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+4 奴隷王女


 月と太陽。


 あの二人の名前は、まるで生まれたときから決まっていたかのようだ。おたがいにいつくしむ関係が、うらやましい、と思う。


 自分にはないものだ。


 人狩りにさらわれ、奴隷どれいとされ、足のけんを切られたことすら大したことではないと思えるようなはずかしめと苦痛の日々。

 終わってしまえば一瞬のことだったようにも思うし、悲惨な目にあったのは、自分じゃない誰かのようにも思う。けれど、異性に対する、また他人に対するぬぐいがたい不信は、これはどうすればいいのだろう。


 どんなことであれ、起きてしまったことは、無かったことにはならない。どんな形であれ、心と体にあとを残すのだ。


 いまでも、当時を思いだすには勇気がいる。


 身震いしながらしか思いだせない。けれども、そこにもまた自分を自分たらしめるものがあることを私は知っている。


 レナの幸せを心から願いながら、同時にその願いにほんの少しののろいを込める。そんな汚れた自分の心を、私は、知っている。


 最初の夜は、嵐のように過ぎていった。


 王国の滅亡は、大陸から遠く西の島まで影を落としていた。連合協議会の統治が行き届かず、海岸沿いの修道院や集落が頻繁に略奪にあうようになっていたのだ。まだ子どもだった私は、いつものように海を見に行き、そこで人狩りどもにさらわれた。


 波が寄せてひいていくだけのわずかな時間で、私の運命が決まった。子どもだろうと関係なく、性欲のけ口を求めていた連中に船へ引きずりこまれ、一晩中、飽きるまでもてあそばれた。なにをされているかもわからず、耳なれない異国の言葉が獣に犯されているような錯覚をあたえた。

 いや、やつらは獣だったのだろう。そう思わなければ、私は二度と人を信じられない。


 やがて帝都の市場で売りに出された。


 自分がいくらで売られたのか、いまでも覚えている。豚か羊、おまけに鶏を足したくらいの値段だった。目つきが悪く、嵐の夜を経てもなお反抗的な小娘に良い飼い主があらわれるわけもなく、日々の奴隷のごとき、いや、まさに奴隷としての労働、夜の務めと、ろくでもない主人に奉仕することとなり、どこに逃げ場があるわけでもないのに、何度つかまって折檻せっかんされてもりずに逃げだす私にごうを煮やした男は、労働価値が下がることを承知のうえで、私の両足の腱を切り、走れないようにした。


 さすがの私の反抗もそこまでだった。


 もはや、従順に命令に応じるほかなく、他の奴隷たちと同じように死んだ目で生き続けていた。それ以上、どこへ堕ちようもないような生活だったから、死ぬということさえ思いつかず、だらだらと惰性のように生きていた。皮肉なことに、そんな風にすべてをあきらめ、大人しくなんでもいうことを聞くようになると、逆に興味をなくしたのか、主人に犯されることも減った。ときどき捨てるように精液を注がれるだけで、そのころには、そんな行為になんの意味があるとも思えなくなっていたし、いまさらどうでも良いことだった。その穴は、私の持ち物ではなく、端的に言って、私じゃなかった。


 ある日、自由のきかない足でのろのろと裏通りをあるいていたときのことだ。市場への買い物かなにか、その帰り道だったと思う。


 露路ろじの奥から演奏が聞こえてきた。


 おかしなもので、なにも感じなくなっていた心にその演奏は水のように染み入り、私は、ふらふらと音の出所へむかった。


 そこにあったのは音楽と舞踏だ。


 ひたすら黙々と汗を流していたのは、私と同じ奴隷たちだった。演奏にあわせて体を動かしている。その時間はそう長いものではなく、入れ替わり立ち替わり、奴隷たちが立ち寄っては踊っていく。


 自分がなぜ惹かれているのか、彼らがなにをしているのかもわからないまま、私は人々のあざやかな動きに魅せられた。


 その日、遅くなったことで折檻せっかんをうけながらも、私は幸せだった。あの風のようなリズムと人体の不思議な動きと。


 外へ出る機会があれば、ほんの短時間であっても必ずそこへ寄るようになった。露路裏ろじうらの師匠に出会ったのはその頃だ。


 おまえはやらないのか。たしか、そんな風に声をかけられた気がする。ほうけたように舞踏をみつめる姿をみて誘いかけてくれたのだろう。しかし、私は自分の足を示して首を振った。この足では舞踏などできないと。


 どういうことか察してくれたようだったが、師匠は、根気よく私を説得した。足がダメでも腕があるだろうと言うのだ。


 何度目かの説得をうけて、私は腕で舞うことを決めた。実際、師匠は腕だけで舞ってみせてくれたから、自分もそうなりたいという具体的な姿をの当たりにすることができた。


 楽しみとか、喜びとか、嵐の夜とともに消失してしまった感情が戻ってきた。


 ただ純粋に体を動かせることが嬉しく、足を奪われてもなお自分には腕があり、腕で舞うこともできると知った。もしかしたら、まだ未来に希望が残っているのかもしれない。不幸が飛び出したあとの箱のように。


 音楽と舞踏は、私の希望、私の願い、私の祈りだった。だからだろうか、そこに悪意と言ってわるければ殺意、あるいは呪いが込められていることに気付けなかった。いや、気付きたくなかった。それは、陽気な舞踏、陽気な音楽に、怒りをこめてひそんでいた。


 舞踏に習熟すればするほど、それは大きく育ち、気のせいだと否定することは難しくなっていくのだ。一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが違和感を生む。


 音楽を楽しみ、舞踏を楽しんでいるようにみえて、その実、敵と戦うための技術を我が身に刻み込んでいるとわかった。


 これは奴隷のための武術だった。


 絶望のなかで牙を研ぎ続けてきたのだろう。従順を装い、来たるべき時に備えて。私は恐ろしかったのだろうか、それとも嬉しかったのだろうか。あいかわらずの底辺の生活に差した一筋の光は、破滅にひもづけられていたのかもしれなかった。


 感謝させろと師匠がいう。


 満足に動かなくなった足でも、両腕で支えて棒切れのように振り回せば、重たい蹴りを放つことすらでき、相手の腹にぶつけて悶絶させることだってできる。からだをくの字に曲げた相手のすがたが、まるでおじぎでもしているかのように見えるから、その一撃を加えることを、感謝させろというのだ。


 私は不吉な予感を覚えながらも、ますます舞踏にのめりこんでいった。師匠や古参の仲間たちは、帝都の不穏な空気を感じとり、その時を待っていた。ながく病に伏せている皇帝の崩御ほうぎょにあわせて帝都で反乱を起こそうというのだ。勝算があるとも思えなかったけれど、その後の幼帝の擁立ようりつ、審問官による合議制の始まり、それに応じて各地で発生した反乱とを考えれば、まったくの無謀だったとも言い切れない。すくなくとも、奴隷として生きていくか、奴隷であることを拒否して死ぬか、どちらかを選ぶ自由はあったわけだ。


 ところが、私の失敗により、同胞たち……この場合は同じ奴隷の境遇にある人々という意味だが……を無駄に死なせることになった。


 蜂起ほうきするときまで、従順な奴隷であることを求められていたし、その振りをしなければならなかったのに、私は、私の飼い主に感謝させてしまった。皮肉なことに、音楽と舞踏とが私のあきらめを否定し、希望をあたえてくれたからこそ、いつものように私を使おうとした飼い主を振り払い、あとさき考えず、悶絶もんぜつさせてしまったのだ。


 奴隷の反抗は大罪だ。


 嵐の夜のように、飼い主をふくめて周囲の人々が何を話しているのかわからなくなった。激しい罵倒ばとうを浴びていることはわかったけれど、あたまが真っ白になって、なにも考えられなかった。ただ、私のせいで、舞踏が武術であることがバレてしまった。


 ああ、心を石に変えなければ。


 しかし、その試みはうまく行かなかった。どうしても、師匠の顔がうかんできて、折檻と屈辱を叩き込まれながら、涙があふれてくる。私は年の離れた師匠のことが好きだったのだと、やっとその時になってわかった。根気よく私を誘い、筋がよいと誉めてくれた。仲間とバカ話をしながら、私と目が合うと、ニッと笑ってくれる人。その気持ちゆえに、飼い主のなすがままでいることができなかった。


 足の腱を切られてさえ反抗する奴隷などいらない。そう思ったであろう飼い主は、体格など関係なく、本気で私を殴りつけた。条件反射のように飼い主のまえで動くことのできない私は、せっかくの舞踏をそれ以上いかすこともできず、ひたすら殴られ続けた。


 私の意思とは裏腹に、私の身体は、容易には死をうけいれなかった。緩慢かんまんに死にゆく身体のなかで、わけもわからず、私は師匠の名前を叫んでいた。


 その叫びが届いたのか、それとも他の奴隷仲間から話が入ったのか、気付くと、飼い主はヘドを吐いて倒れており、私の師匠が私の目のまえにいてくれた。

 他の仲間たちも近くにいて、私は師匠に手当てされながら泣いて謝った。まだ皇帝は死んでおらず、決起には早すぎた。それを自分のために、みんなが動いてくれたのだろう。


 師匠は、おまえのことはただの切っ掛けに過ぎない、いつ爆発してもおかしくなかったのだと言ってくれたが、その言葉自体が、この早すぎる決起が私のせいである証拠だった。


 多くの腐敗と不満を抱えた帝国は、それでも大樹には違いなく、身ひとつの奴隷たちの反乱でどうにかなるわけもなく、どれだけ奮闘しても、次々と寄せてくる兵士たちのまえに一人また一人と倒れていった。


 師匠に抱えられて逃げた先、川辺に追いつめられた。最後に残っていた数人の仲間も死に、師匠も重い傷を負った。


 そこへ、さらに新手が近づいてくるのが見え、絶望して下をむいた私の顔を乱暴に上向かせると、師匠は、反乱などうまく行くとは元から思っていなかったなどと言うのだった。なぜそんなことを言うのか。涙がこみあげてくる。すると、そのあふれた涙をぬぐって、師匠は、おまえだけでも助けられれば、俺たちの勝ちだ。泳げるな?


 混乱したあたまで、こくりとうなずいてみせると、よし、と一言いって、師匠は私の服を乱暴にぎとり、兵士たちがたどりつくまえに川へ放りこんだのだ。


 行け! 行け! と、師匠の声が水面のむこうから聞こえる。本当に聞こえていたのか、聞こえていたような気がしていただけなのか。


 私は息の続くかぎり泳ぎ続けた。


 泳ぐといっても不自由な足だ。ほとんどイヌカキのような不様ぶざまな格好で、いったいどれだけ泳いだのか、時間も距離も方向も、なにもわかりはしない。ただ、遠くへ。


 逃げられたら私たちの勝ちだ。


 そんなことはありはしない。ただのなぐさめか、ごまかしか、はたまたペテンか。それでも、そのとき、私はそれを信じていた。


 幸か不幸か、私は死なず、流れついた先でペテロに拾われた。傷ついた野生動物のようだった私がここまで立ち直れたのは彼のおかげだ。だが、生活が落ち着いてくるにつれて浮かんでくるのは、師匠の言葉と、その顔と、言いしれぬ怒りだ。私は、いつか帝都へ舞い戻るだろう。名もなき最初の反乱の一員として。


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