第91話 大魔法使いさまの話3
ねっとりとした腐臭が鼻をついた。
まともな生き物には耐えがたいような匂いがあたりに充満していた。屍肉あさりはおろか、ウジやネズミも裸足で逃げだすにちがいない。
地下墓地には乾いた場所が選ばれることが多く、その穴ぐらも、世間でいわれるほどは湿気もなく、死臭もたいしたことはなかった。にもかかわらず、母体の収められた階層に通じる扉をあけたとき、あふれだしたのは、とろりと密度のある酸鼻な匂いだ。
隠し部屋にいたる通路には死体が折り重なっていたが、それは地下墓地に納められたものではなく、その場で殺された者のようで、強制的な殉葬を思わせた。
実際には、母体を保護するために、地下墓地の奥へ運ばせたあと、それを知る者たちの口を封じたのであろうな。
隠し部屋のまえには、二人のアリ、いや、アリが二体ひかえていた。我からすれば児戯に過ぎなかったが、複数の魔術を使って妨害を図ってきよった。やつらにとって、母体とは、己を生みだしたものであり、己そのものでもある。また、群体として、それぞれの経験した出来事、学んだ知識、のこされた記憶、すべてを共有しているらしい。
我を西方の大魔法使いさまと知りながら向かってくる意志だけは見事なものだったな。すぐに楽にしてやったがね。
ああ、もちろん、母体の収められた階層に入ってからは我も普段のすがたに戻っていたぞ。まさか赤き竜のすがたをとるわけにもいかぬしな。変身魔法をつかいながら他の魔法をつかうのは難しいのだ。
そもそも、西方の地を離れれば離れるほど魔力がうすれてしまう。あまり余計な力を使いたくなかったというのが本音だ。眠れる人々の生命力をゴーレムの動力に使っていたと話したことがあるだろう。あれは、いくらかは本当のことさ。〈門〉に近い西方の地、魔女の森、古代の人間たちは、もともと多くの魔力を持っているからな。いまの時代、東方で、大量の魔力を行使することはできない。
……基本的には。
一部の場所はべつだ。いわゆる聖地であったり、聖遺物や呪物の保管場所であったり、あるいは呪われた地、たとえば地下墓地。聖と魔は、おなじものの表と裏だ。
地下墓地に入って元気になるなど、なんの冗談かと言いたくなる。ところが事実そうで、我も快調だったぞ。なんなら絶好調といってもよかった。積みあげられた古代の人々の死体は魔力の薪のようなもの。死霊魔術師の我とは相性もいい。それが、母体の収められた階層へ近づくにつれて、目にみえて薄れていった。
なつかしい感覚だったのう。
〈塵の王〉の屋敷がそうだった。周囲から、何者かが、魔力、あるいは生命力をすいとっているのがわかった。
むろん、ブガンさまが黄泉がえったわけではない。アリの本体ともいうべき母体が周囲の力をすいとっていたのだ。
無数の死体が安置された地下墓地の最下層で、醜く肥え太り、ひっそりと無様に存り続けようともがく肉の塊が、みずからの放つ、ねっとりとした腐臭に覆われて、窒息するように蠢いていた。
嫌悪
あたまに浮かんだのはそれだけだ。知ってのとおり、屍肉にも腐肉にも、たいがいのものには慣れ親しんでおる死霊魔術師をして、吐き気をもよおさせるような眺めだった。あの肉をもって、生きているなどと言うことは、この世界への冒涜であろう。
もちろん、我らとて、一皮むけばただの肉の塊にすぎない。死ねばただの死体。死なずとも、一皮むけばただの肉よ。
しかし、あれは、死ぬでなく、生きるでなく、ただ肉としてそこに在るだけ。魂や意思というもののない何か。
分体であるアリたちは思考し、意思もあり、感情もあるようにみえる。けれど、この肉を存在させておくためだけの偽物だ。不死を得たのではなく、不死に囚われている。それはまるで〈森の魔女〉のような〈巨人〉のような〈首のない夜会服の女〉のような。そして、〈塵の王〉のような。
アリたちの魔力の痕跡は、その〈肉〉のうちに途絶えていた。




