第53話 監視者
狂気じみた笑い声は、どこから聞こえるのか。ずっと遠くから聞こえるようでもあり、耳もとで囁かれているようでもある。
ブガンの領域を抜け、魔女の領域に入るや、間断なく響きつづけている。
気持ちを掻き乱し、思考をさまたげる笑い声は、魔女の笑い声であり、同時に自分の笑い声のようにも聞こえる。
荒れ地から一転して、眼前には深い森がひろがっていた。
年を経た樹々の多くは、大陸の森とおなじ楢の木のように思えるが、ねじまがり、からまりあう様子が狂気を感じさせる。
馬車を降り、徒歩で森に足を踏みいれる。
狩人として、渉猟者として、なれているはずの森行きが不安でしかたがない。
つねに鳴り響いている笑い声は、次第に、葉擦れの音や鳥の鳴き声にまざり、聞こえているのに聞こえていないような、自分の一部になりつつあるような感じがしていた。
まだ日も高い頃合いであるはずなのに、薄暗い森のおくから、ほうほうと梟の鳴き声がする。すこし離れた草むらからは、兎が姿をみせ、黒い眼でこちらをみていた。そっと矢をつがえた俺の手を抑え、
「にいさん、ダメ!」
と、レナが首をふる。かわいそうだから? そんな理由で止めたわけじゃないだろう。レナだって、いまや渉猟者なのだから。
「なんだ? なにか気になるのか」
「この子たちは、人を恐れていないの。好奇心でのぞきに来てるのよ。それに……」
「それに?」
「わたしたちを、かわいそうに思ってるわ」
「俺たちを? どういうことだ」
「わからない。でも、そう言ってる」
「そう言ってる?」
レナがなにをいっているのか、よくわからない。梟にしても兎にしても、特別なところは感じられない。クロ《=大魔法使い黒猫ver》のように魔法ですがたを変えた人間でもあるまいし。
もしかして、魔女の使い魔だったりするのか。疑問を口にしかけたところへ、ぬっと人影が覆いかぶさってきた。心臓が止まりそうな現れかたをしたのは暗黒神官だった。
「どうやら、動物の言葉がわかるようだな」
「レナが?」
「むらさきの髪をもつ者は、生まれながらの魔法使い。そんな偏見も、ゼロからでるものではなかろう」
冷淡な口調に、俺たちに対する不信が込められているように思えた。
「魔女の森を訪れる者は、戻れぬことを覚悟しなければならぬ。ここはもう森のなかだが、まだ境界をこえてはいない。まだ引き返せる」
見ろ、と、アゴで示したのは、草木に巻きつかれた石造りの橋だった。
「伝承によれば、橋の名は〈監視者〉とされている。名前の由来も定かではないが、橋を渡り、そのさきへ進めば、もう戻れぬ。ゆえに伝承もそこまでしかない」
言葉を切って、レナに顔をむけた。つねに気難しそうなグレゴが苦手なのだろう。レナは身をすくめて俺のかげに隠れているが、それを気にした様子もなく、グレゴが俺を押しのけ、レナに問いかけた。
「かわいそうというのは、どういうことだ?」
「わかりません。ただ、森になると」
「ふむ、死んで土に還るということか。それとも、その言葉どおりか」
いずれにせよ、と、今度は俺の目をみながら厳しく問いかけるのだった。
「保証のない道行きに変わりはない。ひきかえすなら、これが最後の機会だぞ」




