第108話 大魔術師
冬の近い季節ながら航海は順調だった。
さほど荒れることもなく、大陸が近付いてくる。ペトロの死と、その後の渡航と、ずいぶん昔のことのような気がして仕方がない。
大きな軍船とはいえ船室の数は多くない。そのうちの貴重な一室を与えられ、来たるべき戦場でのことをオルフェと話していたところ、ウーシスが部屋を訪ねてきた。飾り気のない白い貫頭衣に、白地に緋色の一枚布をななめに巻きつけている。
そして、髪にはスミレの髪飾りだ。
「つけることにしたんだな」
「ええ、まあ。うるさいので……」
と困ったように応じる。うるさいというのは、髪飾りをつけないとオルフェがうるさいということだろう。
「どうするんだ?」
「どうって……」
聞いたこと自体を非難するような表情ながら、ちらちらとオルフェに視線をやる。
もうすぐ戦場という状況でなければ、それ以上は聞かなかったかもしれないが、後がないかもしれないと思い、
「一緒になるのかな」
と、ちいさな声で聞いてみた。
「……わかりません。そんな時代じゃなかったんです。こんな風に自由に自分のことを決められるようになるなんて、あのころは思いもしませんでしたから」
すこし照れたように顔をふせて、戦争が終わってから考えますよ、と応じた。それは俺に言っているようで、本当はオルフェに言っているのだとわかった。
「それより、御主人様、ディーガ辺境伯にお伝えしなければならないことがあります」
真剣な表情で言う。ウーシスの話は、東方の大魔術師に関することだった。王女にはもう話してあるらしく、辺境伯をまじえて、俺とオルフェと一緒に話を聞くことにした。
……お話しするのは、東方の大魔術師、クレカ・スーについてです。
年齢不詳、どんな姿をとっているかも不明ですが、どうやら男性と思われます。大魔法使いさまによって、眠りのなかで様々なことを学びましたが、そのなかに彼についての話があり、伝えておくべきだと判断いたしました。
亡くなるまえ、大魔法使いさまは言及されなかったようですね。時間がなかったのもあるでしょうが、言うに忍びないというところもあったのではないかと思います。
ディーガ辺境伯は御存知でしょう。クレカ・スーは、帝国の宮廷魔術師です。大魔法使いさまを意識していて、東方の大魔術師という呼び名も、かつては自称に過ぎなかったとも聞きます。大魔法使いさまのかつての弟子にして、破門された不肖の弟子、あたしや御主人様方の兄弟子と言ってもいいでしょう。
彼は、若いころ、はるばる帝国よりも遠い東方の地から大魔法使いさまを訪ねてきたそうです。純粋で希望を信じる若者は、あたしたちの時代のように、誰もが魔法を使えるようにしたいと願っていた。それが本当に良いことかどうかは別として、その望み自体は人々の幸福を願う純粋なものでしたが、やがて、あやまった方向へと歩みを進めることとなったのです。
彼は、まず魔法と魔術の違いを知ることになりました。だれでも魔法が使えるようにと願っていたのに、生まれつきの才能が必要だと思い知った。彼は魔法使いにはなれなかった。魔法は生得のものであり、後天的に身につけることはできない。一方、魔術は技術であり、極端にいえば誰にでも扱えるものです。公平ではあるけれど、限界も条件もある。
起きる出来事自体は、魔法でも魔術でも同じ場合があります。魔法を魔術で再現できる場合があると言えばわかりやすいでしょうか。
その発現の仕方がちがうだけです。
魔法使いは、自分自身を媒介に、〈門〉から漏れ出た魔力……いまは〈門〉は閉まっていますが、まだこの世界の物質や生物に残留している魔力……を利用します。一方、魔術師は、魔法使いが媒介として物に込めた魔力を利用するのです。だから、魔法使いの下位互換のように扱われることになるし、魔力の貯められた物なしでは何もできない。
彼は自分が魔術師にしかなれないことが不満で仕方がなかった。そこで、ひそかに眠れる人々について調べ、また〈門〉について調べ始めた。やがて〈門〉をひらいて大量の魔力をこの世界に供給し、それに触れさせることで、あたしたちの時代のように、誰もが魔法をつかえるようにできると結論づけたのです。
それが正しいかどうかはわかりません。
しかし、〈門〉をひらくということは、ようやく定まってきたこの世の理を壊すことでもあります。御主人様ならわかりますよね。変化は決して悪ではない。けれど、無制限のそれは、非常に危険なものです。
もしかすると、島一体を、あるいは大陸をも巻きこんで不毛の地に変えてしまうかもしれない。でなくても、〈森の魔女〉や〈巨人〉、〈塵の王〉のような呪われた存在を再び生みだしてしまうかもしれない。
だから、〈門〉へ向かおうとした弟子を大魔法使いさまは破門し、島から追放されました。慈悲ある沙汰だったと思いますが、クレカ・スーはそうは考えませんでした。大魔法使いさまが、魔法を独占する特権階級であり続けるために、そうしたのだと考えたのです。
ゆがんだ思いを抱えたまま、彼は大陸を放浪し、帝都において、失われた地下墓地を発見した。古代の人々の遺骨が納められた場所であり、暗黒神官の故郷でもある場所です。
それらの遺骨は、魔力の塊だった。
クレカ・スーは、それに目をつけ、無数の遺骨から魔力を抽出することで強大な力を得た。また、失われた魔術も復活させたのだと思います。そのなかに、キメラ生成などの禁忌の技も含まれていたのでしょう。
大魔法使いさまは、アリがキメラであると言われたようですが、アリをキメラにした者のことは言われなかった。
今回の遠征では、東方の大魔術師を敵にしていることを覚えておいていただきたいのです。ここしばらくは人前にすがたを見せていないらしく、はたしてどういう風に関わってくるか。それは、わかりませんが。




