第55話 夜会服の女
「ジュ!」
自分の名前をよぶ声に、はっと我にかえった。目のまえに紫の髪の女性が立っている。美しく凛としたすがたは、レナが成長したすがたではないか。馬鹿な考えがあたまをよぎったが、細剣を肩のたかさに構えて、俺の背後にいる何者かと向きあっているのは王女だ。しゃがんで!との叫びに、俺は反射的に体を沈めた。
飛びこんできたソフィアの細剣が容赦なく刺突をくりかえし、そのたびに、目の端にみえた黒い人影が左右にゆれる。
「ごめん!」
言うと同時に、しゃがんだ俺の肩を踏んで跳躍し、頭上から、さらには体をひねって着地しつつ無数の刺突をふらせる。
振りかえった俺とソフィアの目が合った。なぜなら、あいだにあるべき人影のあたまが無かったからだ。首無騎士を思いうかべたが、その人影は、ゆったりとした黒い夜会服に身をつつみ、やわらかな曲線をしめしていた。あきらかに女性とわかる華奢なからだに首がないという事実が恐れよりも当惑を生むのだった。
それが魔女であるのか、魔女の僕であるのかは別として、化け物であることは間違いない。細剣で穴だらけにされながらも動きを止めず、こちらに手をのばしてくる。白く艶やかな手は、思わず口付けてしまいそうなほど儚げで弱々しく、それでいて身震いするほど禍々しい。
あとずさる俺のよこをぬけて、ラキが走りこむと、人影の手を斬り落とし、その胴を〈餓狼〉で十字に斬り払った。
あおむけに倒れていく体に、ソフィアが追撃をいれる。カラスを粉々にしたときと同じように、と、と、と、と軽く打ちこむようでありながら首のない体が削りとられていった。
たおれた人影は、下半身を残して、ほとんど原形を留めず、死んだというにも違和感があるが、さすがに動かなくなっていた。
「ふぅ、びっくりしましたね!」
細剣をおさめ、ひたいの汗をぬぐうようなそぶりをする。「これが魔女なのでしょうか。なんとまあ、あっさりと倒してしまいましたね!」
「いや、そう簡単なものではなかろう」
戦鎚を手に、周囲を警戒しながらグレゴがいう。「まだ異様な笑い声が聞こえているだろう? であるのに、意識を集中させなければ聞こえないほど森に溶けこんでしまっている。これ自体がひとつの呪いのようなものだ。ここが魔女の領域であることを忘れるな」
警戒の目が、人影の残骸を覗きこんでいるアーのうえで止まった。驚愕の表情をうかべる少女の眼前に、人影の斬り落とされた手がうかんでいた。さらに、瞬時に、粉々にされたからだが再生され、宙にうかぶ手とつながる。
ブォン、と、グレゴの戦鎚が唸りをあげて人影を弾きとばした。
「アー! こっちへ来い」
グレゴの声がひびき、応じて、アーが立ちあがろうともがくのだが、足がいうことをきかないらしく、なかなか身を起こすことができない。動転した様子をみて、グレゴは神官というには素早い身ごなしで走り寄り、小柄なアーを小脇にかかえて持ちあげた。
その動きをみていたわずかなあいだ、俺は人影から目を離していた。
「避けろ!」
ふたたびグレゴの声がひびく。それは俺ではなく、王女にむけた警告だった。ほとんど同時に、振りむきかけていたソフィアの動きがとまる。ほそい首をにぎりつぶそうとするかのように、自分の首をとりもどそうとするかのように、〈首のない夜会服の女〉の白い手が、ソフィアの首根をとらえたのだ。
かっ、くっ、と、声にならない声を発し、王女が細剣を取り落とす。




