第二十話 純粋さの伝染
「やあ、今回は一週間前と立場が逆に成ったね」
「…ハルトマン…………………せんせ、いッ」
「はは、その呼び方をしてくれたのは久しぶりだね」
ベッドで意識を取り戻したバルハルトにハルトマンが穏やかな口調で話掛ける。しかしその言葉の直後、過去の記憶と今の状況が一本の線で繋がったバルハルトは顔を悲痛でゆがめた。そうだ、自分は考えうる中でも最悪の負け方をしておめおめと生き残ってしまったのだ。
肌で感じる優しい視線が痛かった。いっそ、何故この大切な時期にどこぞの馬の骨とも分からぬ者に負けたのかと罵倒してくれればどれ程楽だったか。
「済みません、僕は……ッ」
「ああッ、動いてはいけないよ。特に首だけは注意しないと。医者によると我々でなければ重篤な後遺症、最悪死んでいてもおかしくない程頚椎が損傷しているらしい」
体を起こしハルトマンに謝罪しようとしていたバルハルトは指摘されて急に首の裏側にゾクリとした物を感じる、まるで命を直接指で撫でられたような感覚だ。そして同時に全身が急に痛みを訴え始める。
「……ッ」
「悔しいだろうけど、今はそうやってベッドに体を預けて休ませるのが先決だ。人は傷ついて痛め付けられて立ち上がる度に強く成る、肉体的にも精神的にもね。その傷が癒えた時君は間違いなく大きく前へ進んでいる筈だ」
「……ヒーローに負けは許されません。人間の様に傷つくことも痛め付けられる事も許されない。常に先頭へ立ち一度も足を止める事無く前に進み続ける、初めから常に誰より強く恐怖など覚えてはならない…僕はヒーロー失格です」
「そんなに気負う必要はないよ。君は少しヒーローを特別視し過ぎている、今回の一件で君も学んだとは思うが我々の力は何も人の範疇から飛びぬけた物じゃない。種類こそ違えど我々と同等、上回る程の能力を持っている人間がこの世界に幾らでも居る。良くも悪くも個性に過ぎないんだよ」
ヒーローと同等、若しくは上回る能力。少し前の自分であれば鼻で笑ったであろうが、今のバルハルトには笑う事など出来なかった。
数字で表す事の出来ない力。自分が昨夜痛めつけられた心を砕きに来る底なしの悪意。ハルトマンを遂に打倒したプロフェッサーディックの何度倒され屈辱を味わおうとも折れない心。
確かにそれらに比べて自分たちの持つ怪力や飛行能力や超回復力がどの様に優越しているのかを説明する事は出来ない。自分はそれらの能力を持つ人間達に比べて優れていると、もう心から言えなくなってしまった。
だが、それでも…
「僕は一番が良いです、ヒーローが一番じゃなきゃ嫌です。もう…ッ、二度と負けません。どんな手を使ってでもこのヒーローの力が世界で一番だって証明してみせます。僕は人類の頂点に立つ男じゃなかった、だからッこれから上に立ってる奴全員を引きずり降ろして頂点に立ちます…ッ!!」
バルハルトは涙と共に自分の中に真っ黒な稲妻が迸るのを感じた。昨日ピエロマスクから受けて心を跡形も無く砕かれたあのどす黒い感情と同一の物、それが体内に残り続けまるでウィルスの様に増殖し発症したのだ。
思考がシンプルで単純に成っていく。ヒーローの力が世界最高であるという事を証明する、その至上命題以外の無駄な雑念や固定概念が焼き尽くされて精神が研ぎ澄まされていった。
それが神の聖火か地獄の業火かは分からないが、皮肉にも敗北し全てを失った事でバルハルトは今までにない熱を自分の内に感じたのだった。




