第32話 扉
わすれろ。
すてろ。
すすむな。
しぬぞ。
ひきかえせ。
一日ごとに伝言があり、ひきかえせとの伝言をうけたその日、たどりついた十字路に石造りの家はなく、かわりに、とぐろを巻いた竜がいすわっていた。
背後には、鉄の扉がある。
はなれた場所から観察すると、全身、真っ赤なウロコにおおわれた竜は眠っているようだった。扉は扉のみであり、建物もなにもなく、裏からみても表からみてもおなじだ。扉だけがある。普通に考えればどこへもつながっていないわけだが、ここまで来てそれはないだろう。ここが魔法の世界であれ、ゆめの世界であれ、現実へとつづく扉にちがいない。
そっとまわりこみ、赤い竜の背中をみあげながら扉をひらく。
音をたてないようにとおもうのに、さびたような耳ざわりな音がひびき、竜の背中がピクリと動いた。だが、かまうものか。扉さえひらけば脱出できる、そう信じるしかなかった俺の期待は、みごとに裏切られた。
ひらいた扉は、どこへつながることもなく、ただ巨大な竜と目があっただけだった。
とっさに逃げだそうとして、さらに絶望するハメになった。扉にあてた手が離れない。いまや竜と自分をへだてるものは、半分しまった鋼鉄製の扉だけだ。その上から覗く竜の顔が笑っているようにみえた。
冷や汗をながしながら、ふところに手をやると、黒いナイフの感触があった。捨てられもせず、後生大事にもっていたそれを握りしめる。
しかし、これまた期待外れなことに、荒れ狂う暴風のような力が流れ込んでくることはなかった。いっそのこと、手を断ちきって逃げるべきか、との考えが浮かんだけれど、そう簡単に決心がつくものでもない。
もたもたしているうちに、真っ赤な竜が身を起こし、こちらに体を向けて小さく口をひらいたと思うと、周囲に、ごうごうと風が巻き起こり始めた。深々と息を吸いこんでいるらしい。ちりちりと空気の鳴る音が聞こえる。
古今東西、竜は炎をはくものとされる。周囲の温度があがり、竜の口のなかに炎が踊りはじめたと思うや、目のまえが真っ赤になり、扉ごと炎に包まれていた。
最後に思ったのはレナのことだ。無事なのか、どうしているのか、こんなところで死者との約束も果たせずに死ぬのか。意味もなく、理由もなく、こちらの都合など関係なく。
……って、あれ、熱くない?
いつのまにか扉から手が離れており、ひらいた扉のむこうに満足そうな竜の顔があった。そして、ぎゃはは、と品のない笑い声とともに竜は若い女性へと姿を変えた。
「ひっひっひっ、ひぃひぃ、ぎゃはは、や、やめろ、その顔! ひひ、ぎゃはは!」
せきこみながら腹をかかえて笑うその女性こそ、西方の守護賢者、西方の赤き竜などと、たいそうな二つ名でよばれる大魔法使いだった。神秘的な美しさを、その笑い声と言葉づかいが台無しにしていた。森の賢者がまとう緑色のローブに身を包んでいるが、だらしない着方のせいで娼婦じみた雰囲気がある。
ひとしきり声をあげて笑ったあと、さて、とマジメな顔で口をひらいた。
「さて、我こそが西方の守護賢者、あるいは西方の赤き竜、すなわち大魔法使いさまだ」
と決め顔でいうが、さきほどのことを思いだしたのか、こらえきれずに笑いだした。落ち着くには、まだ時間が必要なようで、わるふざけを怒る気にもなれない。




