雫
ある雨の日、雫が落ちた。
梅雨
突然雨が降ってきて、近くのバス停へ走った。薄汚れたベンチに腰掛けて、濡れた頬をハンカチで拭った。ベンチを取り囲むようにしてトタンで壁と屋根が作られている。しばらくしてもバスは来ない、雨止みも、来ない。諦めて、カバンから茶色い紙のブックカバーが着けられた本を出して、ページを捲った。甘い匂いがして、隣に人が座ったのがわかった。構わず本を読み進めようとしたが、声をかけられた。
「ねえ、何してるの?」
透き通ったような声だった。
「雨が止むのを待ってるの。」
相手の顔を見ずに答えた。
「そう。ねえ、私と話す気は無い?」
「話して、欲しいんでしょう?」
本を閉じて、カバンにしまった。
「今日はやけに素直なのね。」
「だって、私が話さないと帰してくれないから。」
彼女は、薄く笑った。
夏
ポツ、ポツと雨が降ってきて、またいつものバス停に向かった。彼女が私を呼んでいる。行けば既に彼女は座っていて、私はため息をついて隣に座った。
「もっと他の呼び方はできないの?」
「だって、こうでもしないと呼んでも来てくれないんでしょう?」
あと何度、彼女は雨を降らせるのか。
秋
初めこそパラパラと降っている程度だった雨が、バス停に近づくほど強くなる。今日もため息をついて、バス停に走った。
冬
この日は朝から強く雨が降っていた。彼女が強く私を求めているのだ。あと何度、雨が降れば彼女は満足するのか。学校が終わってから、すぐにバス停に向かった。
「どうしたの?」
傘を閉じて、既にベンチに座っている彼女に問いかける。
「君は、いつまでそうやっているつもりなの?」
彼女は立ち上がって私を抱き寄せた。彼女の髪からは甘い匂いがした。手を握れば、氷みたいに冷たかった。
春
この頃、雨が降らない。定期的に起こっていたことが起こらなくなると不安になるもので、無性に彼女に会いたくなってバス停に走った。私が待っていれば、彼女も来るだろうか。そう思ってバス停でしばらく待ってみたが、彼女は来なかった。あの人間味のない笑顔が無性に見たくなった。
梅雨
彼女と会えなくなってからずっと、雨が降っていない。六月に入ったんだからそろそろ降ってもいい頃なのに、そう思いながら誰もいなくなった教室を後にしようと椅子から立ち上がる。すると突然雨が降り出して、私は学校に閉じ込められた。彼女が、呼んでいる。きっともう私も彼女と同じところに行かなければならないのだ。そう思った。荷物は持たずに学校の階段を上がって屋上のドアを開ける。彼女は、そこに居た。
「やっと逢えた」
私は一年ぶりに雫に笑って見せた。
「ねえ、早くおいでよ」
雫は生気のない笑顔で私に手を伸ばして、私はその手を握った。相変わらず、温度はなかった。
私は一年前のあの日の雫と同じように、あの日から時が止まった雫と一緒に、落ちる。