愛を束ねて
「2人とも、ちょっと聞いて」
さくらは、ファミレスのテーブルで、目の前に並んで座る、颯太と風磨に言った。
「何?」
颯太がスマホから顔をあげて、言った。
風磨は何も言わず、メニューを眺めている。
「妊娠した」
さくらが告げると、颯太と風磨は同時に、苦悶の表情を浮かべた。
「マジかー」
風磨が天井を見上げ、眉間に皺を寄せて、言う。
「そっか。まぁ、よかったよ、とりあえず」
風磨が冷静に頷き、言った。
「で?どっちなの?」
颯太は足を組んで、さくらを見つめて、訊いた。
風磨も息を飲んで、さくらを見る。
さくらは、少し表情を強張らせた。
「それがさ、タイミング的には、どっちもあるんだよね、可能性」
「オーウマイガッ!」
颯太は両手で顔を覆った。
「何?なんで?それはちゃんとしようって言ったじゃん」
風磨が迫ると、さくらは俯き、うんうん、と頷いた。
「まぁ、そう言うよね。ごめん」
「ごめんじゃないよ、じゃあどうすんの?俺達、これではっきりさせる筈だったじゃん」
風磨が怒っている横で、颯太は落ち着いて2人のやりとりを聞いている。
「いやー、なんて言うか。このまま、3人でどう?暮らし続けるって」
「それが嫌だって言ったのさくらだろ!?」
「あぁ、怒んないで」
「怒るよ!そんなんだったら、子供作る気なかったし!」
「まぁ、そう言わずにさ。3人で仲良く、いや4人か。生きていこうよ」
「まぁ、その方が色々楽かもしれないけどさぁ」
風磨は割り切れない様子で言いながら、両手で顔を覆った。
「そもそも、こんなことで子供作ったのが、間違いだよな」
苦笑しながら、颯太が言った。
「それ、言わない約束でしょ」
キッとさくらが、颯太を睨んだ。
「まぁ、生まれてから検査すればどっちかわかるんだし、今はとりあえず祝おうよ、風磨」
「ああ、そうだけど、なんか嫌だなぁ、それまでの間もやもやするの」
「もういいじゃん!4人で暮らそう。私達はさ、3人でいる方がいいよ」
さくらの言葉に、風磨は溜息を吐いて、颯太を見た。颯太は横目で風磨を見ると、諦めろ、と小さく首を振った。
「最初からそのつもりだったんじゃないの?さくら」
風磨が問うと、さくらは目を丸くした。
「違う。それはない。ちゃんと決めたかった」
真剣に答えるさくらを見て、風磨は黙って頷いた。
「じゃあ、とりあえず乾杯しようか」
風磨は言うと、呼び出しボタンを押した。
兄、颯太。弟、風磨。兄弟だが、血は繋がっていない。
さくらは颯太の高校時代の同級生で、高校時代は友達関係だった。よくお互いの家を行き来するうちに、風磨とも仲良くなり、自然と3人で過ごす時間が当たり前になった。
「変わってるよねー、あんた達って」
帰り道、3人は並んで歩いている。さくらを真ん中にして、右に颯太、左に風磨。いつしか決まった、3人の位置。
「私が言い出したとは言えさ。よくそれで関係壊れないよね」
「今更」
颯太がフッと笑って、一言呟いた。
「壊れないようにする為に、こうしてんだよ!」
バシッとさくらの背中を叩いて、風磨が言った。酔っ払っている。
「いたっ。やめてよ、叩くの。えーじゃあさ、私がどっちか選んでたら、やっぱり絶縁とかなるの?」
「絶縁はないけど、同じではいれないかなぁ」
両手をあげて体を伸ばしながら、風磨は言った。
「それだったら、シェアしてても微妙になるんじゃないの?嫉妬とか、わかない?」
「ないかなぁ、、、ある?颯太」
風磨がさくら越しに颯太に訊いた。
「ない。それぞれの関係性があるし、風磨とさくらはこうなんだなぁ、って冷静に思うよ」
颯太は言って、さくらを見た。
「まぁ平和に過ごせてるなら、いいんだけどさっ」
さくらは、突然ぴょんと前に飛んだ。
「いきなりジャンプ」
微笑して、颯太が言った。
さくらは佇み、少し遅れてくる2人を待った。
「ずーっとそのままで居て欲しいんだよね、2人には」
2人が横に追いついたのと同時に、さくらが言う。
「悪魔のセリフだね」
笑って、風磨が言った。
「先に子供出来た方と結婚するとか言っといて」
颯太も笑って言った。
「決めなきゃいけないと思ったの。振り返ったら、なんでそんな風に追い詰められたのかわからないけど」
「普通じゃないの?そもそも変なんだから、この関係。俺達だから、どうにかなってるけど」
颯太が言うと、さくらは心外という顔をした。
「いる。いるよ、絶対いる。私達みたいにしてる人達。表に出さないだけでさ。友達装って」
「そうか?」
颯太はフッと笑って、風磨を見た。
「いないでしょ」
風磨も笑って、言った。
「いる。いるんだよ〜。三角関係なんて、ごまんとこの世に起きてるんだから」
さくらは言って、両手で颯太と風磨のそれぞれの手を握った。
「私達がさ、そんな人達の光になろうよ!」
卒業式が終わった後、さくらが2人を中庭に呼び出した。風磨がさくらと颯太と同じ高校に入学し、3人は2年間を共に過ごした。
さくらは2人が来ると、直立して、バッと頭を下げた。
何?と、2人が戸惑っていると、さくらは頭を下げたまま両手を2人の前に出した。
好きです。付き合ってください。と、さくらが言い、颯太と風磨は顔を見合わせた。
え?どっち?、と風磨が訊くと、さくらは、両方。と真面目に答えた。
冗談?笑った方がいいの?と、颯太が言うと、真剣だから。と、さくらは言った。
俺達で話し合って、どっちが付き合うか決めればいいの?と、風磨が訊くと、さくらは、違う。私は2人と付き合いたいの、と真剣に返した。
さくらの伸ばした両腕が震えていた。緊張しているのか、腕をあげているのが辛くなっているのか、2人には判断しかねた。
さくらは頭を下げたまま、動かなかった。
しばらくの沈黙の後、颯太が口を開いた。
いいよ。さくらがそうしたいなら。颯太の言葉に風磨は目を丸くした。
さくらが顔をあげて、風磨を見た。颯太も、風磨を見る。
ええ?俺もいいよ、って言わなきゃ駄目な空気じゃん、と風磨が言うと、颯太とさくらは笑った。
え?ていうか、2人で打ち合わせしたでしょ?俺が逃げれないように。風磨が言うと、2人は一緒に首を振った。
早く返事。と、さくらが急かすと、風磨も渋々頷いた。
わかったよ。でも、駄目だと思ったら、俺はすぐやめるから。風磨が言うと、さくらは笑顔になり、2人に順番に抱きついた。
私達、3人一緒なら絶対幸せなんだから。
さくらの言葉に、颯太と風磨は、顔を見合わせて、苦笑した。
「卒儀式の日ね、前の晩に颯太と話して、2人でさくらに告白しようって、言ってたんだよ」
スーパーの中。カートを押すさくらの横で、風磨は言った。
「そうなの?」
さくらは関心を野菜コーナに向けながら、気のない返事をした。
「卒業して、3人バラバラになる前に、はっきりさせようって」
「ふーん」
さくらは千切りキャベツを2つ、カートに入れた。
「でもさ、さくらのことだから、選べない。2人両方と付き合いたいって言うんじゃないって、颯太が言ったんだ」
「あ、そう。晩御飯トンカツにするけど、野菜キャベツだけでいい?」
さくらは並んだ野菜を見つめながら、言った。
「いいよ。で、そうなったらどうするか2人で話し合って、とりあえずやってみようか、って結論になったんだよね。返事早かったでしょ?俺達」
「えー?風磨は弱腰じゃなかった?」
「そりゃ、戸惑うよ。半分冗談のつもりだったし、いざ、3人で付き合うってなったら」
「そうかなー。私は迷いなんてなかったよ」
「変わってるからね、さくらは」
「受け入れた2人もね」
さくらは言うと、足早に野菜コーナーから離れた。
風磨も黙って、その後に続いた。
いただきます、と3人は手を合わせた。テーブルには3人分のご飯、トンカツと千切りキャベツ、冷奴、味噌汁が並んでいる。
「私の体調が戻るまでは2人が働いて、復帰出来そうになったら、風磨が育児担当でいいよね?」
さくらの言葉に、2人はいいよ、と頷いた。
「俺とさくらの方が収入上なんだから、それが自然でしょ」
颯太は言って、ソースをトンカツとキャベツにかけた。
「俺が専業主婦ねぇ、、、」
ポツリと、風磨が呟く。
「家事は私達も今まで通り分担するから。負担を全部風磨に押し付けたりしない」
さくらが言うと、そうそう、と颯太も頷いた。
「心配すんな」
「赤ちゃん的にはどうなの?やっぱり母性が欲しいものなんじゃないの?」
風磨が言うと、さくらは風磨の目を見て、大丈夫、と強く言った。
「母性出して」
「元気出してみたいに言うな」
半笑いして、風磨が言うと、ハッと颯太が笑った。
「男から出るもんなのかなー」
「風磨なら大丈夫だよ」
さくらは言って、トンカツを口に運んだ。熱っ、と眉を寄せる。
猫舌、と颯太がポツリと呟いたが、さくらは無視した。
「さくらの大丈夫って根拠ないよね」
風磨が言うと、さくらは、はふはふトンカツを噛んで飲み込んでから、口に左手をあてて、言った。
「あるよ。根拠」
「どんな?」
「言わない。言ったら、意識しちゃうじゃん。そうなったら、本当の母性にならない。作られた母性になっちゃう」
「ああー?よくわかんないな」
「気にしなくたって、大丈夫だよ。私と颯太より、風磨の方がちゃーんと、お母さん出来るから」
「颯太もそう思うの?」
風磨は颯太を見た。
「思うよ」
トンカツを口に運びながら、短く颯太は答えた。
うーん、と唸りながら、風磨は宙を見つめた。
まぁ稼ぎが少ないのは俺だし、仕方ないか。割り切ろう。
風磨は心で呟いて、トンカツを口に運んだ。
その横で颯太とさくらが目を合わせて、頷き合ってることに、風磨は気付かなかった。
高校時代からの仲の良い3人組。兄と彼女の暮らす家に転がり込んだ弟。風磨は周りからそう見られる3人の関係性に、いちいち反論したりはしなかった。
さくらはシェアハウスみたいなものです、と職場の同僚には言っていた。
颯太は一人暮らしをしていると、隠していた。神経質だから、他人は家に入れたくないと言って。
ひとつ屋根の下。男2人に女1人。家事は分担。デートは3人で行く日もあれば、さくらの気分でどちらか1人だけと、という日もある。セックスは3人では一度もない。さくらが、それは無理と2人にはっきり言った。2人も同意見だった。
颯太と風磨が嫉妬しあわないので、関係は上手くいった。2人が自分のことについて情報をシェアしあっていることも、さくらは気にとめなかった。
思い詰めなければ、3人幸せにやっていけると、さくらは思っていた。誰も孤独感を感じなければ、3人の関係が壊れることもない。自分が2人を同じだけ愛せば、どちらかが孤独になることはない。
自分が気をつけてさえいれば、颯太と風磨の2人の関係性は大丈夫だと、さくらは思っていた。2人の絆が簡単に切れないことを、過ごした時間の中でさくらはわかっていた。
そこに甘えたのか、付け込んだのか。
そんなことはない。自分は2人をちゃんと愛しているし、2人も3人でいることを幸せに思っていると、さくらは時折眠る前に訪れる疑心と不安を何度も追い払った。
3人でいること以外の幸せを、さくらは考えることは出来なかった。
仕事帰りの風磨が駅から出た時、丁度スラックスのポケットでスマホが鳴った。
スマホを見ると、さくらからだった。
「はーい。もしもし?」
歩きながら、風磨はスマホを耳にあてた。
「あっ、大丈夫今?」
「大丈夫だよ。何?」
「結果、、、見ちゃった」
風磨は露骨に溜息を吐いた。
「3人で見ようって言ったじゃん」
「ごめん」
「肝心なとこ適当だよね。子供作ってどっちか選ぶって言って選ばないし、私達が三角関係の光になるとか言って結局隠したままだし。ユーチューバーにでもなるのかと思ったよ」
「あれは酔った勢いで言っただけだよ」
さくらの声の向こうから、鳴人の鳴き声が聞こえてきた。はいはい、とさくらが鳴人の所へ向かう気配がする。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。ぐずっただけ。それで、結果なんだけど」
「うん。どっちだった?」
風磨は息を飲んだ。
さくらは一瞬沈黙して、スゥッと息を吸ってから答えた。
「颯太だった」
「・・・あっ、そう。そっか」
言葉が出てこず、風磨は戸惑った。覚悟はしていた筈なのに。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。似てたし、颯太に。覚悟はしてたよ」
でも何処かで、自分の子だったらと、淡い期待を抱いていた。
「そう。それでさ、今度会いに行くじゃん、2人のご両親に」
「うん」
「話す?本当のこと」
「無理だよ。理解なんて出来っこない」
苛立ちが声に表れていた。風磨は立ち止まって、深く深呼吸をした。
「怒ってるの?」
「怒ってないよ。あーでも、ちょっと俺の気持ち考えて」
「ごめん。じゃあ帰ってきてからにするね」
「そうだね、じゃあね」
「うん、じゃあね」
風磨はスマホを切ると、心ないまま、街を歩いた。
「やっぱり颯太にそっくりねー」
母親の瑠美が、鳴人を抱きながら、言った。本当だなー、と隣で父親の翔吾が頷く。
颯太と風磨の実家に、3人は居た。
颯太とさくらは両親の側に立ち、風磨はソファに腰を沈めていた。
「しかし、子供も出来たんだし、そろそろ風磨、2人から離れて暮らしたらどうだ?」
翔吾が、風磨に向かって言うと、さくらが横から口を出した。
「あ、大丈夫です、お父さん。助かってますから。3人だから、あの家にだって住めるし」
「そうなのかぁ?まぁ、さくらちゃんが言うなら、、、」
「駄目よ、お父さん。はっきり言わなきゃって、話したでしょ?」
瑠美が強い口調で、翔吾に言った。
翔吾はああ、と渋々頷くと、再び風磨を見た。
「風磨。颯太とさくらちゃんは、もう家族になったんだ。お前がいつまでもそこにいちゃ駄目だ」
風磨は宙を見つめたまま、黙って何も言わない。
「お父さん、本当に大丈夫ですから」
「駄目だ、さくらちゃん。こういう線は、家族なら尚更、ちゃんと引かないと」
「俺だって、2人の家族だよ」
風磨がポツリと、言った。
「2人って、家族なのは、颯太とさくらちゃん、鳴人の3人だ。風磨は親戚だ」
「鳴人は仕事辞めて俺が育てるから、俺が親みたいなもんだよ」
「はあ?風磨、何を言って、、、」
翔吾は颯太とさくらを見た。
「父さん、そう決めたから。俺とさくらが働いて、風磨が鳴人を育てる」
颯太が、真っ直ぐ翔吾を見て、言った。
「何を言ってるの、そんな無責任なこと、駄目よ」
瑠美の声に苛立ちが見えた。
「そうだ。駄目だ。自分達の子供なんだ、親なんだから、自分達だけで育てるのが、親の役目で、責任だ。こんな当たり前のことを言わなきゃいけないくらい、お前達は子供なのか?」
「風磨だって、鳴人の親だよ」
颯太が怯まずに、翔吾に言った。
「わけのわからないことを言うな!親はお前と、さくらちゃんだろ!」
堪えられず、翔吾が怒鳴った。
「違います」
さくらが毅然と、翔吾と瑠美を見つめて、言った。
「私達は、3人で家族なんです。鳴人も入れて4人でこれから生きていきます」
「さくらちゃん、どうして?颯太がそんなに頼りない?颯太の収入だけで、やっていけないわけじゃないわよね?」
「そういうことじゃなくて、3人一緒じゃないと駄目なんです、私達は」
「それは高校の時から仲は良かったけど、家族はそういうものじゃないのよ?」
諭すように、瑠美は言った。
「だいたい風磨はそれでいいのか?仕事を辞めて育児なんて出来るのか?自分の子でもないのに」
風磨は黙って床を見つめ、答えなかった。迷いが、その表情から見てとれた。
「ほろみろ。並大抵の覚悟じゃ、人の子を育てるなんて、出来ないぞ」
「人の子じゃないです。鳴人は、風磨の子です」
さくらが言うと、瑠美の表情が怒りに変わった。
「いい加減にしなさい!!言わないようにしてたけど、あなた、風磨のこと、恋人みたいに思ってるでしょ!?そうやって風磨を取り込んで、自分のしたいようにして、それが風磨を苦しめてること、わからないの!?」
瑠美は、怒鳴ってから、颯太の方を見た。
「颯太も気付いてるんでしょ?なんで何も言わないの」
颯太は目を閉じた。何かを覚悟していると、さくらにはわかった。
「颯太、駄目だよ」
不安気に、さくらは言った。
「母さん、俺達ーーー」
「やめて!」
「3人で付き合ってたんだよ」
言ったのは、風磨だった。
翔吾と瑠美は理解できぬ様子で、風磨を、そして颯太とさくらを見た。
「まぁ正確には、颯太と俺のどっちも、さくらの彼氏。で、今度はどっちも旦那で、お父さん」
「何を、、、言ってるの?」
瑠美が颯太とさくらを、嫌悪の顔で見た。
「本当は、どっちの子供かわかったら、さくらが選ぶ筈だったんだ」
「どっちの子供って、、、お前ら、何をしてるんだ」
翔吾はもはや怒りなど湧かなかった。理解が追いつかない様子だった。
「私です。私が2人と付き合いたいって言ったんです」
さくらが言うと、瑠美はさくらを睨んだ。
「なんてこと、あなたじゃあ、2人のどちらとも、したわけ?」
「そう言ったじゃん、今俺が」
風磨が気怠そうに言って、頭を掻いた。
「信じられない」
瑠美は言うと、ぎゅっと鳴人を抱えなおした。
「出ていって、あなたは、今すぐ出ていって」
「お母さんーーー」
「やめて、お母さんなんて言わないで。もう2人にも会わないでくれる?2人も、今日はここに泊まりなさい」
「やめろよ。俺と風磨は、自分で決めたんだ。さくらのせいじゃない」
颯太が静かな声に怒りを込めて、瑠美に言った。
「あなた達、この子に洗脳されて、おかしくなってるのよ。いるのよ、そういう女性。お母さんがまともに戻してあげるから、家に帰ってきなさい、2人共」
颯太は苛立った笑みを浮かべた。
「洗脳なんてされてないって。母さん、鳴人返して。俺達、3人で帰るから」
「駄目よ、駄目。正気に戻って。あなた達のしてること、普通じゃないのよ?」
「わかってくれなくていい。もうここには帰らないから、俺と風磨は」
「どうして?わからないの?そんなことしたって、絶対不幸になるわよ、あなた達」
「幸せだって、俺達は。鳴人返して、母さん」
颯太は、瑠美の前に両手を出した。
瑠美は鳴人を自分の影に抱き直した。
「返してやれ」
ポツリと、翔吾が言った。
「あなた、どうして」
「わからん。もう疲れた。帰ってくれ、お前ら。そして、2度とここには来るな」
そう言うと、翔吾はそこどけ、と風磨をソファからどかせ、腰を下ろしてテレビをつけた。
風磨はその場に佇み、迷いを顔に浮かべていた。
「風磨!!!」
瑠美から鳴人を受け取った颯太が、怒鳴った。
颯太とさくらは、帰ろうとしていた。
風磨は、自分を見ようとしない父親を見つめていたが、やがて諦めたように、その場から離れた。
その背中に、翔吾がぽつりと言った。
「お前が1番苦しむぞ」
風磨は歯を食いしばり、すべてを捨て去るように、颯太とさくらの後ろについて、家を出ていった。
父親の言葉の意味を、風磨は身に染みて感じはじめていた。
さくらの体調が戻ると、話し合っていた通り、風磨は仕事を辞めて鳴人の育児に専念し、さくらは仕事に復帰した。
孤独だった。さくらと颯太は何も変わらない。ただ、1人で自分の子ではない、鳴人と毎日を過ごす。颯太とさくらは職場は違えど、同じ業種で、風磨にわからない建築関係の話を毎晩していた。
鳴人が生まれる前にもあった日常が、風磨を孤独にさせた。
2人が充実してるように見えた。子育てから解放され、自分の人生を生きている。鳴人を愛するのは、家にいる時だけでいい。
自分は、愛せなくなりそうでも、ずっと鳴人を世話しなければいけない。
こんな暮らし、意味があるのかと、風磨は思いはじめていた。2人の為に自分が犠牲になる意味。
「いいよな、2人は」
颯太とさくらが休日の日。息抜きしてこいよ、と颯太が鳴人をみて、風磨とさくらをデートにいかせた。
モールで買い物をし、カフェに寄った帰り道、上機嫌のさくらの横で、風磨は自分の気持ちを抑えられなかった。
「何がー?」
さくらは、公園の並木を見ながら、楽しそうに聞き返した。
「毎日、充実してるでしょ」
「そんなことないよ」
「子供がいて、働けて、自由で、充実してないわけないじゃん」
「しんどいこともあるって、働いてるんだから」
「俺は楽って言いたいの?」
「言ってないし、思ってもない。何?何か溜め込んでるの?嫌なことあった?」
「毎日だよ!!」
堪えられず、風磨は怒鳴った。
「毎日毎日、自分の子じゃない赤ちゃんの世話して、2人が楽しそうにしてるの見て、俺があの家にいる意味ある?さくらの幸せごっこに、俺巻き込まれてるだけじゃん!!」
「ごっこって何?幸せでしょ?私達は」
「ごっこだよ!3人じゃなきゃ幸せになれないなんて、結局こうやって、2人が子育てから逃げる為に、俺を利用する為に言ってたんだろ!!」
「なんでそうなるの?ずっと3人で幸せだったじゃん。風磨が鳴人のことみるのだって、話し合って決めたでしょ?」
「望んでない、俺は!!」
風磨の言葉に、さくらの表情がみるみるうちに不機嫌に変わった。
「がっかり。そんな生半可な気持ちだったの」
「どっちがだよ!本来はさくらの役目だろ!女なんだから、子育てするのは!!」
「なんでそんなこと言えるの?家族のこと考えたら、稼げる私と颯太が働くのが良いに決まってるじゃん!!」
「じゃあ、俺の幸せは?自分の子じゃない赤ちゃんの世話するのが、俺の幸せなわけ?」
「あのさ、鳴人は3人の子でしょ?」
「それがそもそも意味わかんないし、颯太とさくらの子じゃん!」
「だから、私達は3人は一緒じゃなきゃ駄目なの。そうじゃないと幸せじゃいられないって、何度も話したよね」
「それが意味わかんないって言ってんだよ!俺の幸せをお前が決めんなよ!!」
「何?今、お前って言った?」
さくらが眉間に皺を寄せた。
「そこで怒るの?本当にわかんないよ、さくらのこと」
「私にはわかる、風磨のこと」
「どこが?俺、今幸せそうに見える?」
「見えるよ。幸せ過ぎて、それが見えなくて、不安で、騒いでるだけ」
「はあ?」
「言っとくけど、私達から離れたって、風磨は幸せにはなれないよ。目の前の幸せに気付けない人が、どこにいったって何をしたって、幸せがわかる筈ない」
「だから、この生活の何処に俺の幸せが」
「幸せってさ、心にあるもので、生活の中にあるんじゃないんだよ」
「なに?」
「どんな生活してたって、幸せな人は幸せなの。それがわからないなら、どこで何してたって、風磨は一生、幸せになれない」
「言ってること、さっきと違わなくない?目の前にあるって言ったよね、幸せ」
「心にあることに気付けないと、目の前の幸せだって見えてこないの」
「わかんないよ、もう」
「あの、エリマキトカゲだっけ?すぐ死んじゃったけど、風磨が飼ってたの」
「フトアゴね」
「その世話をしてた風磨、幸せに満ちてたよ」
「ええ?まぁ可愛かったけど、幸せは違うんじゃない?」
「それ見てさ、私、風磨ならお母さんになれるって思ったの」
「はあ?前に言ってた根拠ってそれ?軽っ、薄っ」
「そんなことない。自分の幸せが何なのか、風磨はわかったんだって、思った」
「フトアゴと赤ちゃんは大分違うよ」
「風磨の幸せは、無償の愛だよ。与える側の。仕事がいいとか、子育てがどうとかじゃなくて」
「わかんない。さくらの思い込みでしょ」
「違う。風磨は愛で満たされて与えることが幸せなの」
「ああ、もういいよ。とにかく俺はもう、今のままは無理。帰ったら、颯太にも言うよ」
「言ったって何も変わらないし、風磨は鳴人の親だから」
「はいはい」
うんざりしたように風磨は言い、さくらの前を歩きはじめた。
その背中に、ポツリとさくらが呟く。
「逃げないでね」
「俺も、さくらが言ってることが正しいと思う」
颯太はそう言って、ペットボトルのコーヒーを口に運んだ。ベビーベッドに鳴人を寝かせて、3人はリビングに居る。
「どこが?」
信じられない様子で、風磨は言った。
「風磨は家庭に入ってた方が合ってるよ。働くより」
「自分達が働きたいから言ってんでしょ」
「違うって。3人で誰が母親的かって言ったら、風磨なんだよ」
「ほーらね」
さくらが、ドヤ顔で風磨を見た。
「そんなの、2人が思ってるだけのことだろ」
「それで十分だろ。3人のことなんだから」
「3人、3人って、そもそもなんで3人にこだわるの?あの時は試しに付き合って、確かに幸せだったからずっと一緒だったけど、こだわる必要ないよね」
風磨の言葉に、颯太はさくらの方を見た。
「はぐれちゃ駄目な関係ってあるの」
さくらは言うと、あぐらをかいて座りなおした。
「でも恋人にこだわる必要はないんじゃ。今は夫婦か、親か」
「私達3人が離れて、幸せになることなんて絶対にない」
力を込めて、さくらは言った。
「さくらのその考えは何処から来るの?」
「出会った時にビビッと感じたの。私達は絶対離れちゃいけないって」
「颯太も?」
「俺はさくらに言われてから、そう感じるようになった」
「洗脳じゃん」
「理屈じゃないから。前世とか、パラレル世界の私達とか色んなところから、私にそう訴えてる、3人一緒じゃなきゃ駄目だよって」
「なんか変な本でも読んだ?」
「風磨には言ってないけど、私、本当はこんななんだよ」
「マジ?」
風磨は颯太を見た。
「風磨は受け止められないだろうって、黙ってた」
「そんな隠せるものなの?ずっと一緒にいて」
「まぁ、私のことはいいから、どうするの?風磨」
「どうって、、、。俺はこのままじゃ嫌だ
」
「じゃあ自分で決めるしかないね。このまま拗ねて鳴人を育てるか、幸せに鳴人を育てるのか」
「いや、どっちも一緒。選択肢あるよ詐欺。変わんないじゃん、俺の暮らし」
「そういうものなの、人生は。選べるのは、不幸なままか、幸せでいれるかってことだけ」
「このままの暮らしで幸せを見つけろって?」
「見つけるんじゃなくて、あるの風磨の中に、幸せは」
「ごめん、無理。そういう抽象的な言い方じゃわからない」
「わかるまで逃がさないから」
「こわっ。ただの束縛じゃん」
「だって、このままだと、風磨不幸まっしぐら」
「いやもういいよ、不幸でもなんでも、この生活から離れられるなら」
「私達から離れることが幸せなの?」
「幸せは心にあるんでしょ?だったら、颯太とさくらから離れようが、俺は幸せなんじゃないの?」
「逃げからの選択じゃなきゃね」
「いいよ、逃げでもなんでも。俺はこのままは嫌なんだよ。そんなんで、ここに居て、幸せになるわけない」
「どこにもない、幸せは。探して見つかるものじゃない」
「もうやめてくれない?結局、さくらの幸せごっこじゃん。自分の価値観押しつけるだけのさ。俺の気持ちとか感情、全部無視して」
「そんな気持ちも感情も全部捨てて」
「俺に心殺して生きろって?さくらの幸せの為に?」
「3人の幸せの為だから。それに心を捨てるんじゃなくて、形にこだわるのを捨てて欲しい」
「形にこだわってるのは、さくらだろ。ずっと3人一緒なんて」
「私はこだわってない。ありのままの自分でいるだけ。風磨だって、わかるよ。幸せだったら、どこでどんな生活したって、大丈夫だって」
「じゃあさ、さくらが鳴人の世話してよ。さくらは幸せなんでしょ?だったら何したっていいじゃん」
「それは私のしたいことじゃない」
「俺だってそうだよ!なんだよ、わかったようなこといって、わがままなだけじゃん」
「わかってよ。風磨が幸せになってくれたら、それで3人で生きていけるんだって」
さくらは言って、両手をぎゅっと握りしめた。
「風磨、本当にいいの?このまま俺達と離れても」
颯太が真っ直ぐ風磨を見つめて、言った。
「いいわけないだろ。一緒に居たいよ、俺だって。でも無理なんだって、このまま鳴人の世話するだけの生活は」
「大丈夫だよ、風磨なら」
「大丈夫じゃないって、、、」
風磨は俯いて、嗚咽を漏らした。
さくらと颯太は黙って、風磨を見守った。
ポンっと風磨の足下で、ゴムボールが跳ねた。
「ボールとってぇぇぇ」
鳴人の声に振り向き、笑顔になって、風磨はボールを拾って鳴人に投げた。
ボールは鳴人を飛び越え、一緒に遊んでいる颯太の下へと転がっていった。
「気分良さそうだね」
さくらが朗らかに微笑みながら、ペットボトルのコーヒーを風磨に渡した。
「変な夢見たんだ。俺達3人みんな血の繋がった兄弟でさ、同じように仲が良くて、養子をもらって育てようするんだけど、2人が事故で死んじゃうんだよ。俺は途方に暮れて、養子の子供と取り残されて」
「どこかのパラレルワールドかもね〜」
「なんかさ、2人がいるありがたみがわかった気がする」
「いまさら〜?」
拗ねたように、さくらが眉を寄せたので、風磨は笑った。
「わかってたよ。でも、改めてさ、この幸せの為に俺は生きてるんだな、と思った」
「一時は失いかけましたけどね〜」
「結局、さくらの言う通りだった。心に幸せがあるってわかったら、なんでもなくなったよ。いや、大変だったんだけどさ、自分を見失わずにいられた」
「わかってたよ、颯太も私も、風磨は絶対大丈夫だって」
「本当かよ。やっぱり2人が自由に生きる為にさ、俺を洗脳したんじゃないの?」
「違うってば。風磨がちゃんと自分で気付いたんだよ」
「まぁ理解はされないだろうけどな、他人には」
「気にしなくていいの、そんなこと。自分の幸せは自分にしかわからないんだから」
「さくらさぁ、本気であの時俺が2人と別れてたら、俺は一生不幸なままだったと思う?」
「さぁどうだろ。また戻ってきたんじゃない?やっぱ1人は無理とか言って。で、結局ハッピーエンド」
「まだわからないけど、俺達がハッピーエンドかは」
「私にはハッピーエンドしかないの」
さくらは言って、両腕をあけで体を伸ばした。
「私達だけのさ、幸せの世界、生きていこうよ。4人で愛を束ねて。世界がどうなったって、びくともしない幸せの中で」
「その自信は何処から来んの?」
「知ってるだけだよ。この世界には結局、愛しかないってこと。何が起きたって、幸せにしかならないから、私達は」
「なんとなーく、わかる」
「何となく?」
さくらは笑い、えいっ、と軽く風磨の足を蹴った。
「修業がたらーん」
そう言って、さくらは鳴人の下へ駆けていった。
風磨も歩いて、その後を追う。
幸せを、自分達の幸せを生きていける。そのことが何より大切だと、思いながら。