第93話 大魔法使いさまの話5
事ここに至って、いまさら投げだすつもりもなく、我は分解魔法の強度を高めた。比例するように〈肉〉が周囲の魔力を吸いとり、削られた体積を再構築する速度をあげてきたが、この大魔法使いさまを見くびるなというところだ。我の体を覆っていた魔法の障壁を維持する力も吸いとられ、いまのようなすがたになってしまったものの、もう一段、分解魔法の強度をあげて押し切った。
再構築が間にあわないほどの速度で、構成物を分解し、塵に帰したのよ。うん? それで始末がついたんじゃないのかって?
それがなぁ、……やられたよ。
〈肉〉に意思はなく策もない。けれども、分体とはいえ、アリには意思も策もあったらしい。たとえ、偽物であってもな。
分解しきった〈肉〉を塵として舞わせたあと、塵から再構築されることがないか、消耗しきった状態ではあったが、もう一度、周囲の魔力の流れを確認したところ、わずかな動きを捉えた。
寸前に生みだされたアリが笑っていたのは、後悔と諦念のせいではなかったらしい。あのとき、〈肉〉の壁に隠れて、べつにもう一体、分体が産み落とされていたのだ。
母体が、本能的に存在することだけをもとめているのは確かだ。それだけならば、我の分解魔法でけりもついていただろう。ところが、アリは〈肉〉の奴隷でありながら、逆に、母体に働きかけることもできたらしい。
母体の核となる部分を持ちだし、残りの大部分と分体を一体、囮として残し、すでに地下墓地を出て、帝都のどこかへ紛れてしまっていた。
消耗しきった我に、帝都内を追跡して母体を完全に分解するだけの力は残っていなかった。隠し部屋へ通じる扉を封じた魔法も効力を失い、兵士やキメラたちが押し寄せてくるなか、シッポをまいて逃げだすしかないとは。我にあるまじき屈辱だったぞ。
だがまあ、本来、とっくに地下墓地に埋葬されているべき身なのだ。これぐらいが妥当なところか。
ジュ、レナ、おまえたちが魔剣とともに我のもとを訪ねてきたときから予想はしていた。歴史の必然であり、時代の要請ともいうべきか。我らの時代は終わる。
そのように、伝言してもらわなければな。
……と、そこまで話して、大魔法使いさまは口をつぐんだ。ひと息つきながら、こちらの反応をうかがうようにする。
正直、大魔法使いさまの話は、わかるようでわからないところも多かった。伝言だとか、我らだとか、なんの話なのか。
しかし、それ以上、自分から話そうとしてくれず、俺は、仕方なく一番気になっていることを聞いてみた。
「いまは疲れているだけなんだろう? すぐに元気になるんだよな」
その質問に、すこし嬉しそうな様子で、さて、どうだろうな、と答えにならないことを言うと、大魔法使いさまは言葉を続けた。
「潔さというのは美徳でもないな。あきらめわるく、しぶとく足掻きつづける、そんな姿こそが人間らしい。アリのやつは、もともとそうした性格なのかもしれん。格好わるく憎めない男ではある。
ひるがえって、我はどうなのだろう。潔くありたいと思いながら、現実には生にしがみついてきた老害かもしれん。
アリの母体には手酷いダメージを与えてやった。しばらくは自由に動けまい。そのあいだに、帝国を、アリを止めるのだ」
「そんなの、ちゃちゃっと元気になって自分でやればいいだろう。なんで俺に言うんだ」
「かかか、師匠にたいして、ずいぶんな物言いじゃないか」
「レナはともかく、魔法も使えない俺が、いつのまにあんたの弟子になったんだ」
あきれ顔で軽口をたたき、本題を避けていたが、いつまでも続くものじゃない。大魔法使いさまは、ふっと笑ってみせると、いまの自分が本来あるべき姿だという。
「厳密にいえば、地下墓地の骨どもと同じであるべきだろうがな。
魔力なしには、もう体を保てない。英雄を打ち倒すものは時間だ。どんな英雄でも最後には負ける。露払いは終わりだ。昔々、大昔の友人との約束を……。まあ、よく守った方だろうて。人は言葉に縛られるが、みずから望むならば、それも悪くはない」
なにを言っているのかわからないし、わかりたくない。俺の言葉に、大魔法使いさまは、がらにもなく微笑んでみせた。
「我の出番は終わったということさ。不死といわれた神々ほど臆病な連中もなかっただろう。そんな燻んだ生き方はごめんなんだ。せっかく穴ぐらを抜け出したのだから。
やれやれ、まさか〈森の魔女〉と同じ場所で死ぬことになるとはな。せっかくだから、中庭へ連れていってもらおうか。もう一杯だけ、おいしい紅茶を飲みたいのう」
立ちあがることができない大魔法使いさまを背負い、中庭へと連れていった。
こじんまりとした城の中庭には色とりどりの花が咲き、芝生の中央に東屋が建てられている。円錐状の屋根のさきに立つ女神像らしきものが、槍を手にして日の光をあびて輝いていた。
なにもかも、ここへ来たときと変わりがない。季節がすこし進み、日の光がすこし陰ってきていることを除けば。
年老いた姿になっても、大魔法使いさまは大魔法使いさまだ。最後まで軽口を叩きっぱなしだった。俺の淹れた紅茶に文句をつけ、
「最後の一杯が最低の一杯になるとはな。もっと美味しい紅茶の淹れ方を勉強せんか」
と、それがこの時代、最後の大魔法使いの最期の言葉だった。落ちたカップが乾いた音を立て、大魔法使いさまは西陽を眺めながら、しずかに息をひきとった。
彼女の生涯が幸せなものであったことを祈ろう。いまさらだとしても。




