第37話 目をひらくと
わからないことだらけの俺は、容赦ない舌打ちと罵倒を浴びながら、さらに食いさがって話をきいた。そうして理解したところによると、お茶を飲みながら旅をするとは、ようするに、べつの世界を旅するということらしい。厳密には魔法使いによってつくられた世界であり、どこにもなく、どこにでもある世界、過去にも現在にも未来にもなく、しかし、いつにでもある世界。ゆめのようでゆめでなく、げんじつのようでげんじつでもない世界。
その世界でどれだけ過ごそうと、現実世界では、ほんの一瞬のことであったりして、まさに、お茶がさめないうちに旅をして帰ってくることができるらしい。
「よし、もういいだろう。行くぞ」
大魔法使いが儀式じみた所作で黒いナイフを卓上におき、レナの手をとって目をつぶると、精神を集中させていく。
「って、俺は?」
「ああ、わすれてた」
「呼びだしておいて忘れるな!」
「うるさいやつだ。さっさと間に入れ」
というわけで、三人で円になって手をつないだ。目をつぶり、卓上にあるはずのナイフをイメージしていると、ナイフが本当にそこにあるのか、自分たちが本当にここにいるのか、だんだんと現実感が薄れていき、かすかに漂っていた紅茶の香りが消えていく。たがいの手の感覚だけを残して世界が失われていくようだ。
「手を離すなよ」
大魔法使いの声がする。「いいと言うまで目も閉じていろ。あと、呪いの解除に失敗したら戻ってこれないからな」
「いま言うな」
「戻ってこれなかったら、ごめんな」
「言葉が軽すぎる!」
「ぎゃーぎゃー、うるさい」
「あんたに会うまでは、うるさくする必要もなかったわ!」
くだらないやりとりをしているうちに、べつの世界とやらについたらしい。もう目を開けてもいいぞ、と大魔法使いの声がして、目をひらくと、そこは潮の香りのする街だった。
色鮮やかな看板がつきでた通りを多くの人が行きかい、あしもとには石畳がしかれている。すぐ近くで活気ある市場がひらかれ、客を呼びこむ声と雑多な品物が目に入ってくる。金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、赤布、香木、細工物、木材、青銅、鉄、大理石の器、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、油、麦粉、小麦、家畜、人間。
王国が滅びるまえにも、これほど賑やかな街をみたことはなかった。
街の光景に目を奪われる。そんな俺を避けながら、邪魔だといわんばかりの態度で大人たちが通り過ぎていくのだった。
「にいさん」と、レナにそでをひかれた。
「おまえ、言葉を……」
「なんでかな。ここだと話すのは怖くない」
でも、と、不安そうに身を縮め、俺の背中に隠れるようにする。なぜそうするのかは、すぐにわかった。俺たちを避けていく連中が、露骨にイヤな顔をしながら、レナの髪をにらんでいくからだ。どういうことなのだろう。
『おい、そんなところじゃ話もできん。さっさと、こっちへ来い』
と、大魔法使いの声がきこえた。すがたは見えないが、声のする裏通りへむかうと、一匹の黒猫がこちらを見上げていた。
『無事についたぞ。このさきどうなるかは、我にもわからんがな』
と、声はすれども姿はみえず。きょろきょろしていると、こっちだ、こっち、と足もとから声がして、予想どおりといえば予想どおり、黒猫が大魔法使いの声でしゃべっていた。
「ね、ねこ? 魔法で変身しているのか?」
『いや、ここでは我の魔法はつかえん。そもそも、この世界じたいが魔法でつくられたものだからの。ここには、もうひとりいるからな。人の姿はとれんのだ。もう、ただのかわいいニャンコでしかないぞ』
「よくわからないが、どういう世界なんだ」
『どういう世界ねぇ……。説明するのも面倒だが、もとの世界からすれば数百年前、もっと自由に魔法がつかえた時代だな。異形のものたちが闊歩する時代でもある。ここは、ひとが支配する唯一の街だ。あとは魔女と巨人が支配している。気をつけろよ。ここで死ねば、もとの世界でも死ぬからな』
その警告に、思わずふところを探ったが、黒いナイフはなかった。
『残念だが、おまえの大好きなナイフもない。このころは、まだナイフになってなかったからな。それより、ここでするべきことを教えてやろう。いずれ巨人殺しと呼ばれることになる四人の英雄をさがすんだ』
「巨人殺し……。それって、あんたの二つ名になかったっけ」
『ふふん、そのとおりだ』
「つまり四人の英雄のひとりは……」
ぐぅ、と、おなかの鳴る音がした。みると、レナが恥ずかしそうにおなかを押さえて、うつむいた顔をまっかにしている。この世界でも普通におなかは減るらしい。……ぱくぱくと焼菓子を食っていたような気もするが。
よし、待ってろ、と食べものを盗みにいく。もちろん、金があれば普通に買うが、無いものは仕方ない。元とはいえ、屍肉あさりに道徳や倫理を求められても困る。
けれど、このときはまだ、この世界を夢か何かのように感じてもいたのだ。つかまったらどうなるのか、あまり考えもせずにいくつかのパンを盗み、ふわついた気分のせいで、店番の男にバレて追いまわされる羽目になった。
なんとか逃げきって路地へもどると、レナと黒猫のそばに、わかい女性が倒れていた。
「このひと、急に倒れちゃったの」
女性を介抱しながら、心配そうにレナがいう。ふむ、どれどれ。自分よりいくつか年上だろうか。フードの下にのぞく顔立ちは、どことなくレナに似ていた。旅装束で、街の住民ではないようだ。
ケガをしているような様子もないし、病気のようでもない。と、おなかの鳴る音がした。
仕方のないやつだとレナのほうをみたが、ちがう、ちがうと手を振って否定している。ということは? おなかを鳴らしたのは、この女性だったみたいだ。よくみると、はなをヒクヒクさせて、パンの匂いに反応している。はなさきにもっていったパンを左右にふると、目をつぶったままパンを追って顔を動かすのだった。
「パ、パンのにおいですぅ!」
よだれを垂らしながら、ぱくぱくと口をひらく。くちもとに、ちぎったパンを近づけてやると、指ごと食われてしまいそうな勢いで食いついてきた。もぐもぐと食べるようすは、焼菓子をほおばるレナのように幸せそうだ。おもしろくなって、なんどかパンを食わせてやった。すると、それをみていたレナが、
「にいさん……」
と、不満そうに、そでをひいてきたので、そのはなさきにもパンをもっていってやる。ぱくっ、もぐもぐ、ぱくっ、もぐもぐ、と交互に食べる二人は姉妹のようだ。
すっかりパンもなくなったころ、満腹になったのか、女性が立ちあがって頭をさげた。
「ごちそうさまでした。この恩は忘れませんよ。わたしはソフィアといいます!」
まっすぐにみつめてくるその目には、一点のくもりもない。屍肉あさりとは対極にあるような、世界を信じている純粋なものだった。耐えられずに視線をそらすと、そのながい髪が目にはいった。むらさきがかった髪色は、レナと同じだ。




