第56話 楢の木
王女の首根を〈首のない夜会服の女〉の白い手がとらえた。
鶏を絞めるごとくに、首をへしおられるのか。いや、そうはならなかった。その変化はあまりに早く、急激なものだった。のどのまわりから、やわらかでなめらかな王女の肌が、ごつごつとかわいた皮へとかわっていく。そう、あたりの楢の木のように。
なかば振りむきかけていたソフィアの顔が節のある幹へと変わっていき、のばされた手は枝へと変わっていく。
けものじみた雄叫びがきこえ、〈餓狼〉を手にしたラキが〈首のない夜会服の女〉の手を斬り落とした。だが、その手はソフィアの首を握りしめたままだ。
樹木と化しつつある王女が、ぐらりと揺れ、倒れかけるのをラキが抱きとめた。
「よせ! さわるな!」
グレゴの警告は意味をなさなかった。倒れようとする王女を支えないなどということは、ラキにはできなかったろう。
ソフィアに触れた両腕、抱きとめた胸のあたりから、ラキのからだも変化し、またたくまに二本のもつれあう樹木となった。その変化は急激で、〈餓狼〉がコトンと地面におちるまでのわずかな間のことだった。
「うぬ、愚か者め!」
戦鎚を軽々とふりまわし、〈首のない夜会服の女〉を弾きとばすと、グレゴは、落ちていた〈餓狼〉を足で蹴りとばした。
それはまるで這い寄るように俺の足もとへ。
ためらいながら手をのばしたとき、弾き飛ばされたはずの〈首のない夜会服の女〉が、すぐそばに立っていることに気付いた。
すらりとした白い素足が目に痛い。くつもはかず、裸足なのに、ほこりも泥もついていなかった。
いつのまにか胴体につながっていた手を、緩慢にのばしてくる。
グレゴの戦鎚がその手を払い、さらにみぞおちを突く。すると、それは、槍でもないのに、なぜか腹を突き抜けたのだった。
予想外の手応えだったからか、はっとしたように、グレゴが戦鎚を手もとに引きもどす。その長さはもとの半分ほどになっていた。〈首のない夜会服の女〉のからだの向こうで、ごとりと金属の塊が地面に落ちる。戦鎚の柄のなかほどが喰われたように消え失せていた。
しろくしなやかな手がさまようように宙を泳いで、グレゴを捕えようとする。それを、払い、突き、払い、とするうちに、戦鎚は、みるみるみじかくなっていく。
たすけに入ろうにも、俺は〈餓狼〉の一本を手にして動けずにいた。力があふれるどころか、逆に、全身の力を吸いとられるようだった。
戦鎚とよぶには短くなりすぎた棒きれをもってグレゴが距離をとり、〈首のない夜会服の女〉は、標的をかえて俺にむかってきた。逃げるどころか立っていることすらあやしい状態で、よろめいて倒れたところへ白い手が伸びてくる。触れられたらおしまいだ。
手にした〈餓狼〉を離して、立ちあがろうとしたが、まだ全身に力がはいらない。迫ってくる白い手が視界の端で浮かびあがるようにしている。ほとんど触れられたかと思え、肌に悪寒を感じたとき、うしろから服をひっぱられ、気付くと、レナが俺をひきずって逃がそうとしていた。もし、いま触れられたら、レナを巻きこんでしまう。
離せ、離せと、わめくのに、強情なレナは、まるで聞こうとしない。〈首のない夜会服の女〉の白くしなやかな手が迫っていた。
『にゃにをしてる! 義足を使え!』
と、気の抜けそうな声が聞こえた。ああ、クロ《=大魔法使い黒猫ver》の声だと思うのと、銀の義足を緩慢に持ちあげるのと、ほぼ同時だった。自分としては、義足で蹴りとばそうという気持ちだったが、実際には、倒れたまま足を持ちあげ、〈首のない夜会服の女〉に足裏をむけたに過ぎなかった。
しかし、〈首のない夜会服の女〉が義足に触れるや、そいつのからだは、勢いよく後方に跳ねとばされていた。
ふっと息をつき、からだの力が戻ってくるのを感じる。そこへ、クロがもう一本の〈餓狼〉をくわえてきた。
『にゃっはっはっ、この大魔法使いさまがつくった義足だからな。ちょっとした力がある。
だがまあ、それはそうとして、〈餓狼〉がなぜ双剣なのか教えてやろう。一方は力を吸いとり、一方は力を放つ。ふたつでひとつなのだ。さっきおまえが手にしたのは力を吸いとる方で、これが力を放つ方だ』
言われてそれを受けとると、ばちばちと力が流れこんでくるのがわかった。これまでのように激しいものではなかったけれど、からだの自由がきくほどには。それに、この魔剣なら〈首のない夜会服の女〉を斬れる。そう思って〈餓狼〉を構えたところ、
『やめておけ。戦鎚のように喰われてしまったらどうする。そいつを失ったら、もとの世界へもどれないぞ』
と、忠告をうけた。
「しかし、どうしたらいいんだ。このままじゃ、みんな楢の木に変えられちまう」
『まあ聞け、おまえが相手にしているのは魔女の体だ。森へ入ってきた者を捕らえ、無差別に木に変えちまう。頭がないぶん単純な動きしかしないが、恐れも疲れも知らず、森にいるかぎり、あきらめることなく永遠に追ってくる不死の化物だ。たとえ〈餓狼〉で斬れたとしても、倒すことはできない』
「なら、どうしろと?」
ゆっくりと〈首のない夜会服の女〉が起きあがってくる。だらりと両手を垂らして、グレゴか、レナか、アーか、それとも俺か、だれを相手にしようか迷っているかのようだ。
『逃げろ』
「どこへ? そもそも森から出られるのか」
『いや、森のおくへ行け。耳をすませて、笑い声のする方へだ。そこに魔女の首がある』




