第68話 拳の下
巨大な岩が飛んできたさきに目を凝らすと、遠くに人影がみえていた。
まだ遠く、比較するものもないからか、その大きさは実感できない。同行する仲間たちも、とまどったように岩と人影をみくらべていた。だれもが足を止めるなか、にゃんにゃんと黒猫が軽快なステップで先導する。
空も土も、どこか不定形で流動的な。ぐにゃぐにゃの地面が、しかし、踏みしめると一瞬だけ固まって、足をのけるとすぐにとろけてしまう。不安で、奇妙で、ふわふわとした感覚。
楽観動物であり軟体動物であるネコのリズミカルな足取りを追い、さきへ進むにつれて人影が大きくなってくる。
足もとの地面が固くなり、空に雲と太陽とがもどってきていた。草木の一本とて無いけれど、岩ばかりの風景が心地よい。視界いっぱいに門と巨人とが映る。
それらは思ったほど大きくはなかったが、みあげるほどの高さではあり、古い遺跡の一部、岩に刻まれた彫像のようにみえる。目を凝らし、耳を澄ますと、わずかな動きと音が感じられ、ぎぎ、ぎぎ、と扉が動いていた。
わずかに揺れるような動きだが、はっと息をのむほど張りつめたものだった。激しい力と力のぶつかりあいが危うい均衡を保っている。
そのせめぎあいは、門と巨人の周囲に影響をおよぼしているのだろう。ほんのすこしだけ開いた扉から目にみえない何かが流れだし、岩をとろかそうとする。だが、そのすきまを閉ざすように巨人が扉を押しこみ、流れを断つ。
わずかに入りこんだものは霧散し、大気にとけていった。
ぎぎぃ、ぎぎぃ、と、かすかに音がする。
門と巨人の無言の闘争にわってはいることができず、圧倒されていたところへ、王女がトコトコと足をすすめた。
「巨人さん、巨人さん、さあ、果たし合いをしましょう!」
さわやかに戦いを申し入れるのであった。それを、意外なほど常識人の暗黒神官 《グレゴ》が押しとどめる。
「ばかもの。本気で戦うつもりか。あいかわらず馬鹿正直なやつだ」
「王命は絶対なのです!」
「そんなものは犬にでも喰わせておけ。西の果てへ来たという事実さえあればいい。
〈塵の王〉を倒し、〈魔女〉を倒したのは確かなのだ。貴様のような無自覚な魔法使いにはわからぬかもしれんが、この〈門と巨人〉に手を出してはならん。人間がどうにかできるようなものではない。
かつては肥沃だった西の地が、異界じみたありさまとなったように、この世のありかたを変えてしまうかもしれんのだ」
「最初から止めるつもりだったのですね?」
「それは状況によりけりだ。自分の目で……」
言い終えることなく、言葉がとぎれた。ソフィアの眼前、グレゴが立っていた場所に巨大な拳が落ちていた。一瞬の間をおいて鮮血がほとばしり、王女に降りそそぐ。ねちゃりと持ちあがった拳の下には、つぶれて岩と同化したグレゴの死骸だ。
「……っ!」
言葉にならない声をあげて、王女が巨人をみあげ、息をつくまもなく襲いかかった。狂ったオオカミのような雄たけびが聞こえ、彫刻のような巨人のあしもとから駆けのぼったソフィアが、どこか悲しげな表情をした巨人にむかって細剣をくりだし、くりだし、くりだしながら着地した。
巨体がぐわりとゆれて倒れると同時に、ほとんど閉まりかけていた〈門〉が勢いよくひらいた。ごう、と音を立てて、とびらの向こうから白い霧のようなものが流れこんでくる。あたりは、ごつごつとした固い岩に覆われていたが、それが触れた場所は、とろりととろけて色も形もさだまらない半固体状になってしまう。
ただ〈門〉と〈巨人〉の周囲だけは霧の影響をうけず、もとのままだ。倒れた巨人が半身を起こし、ソフィアにむかって手を伸ばした。




