第39話 牢馬車
手を切りおとされたり、しばり首になるようなことはなかった。
かわりに、陰鬱なそらのしたを、手かせ、足かせをはめられて、格子のはまった馬車で荷物のように運ばれている。ここでは、盗人は、ひとが支配する区域から、魔女や巨人の眷属がおさめる地へ追放されるらしい。
……というのは建前で、化け物へのいけにえを差しだしているのだった。
このころの島では、羊や牛のように人も供物としてささげられており、そうすることで、かろうじて街が成立していた。
牢馬車の格子窓から外がみえる。
くらい空模様が、だんだんと不吉なものに変わっていく。ひとの住む街とその周辺を進んでいたころには、ただ暗いだけの空だった。けれど、いまは見る者を不安にさせ、このさきの不幸を確信させるような陰鬱さがある。
……のだが、そんなことを思いもしないのか、俺やレナと同様に、手かせ、足かせをはめられながら、スースーと気持ちよさそうに眠っている者もいた。
ソフィアである。
本名は、ゾフィア・フォン・デア・プファルツといい、レナの先祖にあたるとかあたらないとか。大陸にある王家の王女さまらしい。俺より年上で、ちょうど二十歳くらいだろう。むらさきがかったかみを腰までのばしており、島の住民から不吉な髪色だと忌み嫌われているが、きれいな女性ではある。
盗人として人外の地へ追放されるにさいして、御者や役人らは、ソフィアを凌辱せんとした。
……のだが、いずれも失敗している。
ソフィアに手を出そうとすると、なぜかうまくいかないのだった。牢馬車のとびらを開けようとすると馬が勝手に走りだし、おいてけぼりをくったり、期待をこめて踏みだした一歩ですっころんだり、いよいよというときに車軸がおれて馬車から放りだされたり。
そんなことが続くうちに、ソフィアに手を出そうとする者はいなくなった。やはり、むらさきのかみは不吉だとされたのだろう。
しかし、ソフィアからすれば幸運といえる。
『幸運おばけだからな』
大魔法使いの言葉が気にかかる。あくびをかみ殺している黒猫に、幸運おばけとはどういうことか尋ねてみた。
『ああ、それな。うまれつきのことで、ソフィアは自覚にとぼしいが、古代の巫女の末裔である王族の一員として、魔法の力をもっているんだ。
レナが言葉をあやつるように、ソフィアは幸運をあやつる。いや、無自覚だから、幸運に呪われていると言った方がいいかもしれないな。こいつ自身にとっては常に幸運をよびこむが、それが周囲にとってもそうかといえば、そうでもない。考えようによっては、まわりに不運をふりまいているともいえる。
だからだよ。一国の王女ともあろうものが、こんな辺境の島へやられるなんてな。ようするに疎まれんだが、王族の義務として、西方の魔女と巨人を討伐せよと言われて、のこのことやってきたわけよ。
生まれたときから幸運まみれで、あたまがお花畑なんだな。両親を含めて王族から悪意をもたれているとは、まるで考えていない。従者と合流する予定になってはいるが、軍隊でも討伐不可能な化け物どもを数人で倒してこいなど、死ねというのも同じ事だというのにさ』
「ずいぶん饒舌じゃないか」
『ああ、そうだな。そうかもな。ふむ、我はどうだったのかな。こいつと出会って、すくわれたのか、それとも呪われたのか。ああ、気分がわるい。屋敷が近づいてきたらしい。何百年たっても、慣れやしない』
「なんのことだ?」
『みろ、御者が交代するぞ』
いつもどおり、くわしく説明する気もないらしい大魔法使いが示したほうをみると、格子まどから御者の姿がみえた。これまで馬車をあやつっていた御者は普通の人間だったが、あらたな御者は明らかに人間ではなかった。
牢馬車の護衛についていた役人も、化け物の護衛にかわる。
もとの世界では、西の辺境をめぐるおとぎ話でしかない罪喰いだ。想いをのこした死者が生前の姿をとって現世をさまようのだと言い伝えられている。
それが本当かどうかは別として、人の形をした塵の塊が御者として馬を駆っていく。人から化け物へのひきつぎは無言のままおこなわれ、何事もなかったかのように馬車が進んでいくことが異常だった。
『ここからは完全に人外の地だ』
大魔法使いの言葉も、いつもより力なくひびいた。荒涼としたヒースの野を、がたごとと進んでいく。最初のうちは鳥や虫のすがたもあったが、しだいに動くものをみることはなくなり、やがてヒースすらまばらになり、火山灰におおわれたような色のない大地が、おなじく色のない空をみあげているだけになった。
どこまでもおなじ光景がつづく。
唯一、はるか遠くに建物があり、近づくにつれて大きな屋敷であることがわかってきた。ぽつりとそれのみが荒れ地に存在していることが不可解でもあり、不気味でもあった。違和感しかないその屋敷へ、道ともいえない道をたどって牢馬車にゆられていく。
にいさん、と、レナが手をにぎってきた。
ぬくもりのない空気のなか、その手だけがあたたかく、実在するもののように感じられた。格子窓のむこうはウソにぬりかためられた世界だ。音もなく、色もなく、動きもない。はたして息ができるのだろうか。
陰鬱な屋敷が迫るように大きくなり、牢馬車がとまった。さあ、覚悟はいいか、と黒猫がみあげてくる。
「ああ、どんな化け物がこようと……」
『あほう! そんな覚悟ではないわ。そんなことは、覚悟以前のあたりまえの話だろうが。いいか、未来の英雄のひとりは、なにをかくそうこの大魔法使いさまだからな。それも、この時代では、わかさあふれる超絶美少女だぞ。惚れるなよぉ。帰りたくなくなっちまうかもしれんぞ。くくく』
「化け物がいるんじゃないのか?」
『もちろん、化け物もいる』
「そっちのことを教えてくれよ」
との願いむなしく、牢馬車のとびらが開かれ、乾ききった空気がながれこんできた。くらくもなく、あかるくもなく、あたたかくもなく、つめたくもない。ぎゅっとレナに握られた手の温もりが際立つ。
すこし離れたところで、やれやれ、やっと着きましたか、と、のんきなことを言いながらソフィアが身を起こし、ぐっと背伸びをした。




