第54話 戦鎚
ひきかえすなら、これが最後の機会だぞ。
と言われても、クロ《=大魔法使い黒猫ver》の話どおりであれば、四英雄についていかなければならないし……。
ちら、と見たアーは、荒れ地とは似ても似つかない森の景色に心をうばわれているようだった。その心のおくに、だれかを想う心が隠されているのか、あるいは芽吹きを待っているのか、それはわからないことだった。
なにも答えないでいると、グレゴがまた口をひらいた。
「ひきかえす気はなさそうだな。おまえたちは、何者で、なぜついてくる?」
なかなか答えにくい質問だが、一応の答えは用意してあった。兄妹で、とある魔法使いの弟子として過ごしてきたこと、師匠から王女を助けるよう使い魔のクロとともに送りだされてきたことを伝えた。
いくらかの真実も含まれており、もっともらしくはあるが、師匠の名を明かせないので、すんなり納得とはいかないようだった。
「とある魔法使いか。名乗らぬ魔法使いほど信じられないものもないが……」
いぶかしげな視線に耐えきれず、逆に質問をなげかけてみた。
「そういうあなたはどうなんです? ソフィアと同行するように命令をうけたのですか」
「命令? いや……」
ちょっと驚いた様子で、ソフィアとラキのほうをちらっと見ると、ゆっくり噛みしめるようにして応じた。
「ラキが志願したゆえ、友として同じく同行を志願した。なにも知らぬソフィアを厄介ばらいしようという奴らに腹が立ったのもあるし、探究心を刺激されたのもある。それに……」
と、言いかけて、首をふって口を閉ざした。その視線のさきでは、つかれた、つかれたと子どものように駄々をこねるソフィアと、それを背負ってあるくラキのすがたがあった。
グレゴは、ふいと目をそむけて立ちどまり、つえ代わりにしていた戦鎚の先端を地面に突きたてた。ちょうど〈監視者〉と呼ばれる石橋との境い目だ。
「そんなことより、これが最後の警告だ。立ち去るなら立ち去るがいい。危険な目にあっても、名乗らぬ魔法使いの眷属を助てはやらんぞ。アー、おまえもだ」
黙々とあるいていたアーが立ちどまり、覚悟を示すように首をふった。そのまま石橋へ歩みをすすめる。
それをみて、俺もまた突きたてられた戦鎚のわきを抜けて足を踏みだした。石橋に足をかけた瞬間、ひときわ高く笑い声がきこえたように思え、あかるく健全なものとは言いがたいそれを振りはらうように、いきおいよく足をまえに出して渡りきった。そこでくるりと振りかえり、グレゴに向きあう。
「信じられないならそれでもいい。先頭を行くさ。魔法使いの弟子であるまえに、俺は渉猟者だ。感覚の鋭さには自信がある」
それに屍肉漁りとして生死の境にも鼻がきく、と言いたかったが、どう思われるかわからないので黙っておいた。
「とにかく、ひきかえす気はない」
そう言い切ったまさにそのとき、自分の言葉を踏みにじってでも、ひきかえしたい衝動に襲われた。実際、石橋を駆けもどろうとしたが、大魔法使いの領地を思わせる目にみえない膜のようなものに拒まれてしまう。
背後から、ぬっと迫る気配があり、一瞬、またグレゴかと思いもしたが、彼は目のまえの石橋上におり、ほかの連中も、まだ石橋を渡りきっていなかった。
背後に誰かいるとすれば、魔女だけだ。
かつて屍肉漁りとして森へ逃げこんだとき以上に、濃厚な死の匂いがする。ひたひたと迫る気配は、いつもは忘れてしまっているものに違いない。あらがえない負の魅力をもち、優雅さを秘めた腐敗したあまい匂い。
ふりむいてはいけない。
けれど、ふりむかなくても、やはりいけない。異様な圧力が背中と首とをつつみこむ。ゆっくりと冷や汗がながれ落ちる。感覚がとぎすまされ、時間がゆっくりと流れだしていた。黒いナイフを手にしたときの感覚に近いけれど、まるで高揚感のない冷たさは、心を凍てつかせるようだ。
背後から手が伸びてくる。
みえていなくても、わずかに曲げられたその指のうごきさえわかるような気がする。




