第75話 降伏勧告
ゴーレムに託された伝言は、思い出したくもない男の声だった。帝国の審問官、アリの声が言葉をつづける。
「この地を無事に通してもらえれば、帝国は、あなたの独立をこれまでどおりに認める用意があります。たとえ伝説の巨人殺しであっても、あなたでは我々には勝てない。
あなたを慕って集まっている人々を戦禍にまきこみたくなければ、王国に忠誠を誓われたように、帝国に忠誠を誓うことです。1日だけ待ちます。返事がなければ、明朝には戦端をひらくことになるでしょう」
「……気に食わないねぇ」
と、笑顔でつぶやく大魔法使いさまだが、その目は、まったく笑っていない。
「まさか、戦うつもりじゃ?」
「はは、我が領地には兵隊の一人もいないし、戦力と呼べるものはない。それに、帝国軍がここまで来たということは、途中の部族や王国の直轄地、それらすべてが降伏あるいは行軍を黙認したのだろう。ここは孤立しているのさ」
「じゃあ、早く逃げないと」
「は? 逃げる? なにを言っているのだ。まさかじゃあない、当然、戦うに決まっている。帝国の連中は、この数百年で、すっかり魔女の恐ろしさを忘れてしまったらしいね」
「しかし、いくら魔女でも一人では……」
「そうだね。戦争にはならない」
「どこか助けてくれる勢力は……」
「ないね。各地に王国領が残っちゃいるが、まとめ役がいない。もともとの島の住民も、騎士道精神旺盛な連中ってわけでもないしね。
あれだけの大軍をまえに、彼らは助けにこないさ。砦にこもって怯えているだけだろう。いまごろは降伏の手立てを考えているのではないかな。事後の受けがいいように」
「なら、もう戦う義理もないじゃないか。すでに王国は滅び、王国の残党も、島の住民も降伏するのなら」
「ふん、おまえも帝国の連中と同じだな。この大魔法使いさまが、王国やら帝国やら、わけのわからんものに忠誠を誓うとでも思ったか。
我が従うのは己のみ。暗黒神官の教えは、まだ生きているぞ。死んだ友人との誓いを破ることはない」
「死んだ友人だって? そんなものは……。死者との約束など……」
「クソ食らえか?」
にやりとしながら、大魔法使いさまが言葉をつづける。東からの風が、その長い髪を嬲るようにしていた。
「死者との約束などクソ食らえ。死者は死ぬまでが死者であり、死ねばただの死体。そう言いたいのかい?」
「だって、そうだろう」
「いいや、ちがうね。死者は死者だ。おまえだって、死者の言葉に縛られているだろう? それは不快なことかい?」
「……いや」
「ならいいじゃないか。視界を離れれば、己以外のすべては死者だ。だからこそ、死者との約束は大事なのだ。言葉はすべからく死んでいるのだから。言葉はすべて約束なのだから」
「ここを動く気はないと?」
「ない」
断固とした口調で応え、そのうえで表情を和らげると、ちらりとレナをみた。
「おまえたちは、すぐに出ていけ。言葉どおり、明朝までは攻めてくるまい。戦いを避けたいのは本音だろうからな」
「俺も、ここに……」
「その気持ちは嬉しいが、レナを巻きこむことになるぞ。それに、端的に言って、おまえたちがいては邪魔だ」
「……わかった。だが、王国の残党や島の部族に助けを求めにいきたい。せめて、それぐらいはさせてくれ」
「無駄だと思うがな。まあ、好きにすればいい。それよりも我に好意を示してくれるのであれば、ひとつ頼みがある」
大魔法使いさまの頼みは、人々を逃がすことだった。領内はもちろん、領外の街に暮らす人々、それに眠れる人々も。
領内にいたのは十数人程度で、そのほとんどはすでに立ち去っていた。大魔法使いさまが使い魔というべきカラスたちを使って、なかば追い立てるようにしたらしい。
領外の人々については、宿屋の主人にして街の世話役ともいうべきエルシーの協力で早期に脱出させることができた。むしろ、思ったよりも整然と去っていく人々の後ろ姿に、理不尽な腹立ちを覚えたものだった。
最後に、眠れる人々。
大魔法使いさま曰く、〈森の魔女〉に楢の木に変えられた古代の人々なのだとか。いつでも蘇らせることはできたらしいが、いまの時代に適応できるように、ゆめを見させていたという。まえに聞いた話と違うような気がしたが、ありゃウソだと軽く否定された。
眠れる人々は、おおむね百人いた。魔女の森の規模からいって少なすぎるのは、完全に木になってしまった者は救えなかったからだ。
彼らと長いつきあいになるとは、このときの自分には知る由もなかったのだが、それはそうとして、領地に残った大魔法使いさまのその後である。
俺とレナとが去ったあと、大魔法使いさまは、たった一人で帝国軍と対峙したが、その言葉どおり、まったく戦争にはならなかった。
大魔法使いさまが、一方的に帝国軍を蹂躙したのだ。
それは、歴史に残る鏖殺となり、西方の守護賢者、西方の赤き竜の名を、改めて人々の記憶に刻みこんだのだった。
足りなかったのは時間だけ。
もうすこしだけ早く戻れていたら、結果は違っていたのかもしれない。けれど、歴史にも、人生にも、もしもという結果はない。だれもが最善を目指し、最善にたどりつかない。それがこの世界なのだから。




