第118話 最期
歓喜の表情のうちに、幼帝ことクレカ・スーが巨大な白い竜へと姿を変えた。ゲッゲッゲッゲッ、異様な笑い声をあげながら、丸太ほどもある太い尾を振り回し、敵も味方も関係なく、触れたものを破壊し、吹きとばした。
『もはや、帝国も用済み。ここにいる者すべて、王女以外は皆殺しだ。大魔法使いも死に、迷宮の主も消滅した。もう、わしを邪魔する者はおらぬゆえ、このまま〈門〉をひらきに行ってくるとしよう』
ゲッゲッゲッゲッ、笑いながら白き竜が尾を振りまわす。暴風のように圧倒的な力が吹き荒れていた。しかし、ゲッゲッゲッ……? と、その笑い声が唐突に途切れた。
荒れ狂う白き竜と、串刺しになった俺のあいだに、小柄な少女が立ち、その両手を竜にむけて突き出していた。つややかな長い紫色の髪は美しく、お茶旅で見た王女のうしろ姿のようだった。いつか、レナが成長すれば、ソフィアのようになるのではないかと思った俺の予想は正しかった。
だんだんと暗さを増してくる視界と思考のなか、レナの体が、朝露かなにかのように、きらきらと光を発していると思えた。
白き竜の太い尾が、振りまわした勢いそのままに、広間の壁にめり込んでいた。いや、壁に取り込まれているのだった。あわせて、その足も、ずぶりずぶりと床に沈み込んでいく。
『これは……』
白き竜の口から驚きの声がもれる。どうやら、〈増殖する迷宮〉に似せてつくられた広間の支配権をレナが奪いとり、白き竜自体を床と壁とに飲み込もうとしているらしい。ここからでは見えないが、きっとレナの両目はあの時のように怒りで赤くそまっているに違いない。
さらに、ぼそりと一言。
〈塵〉
レナの声が聞こえた。大魔法使いさまがアリの母体を塵にまで分解してみせたように、白き竜を粉々に砕いていく。床と壁とに取り込まれながら、クレカ・スーである竜は、存在を否定され、その構造を失っていった。最後まで残った竜の頭は苦悶の表情をうかべ、
『化け物め……』
と、一言うめいて消滅した。あわせて、地上と地下とを遮っていた壁も塵と化したのだった。
統率を失った帝国兵は戸惑いのうちに降伏し、残されたキメラたちはウーシスとオルフェが始末した。暗黒神官からもらった〈魔女の鉄槌〉と〈慈悲の剣〉が、ようやく日の目をみたわけだ。
複数の剣に串刺しにされた俺は、不思議なことに、まだ生きていた。痛みはなく、熱を失っていく感じ、寒さだけが顕著だった。床に横たえられた俺のそばで、レナは、必死に治癒の魔法を唱え、なんなら強制回復すら唱えたが、まるで効果はなかった。
俺は、もう死ぬのだろう。魔力の残滓によって、擬似的な不死者となっているに過ぎない。なまあたたかい血とともに、力と体温がぬけていき、もし、あるとするならば、魂がぬけていっているのだろう。からだから、なにかが失われていく。
王女となったレナに手をのばして、その髪を撫でてやりたかったが、視線をやるのが精一杯で、体の自由がきかない。
かけがえのない人、そんな言葉はあるけれど、本当には、かけがえのない人などいない。人は誰しも死に失せて、かけがえられてしまう。そうだ。グレゴもアーも、もういない。かつていたはずのソフィアもラキも、もういない。タキも、おばばも、ペテロも。けれど、人の営みは、喪失の営みだ。俺はいなくなるけれど、レナには、オルフェも、ウーシスもいる。ハインラやディーガ辺境伯もいる。
あの女から託されて、森の外れをさまよっていたときとは違う。もう、俺がいなくても大丈夫だ。そんな顔をするな。いつまでたっても、泣き虫は、なおらなかっ、た……な。これまで一緒にいてくれて、ありがとう。
俺の言葉は言葉になっていない。声には出ておらず、くちびるも動いていない。けれど、けれども、あのとき、屍肉あさりの掟に従わなくてよかった。
心から、おまえを……。
ごぷっ、なまあたたかい血が吐きだされ、不安定な心臓の音が聞こえる。体のなかの流れと、自分を動かしてきた鼓動がゆっくりになり、その音が止まった。ほんの数刻、いのちの余韻が……。レナのやわらかな手が俺を抱きしめている。すべての感覚が失せていくなかで、その感触だけが最後まで残る。
あいすべき妹の涙、タキとペトロと。ところどころ、あたたかさ、やわらかな肌、まぶしいひかり、さわやかな匂い、声、血の味。帰る場所のない放浪者に与えられた呪いは、ながい時間をかけて祝福に変わったらしい。俺の帰る場所は、この手のなかにあった。この手のなかにしかなかったんだ。最後にそれに気付くとは、気付くのが遅すぎた。
抱きしめ返す力もなく、すべてが静止する。
……この先は、俺が死んでからの話だ。
レナの魔法で氷漬けにされ、眠りの魔法の上位互換、時を止める魔法を重ねがけ。そうして俺を保存したあと、棺をひき、魔剣と宝玉を手に、ウーシスとオルフェに助けられながら迷宮を踏破し、その果てへと苦難の旅をへて、レナは、〈巨人〉を目覚めさせ、〈門〉をひらき、最大限の魔力で俺をよみがえらせ、そして、宝玉を返し、門を永遠に閉じた。巨人は、かすかに嬉しそうな顔をしていたという。
目覚めたとき、俺の目に映ったのは、鮮やかな紫色の髪だ。泣きじゃくるレナの姿は、なつかしくも愛おしい。
それ以上を語るのは蛇足というものだ。世の中、思いどおりにはならない。しかし、自分で選びとれる道もなくはない。ほんのわずかな可能性だとしても。
【注】
本編はここまでとなりますが、語りきれない部分もあり、+7話を予定しています(一日一話の七連投、10.27完結見込み)。
最後まで、おつきあいいただければ幸いですm(_ _)m




