第70話 巨人の声
巨人の拳で粉砕されたはずの暗黒神官が、顔半分をむきだしの骸骨すがたで立っていた。かりかりと頬骨を掻きながらいう。
「魔女の呪いに、死霊魔術の影響なのだろう。半端な屍鬼に成りさがったらしい。魔力だけは無尽蔵にわいてくるが、これ以上、もとには戻りそうもない」
周囲をみまわし、ソフィアの手当てをしていたラキによびかけた。
「王女はだいじょうぶだ。死ぬようなことはない。それよりも巨人だ。森の魔女とおなじく、もはや門を守る役目を果たすことはできまい。あまりにながい年月が巨人を狂わせてしまったのだろう」
言いながら、グレゴが戦槌を振ると、周囲の霧が、すっと離れていった。
「楽にしてやってくれ。溶けたところなら魔剣も刺さるだろう」
うなずいて魔剣をかまえ、ラキが巨人の腕に魔剣の片割れを深々とつきさした。その瞬間、どろどろに溶けてしまっていた大地が震え、過去にはそうであったかもしれない肥沃な姿へと変わり、また、もとの不定形のものに戻った。……そして、叫び声が。
ながく尾をひく悲鳴のような声をあげたのは巨人だった。その肌が、やわらかく、人のそれのようになり、とぼしかった表情に、いまや人間そのものの感情をあらわしていた。周囲をみまわし、驚きをこめていう。
「おまえたちは何者だ? そしてわしは?」
言葉を、理性をとりもどしたらしい巨人の声が、奇妙な余韻をともなってあたりにひびいた。これには、さしもの暗黒神官も驚いた様子だったが、すぐに平静をとりもどしていう。
「貴方は守人であろう。 我々は、〈塵の王〉をくだし、〈森の魔女〉をくだしてここへきた。〈巨人〉をくだし、 あるいは〈門〉を閉じるために」
「〈塵の王〉とはなんだ。知らぬ、わしは知らぬ。〈森の魔女〉は、あやつはようやく死ねたのか。門を閉じるだと? おまえたちにできると思っているのか」
「貴方は、ながいあいだ門にあらがってきたのだろう? なぜ、身を挺してそのようなことをしてきたのだ」
「門は、恐れだ。変わることへの恐れが根源にある。誰しも、そうではないか。変化は、望ましい方向へも、望ましくない方向へも等しく働きかけるのだから。
わしは、一族の教えを破り、門を開いてしまった。恐れ知らずにも門をあけようという愚かな者たちから門を守るべき守人たるこのわしが。愚かなのは、わし自身だった」
だが、待て。まずは門だ。そう言うと、ゆっくりと立ちあがり、巨人はその背中を門にあずけた。ぐっと全身に緊張をみなぎらせたと思うと、じわじわと門が閉まりはじめる。それにつれて、ふきだしていた白い霧のようなものの勢いも弱まり、付近のとけた大地が固い岩盤へと姿をもどしていく。
ふうっと深い息をはいて、巨人が表情をやわらげた。なかば溶けおち、〈餓狼〉の片割れが刺さったままの腕をながめ、手当てをうけている王女をながめた。
「それは、わしがやったのか」
初めとおなじ悲しげな表情と、それに見合う悲しげな声だったが、怒りを隠さずに、そうだ、とグレゴが応じる。
「貴方の仕業だ。こうなったのも貴方のせいだ」
顔半分、肉のそげた骨だけのすがたをみせて言う。責めるでもなく、淡々と。
「そうか。言葉を口にしなくなって久しい。どれだけの時がたったのか、わしにはわからぬ」
巨人が、首をふって、〈餓狼〉に目をやった。
「この剣は、ふつうの剣ではないな。わしの体にしみこんだ霧の魔力を吸っておる。おかげで目を覚ますことができたようだ。
こうして目を覚ますことがなければ、いつか知らぬうちに門をひらいてしまっていたかもしれぬ。あるいは、いつか知らぬうちに意思なきものに成り下がっていたかもしれぬ。おまえたちには詫びねばならぬ。また感謝を示さねばならぬ。おまえたちの望みはなんだ?」




