第二十九話 正義のスーパーヒーロー②
『何でアイツが生きてるッ、しかもむき、ず………あり得ない。そんな生物ッ、そんな物体この地球上に存在して良い筈が、ない』
ニカが酷く震えた声で言った。初めてかも知れない、彼女が本気で心の底から動揺している声を聞いたのは。
その存在は数時間ディックとニカが与えてきた無数の傷が全て幻覚であったかの様に荒れ一つ染み一つない身体で立っていた。ニューディエゴの直線距離一キロを瓦礫の山に変えた最終兵器によるダメージの痕跡も一切見当たらない。其れどころか全身から発するエネルギーは更に増し、100メートル以上離れているにも関わらず全身を炙られる様な熱を発している。
ディックは一瞬攻撃が外れたのだと希望的観測へ走りそうになる。しかし直ぐに攻撃前は無事であったパワードスーツが一部を除いて粉々に砕け散っている事に気付き、非情な現実を叩き付けられた。奴は攻撃を受けたその上で無傷なのである。
何が起ったのか全く理解不能。そしてあれでダメージを与える事が出来ないのならもう他ではどうしようも無い、万事休すだ。
あの攻撃に使われていた技術はどれ一つとっても莫大な時間と金と寿命を犠牲にして手に入れた物、言うなればそのままディックの生涯と言っても差し支えない。加えてその為に此れまで家族に多大な負担を掛けさせてきた。
つまりあの最終兵器が通用しないという事は自らの生涯が全て無駄に成ったという事、家族の苦労が全て徒労に終わってしまったのだ。自分達の人生に価値など無かったと面と向って言われたのと等しい。
悔しい、申し分け無い、悲しい、絶望、無力感、怒り、そんな感情が奥底から湧き上がって来る。
しかし…………
「ハッ、ハハハ……やはり凄まじいなヒーロォォォッ!! 我が輩程度の奥の手を平気で耐えてみせるか! 本当にッ、本当に憎らしい奴め! あのままくたばっていれば良いものをォォッ!!」
しかしそれを押し退けてしまう程の歓喜にディックは震えた。やはり自分のヒーローは誰よりも強かった、その事実が嬉しくて仕方が無いのだ。
それは余りに自己中心的な感情。手に掛けた身、家族を待たせている身として無責任が過ぎると口にはしなかったが心の何処かであの攻撃を受けても尚ヒーローが立ち上がってくれる事を期待していたのだ。そして結果はその期待を更に上回ってきた。これが1ヒーローファンとして興奮せずに居られようか、いや居られないッ。
加えて何より、取り残されるのが自分ではなくなったという安心感が強かった。
「さあ、戦いを続けようではないかァッ! 決着を付けるぞハルトマン!!」
ディックは過剰なまでのヴィラン節を聞かせた言葉を叫び、もう2度と味わえないと思っていた戦いの興奮を包む様に拳を握り込む。そして先程のゾンビが如く身体を引き摺っていた様子とは打って代わり、地一蹴りで明後日の方向を向く宿敵の元まで飛び込み全身全霊の一撃を見舞ったのだった。
……ッダアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
完全に不意打の形で背後から殴り掛かったディックであったが、彼の拳が到達する寸前でヒーローの背中が消える。そして逆に自らの背中に凄まじい衝撃を受けて瓦礫の上へと叩き落とされた。
別にそれ自体は今更疑問を感じない。あの核爆発にも匹敵するエネルギーと光速に迫る速度と対峙し生還した男なら寧ろ当然と言える。例え360度全ての方向から一斉攻撃を放とうとも凡百がヒーローの肉体に傷を付けられる道理は無いのだ。
だからこの時知覚した99%には一切疑問を抱かなかった。だがそれ故残りの1%にディックは凄まじい違和感を感じる事と成ったのである。
衝撃が突き抜けた背中に残された、どす黒い殺意の残り香に。
それはニカが右腕の主導権を奪って放った一撃の様に人間的煩雑さが存在しない0と1の二進法で動くコンピューターの様な攻撃。
これまでハルトマンが打ってきた攻撃に妥協は無い。しかし拳を喰らった場所がジーンとなる暖かさが、ダメージを受けている筈なのに何故か腹の底に力が湧いてくる様な不思議な温度が、互いに互いを限界の先へと引っ張り上げる熱さがあの場には確かに存在していたのだ。
しかし今背中を貫いた衝撃には、目的以外の全てを削ぎ落した白刃が如き冷たさしか感じる事が出来ない。
ズザァ、ズダアアアアアンッ!!
背後より衝撃を受けて地面に転倒したディックの後頭部へ容赦ない踏みつけが飛んで来た。
酷く無機質で不純物の一切無いインパクトを頭に受け気力が一気に削がれる。身体に纏わせていた熱気が一瞬で霧散していく。突如見知らぬ通り魔に後ろから刺された様な温度差に全身の筋肉が凍り付いていくのが分かった。
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
突然空間を埋め尽くしていた呼吸音さえ憚られる静寂が裏返り、ヒーローの完全復活を祝う歓声が弾けた。まるで失った分を取り戻すと言わんばかりの天地が震える大音量である。
そして彼の称える群衆の声にヒーローは片足でヴィランを踏み潰した状態のまま右手を挙げて応える。その顔に浮ぶのは笑顔、豪快ではあるが決して嫌らしくはない上下左右何処からでも当然正面からでも写真映りの良い笑顔だ。
しかし誰より近くで見上げたディックの目には、その綺麗なへの字に曲がる青い瞳がまるでプラスチックの様にくすんで映った。奴の瞳は何も見てはいなかったのである。
「誰やお前はァァァァッ!!」
ディックは確信した、この自らを踏みつけにしている男はルネフォンス・ハルトマンではないと。
彼の知るルネフォンス・ハルトマンとは作り笑顔が下手糞で、一度に一つの事しか出来ずに正面突破しか能が無く、殴りながら殴り返される事を望む様な男だ。そして存外自分のしたい事をしている時だけ本当の柔らかな笑顔を見せる俗人的な一面も持つ男なのである。
その自らの宿敵が、こんな面白くも無い場面で器用に笑ってみせる訳が無いのだ。
「…………私がだれか、ですか」
歓声に紛れるが何とか足下にだけは届く声量で、その男は視線を何処か遠くへ向けたまま言葉の端に笑いを含ませながら言った。
「私は正義、正義のスーパーヒーローですよ」




