。


「出張誰かに代わってもらえなかったの?」

「……うん。今更他の人に頼むと迷惑かかるし」

「うーーーん」


 結婚して子どもができて、妻のお腹は一時は大きくなった。彼女の身体から考えたらはち切れる寸前くらいまで大きくなった。それでも、産後はみるみる小さくなっていき、今では以前と変わらない感じにまで戻っている様に見える。顔もかわいいままだ。目鼻立ちが整っているというのは素晴らしい。人間は本能的にバランスがいいものを好きなのだろう。妻の顔は本当にバランスがいい。各パーツも整っているのに、その配置もバランスが良いのだ。どこかの誰かがそれに「黄金比」なんて名前を付けたたが、数字にしたら「1:1.618」、「5:8」だったっけ。多分妻の顔写真に栓を引いて行ったら、各所にこの数字が見られるだろう。その上、彼女はよく笑う。笑顔が素晴らしい。もしかしたら、笑うとこの「黄金比」が増えるのかもしれない。益々彼女に惹かれるのだ。


 多くの場合、顔がいい美人は性格が悪い。特に小説においては単なる美人やかわいいヒロインは書きにくい。「きれい」とか「かわいい」とか特徴を書いてしまったらそれで終わりなのだ。それ以上書くことが無い。つまり、物語においては「かわいいけれど〇〇」の様に残念要素を盛り込まないと成立しない。


 ウルトラマンもカラータイマーがあり3分以内でないと地球で戦えないし、スーパーマンはクリプトナイトに弱い。そういった意味では妻は俺の小説には出せない。かわいい上によく笑う。そして俺のことを気遣ってくれる……様に見える。完璧な妻。……だった。そんな完璧な人間が現実にいるはずないのに。


 俺は「チー牛」……要するにオタクであり、太っているし、メガネのさえない男だ。収入だって特別いいわけじゃない。贅沢しなければ食べていける程度の中くらいの感じ。普通のサラリーマン。元々彼女とは釣り合ってなかった。それなのに、偶然再会して、タイミング良く結婚できた。ぼちぼち結婚する年齢だったからという理由だけかもしれない。ATMにするにはあまり太くない。腹の方が太いくらい。でも、贅沢しなければ食べていける。主婦として働かなくて食べていけるとでも思ったのかもしれない。


 自分はどこかの好きなヤツの子どもを身ごもって、俺から生活費を引き出して……。たしか、そんなのを「托卵」とかっていうんだっけ。野生でカッコウとかホトトギスとかが他の野鳥の巣に行って、その鳥の卵を巣の外に蹴り出して、自分の卵を産み落とす。鳥はそんなことに気付かずにその卵を育てて、雛に餌をやって……。そんな自然の残酷な行動は人間界でも存在していたということ。妻は俺をATM認定して、よその男との子どもを孕んでも俺と生活して子どもを産んで育てて……。俺はそんなこととは知らずに自分の子どもだと信じて疑わずに愛情を注いで、かわいがって、面倒を見て……。


 俺は本当にみじめだ。間違いであって欲しいと何度も思った。でも、ラブホテルから出てきた写真は見た。それも、1回や2回じゃなかった。録音の音声も聞いた。ダメだ、思い出したらまた吐き気と涙が出てきた。


「せめて今日は早く寝たら?」


 彼女手が俺の肩に触れた時、俺は反射的にビクッとしてしまった。


「あ、ごめん」

「いや……」


 彼女はすぐに謝ってくれたが、少し驚いているようだった。俺も色々を悟られるわけにはいかないから、すぐにうやむやにした。


 この日、俺は妻に隠れて睡眠導入剤を飲んで眠った。睡眠導入剤は睡眠薬より弱い効き目だけど、ドラッグストアで手に入るので医者の所に受診履歴が残らない。ここ数日はいよいよ寝られなくて隠れて睡眠導入剤を飲んでなんとか眠るようにしていたのだ。お陰で、妻とベッドを共にしたけど、余計なことを考えずに眠りに落ちることができた。


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