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第117話 幼帝


 二人のアリが何らかの魔術を使ったらしく、俺の腕や頭に衝撃があった。けれども、何が起きたかを理解するより早く、ぶつけられた力は、俺のなかで燃えあがる力に飲み込まれ、組み込まれ、一体化することで消滅した。

 どちらかのアリが何かを言いかけたが、俺が左右の腕を持ちあげ、二人のアリの喉にあてると同時に彼らの頭を胴体から切り離してしまったので、その言葉をきくことはできなかった。ただ、ぼんやりと左腕がまだ動いたことを不思議に思っただけだった。


 異様な出来事を間近でみているはずの幼帝は、あいかわらず無表情なままだ。まだ十代半ばにもなっていないだろう。先代皇帝の死亡後すぐ、傀儡かいらいとして立てられた幼帝は、外見そとみは利発そうな少年だが、魔術でもかけられているのか、ほとんど表情というものがない。


 ふっ、と体の熱が抜けていく。


 俺の体か魂か、なにかが〈餓狼がろう〉の与える力に耐えられなくなったようで、胸に刺さっていた魔剣が抜け落ち、音を立てて床に転がった。ちょうど幼帝のあしもとだ。


 くらくらと天地が回るような感覚があって、俺は幼帝のまえに膝をついた。あたかも忠誠を誓う騎士のような格好である。そのまま意識が薄れていくけれど、魔剣が刺さっていた胸の穴を無意識に探ろうとしていたらしく、持ちあげた右手が胸元の首飾りに触れた。

 それはレナに贈られた月の首飾りで、呪いや邪眼を封じると信じられているもの。そう願う王女の心が込められたものだ。なんという石なのかも分からないが、その石の冷たさが、うすれかけていた意識をつなぎとめてくれた。


 ああ、まだだ。倒れるにはまだ早い。


 俺は、ゆっくりと床のうえの〈餓狼がろう〉に手をのばした。さあ、拾いあげて、もう一度、立ちあがって、アリの本体を始末しなければ……。しかし、俺の望みは、俺自身によって果たすことはできなかった。


 魔剣が遠い。


 すぐ近くにあるのに、手が届かない。


 不鮮明な意識を破って、レナの悲鳴が響く。


 ハッとしたときには、俺は、床からしょうじた複数の剣によって、腹を串刺しにされていたのだった。そのせいで、俺の手は、魔剣に届かなかったのだろう。


 今度は、痛みよりも冷たさを感じた。


 体中に満ちていた心臓の熱、血液の熱、命そのものの熱が、おびただしい量の出血とともに失われていく。荒涼とした風景のむこうで〈門〉が閉じ、〈巨人〉が目を伏せたように感じた。ドクドクと音を立てて死にゆく体を、それをそうとして透明な視線で把握していた。


 ずっと玉座に腰かけていた幼帝が立ちあがり、俺を見下ろす。その目は、少年の目ではなかった。邪悪で、残酷で、欲望にまみれ、死臭にまみれたそれは、年を経たヘビの目だ。


「ご苦労だったな」


 幼帝が年相応の声でいうが、その口調も、内容も、少年のものではなかった。


「わしこそが東方の大魔術師、クレカ・スーだ。魔剣と宝玉と王女と、すべて返してもらうぞ。もともと、王国を滅ぼし、手に入れたはずのものだったのだ」


 いまいましい人狼ルーガルーの女が邪魔さえしなければ、屍肉あさりなどに託すようなことさえしなければ、すでに手中にあったものを。独り言のように続ける幼帝ことクレカ・スーに、俺は非難するように言った。


「幼帝は、即位するまでもなく殺されていたんだな? おまえが取って代わったのか」


「ほう、まだ話せるとはな。それも魔剣の力の名残りか。いかにも、審問官にあやつられる傀儡かいらいの皇帝は、わしの隠れみのでしかない。わしにとって〈門〉をひらく障害となるのは、大魔法使いと迷宮のあるじだけだった。審問官のアリなど、その二人を除くための生きでしかなく、その役目は、十分に果たしてくれた」


 表情は変わらないが、心なし機嫌がよさそうに応じ、足もとの魔剣を拾いあげ、ふところからは宝玉をとりだした。


「宝玉と王女と、〈門〉をひらく条件はそろった。無尽蔵の魔力を供給する〈餓狼がろう〉も手に入った」


 おまえは、そこでそのまま死んでいくがいい。この力は、わしが有意義に使ってやる。そう言うと、クレカ・スーは、手にした魔剣を自分の胸に突き刺した。


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