第十九話 天狗の鼻を叩き折る①
「ガアァァ……クソッ痛てえ!! オエッ!!」
余りに人の道を外れた飛び蹴りを見舞った数分後、地面で脇腹を抑えながら悶えていたのはフートの方であった。
フートはいくらハルトマンと同じ力を持つ男と言えどもこのバイオスーツによって強化された身体能力でもっての不意打ちは避けられまいと考えていた。そしてその確信は死角より放った蹴りがバルハルトの後頭部まで残り10センチの距離を通過した時点でも陰りは無かったのである。
だがしかし、命中を確信した瞬間それは起こった。突如足に万力で挟まれたかの如き圧力を感じて視界の全てが灰色に染まり、全身隈なくをアスファルトの地面に包み込まれたのである。
受けた物理的衝撃はそこまで大きくは無い。だが確実に視覚外からの攻撃であったにも関わらず対応され、しかも足を掴まれ地面に叩きつけられたという事実に対する精神的衝撃がフートの頭をフリーズさせる。自分は何かとんでもない勘違いをしてしまっていたのかも知れないという予感が浮かんだ。しかしフートはそれから意識を逸らす様に跳ね起きバルハルトへと殴り掛る。
バルハルトは無傷で起き上り向かってきた事に少し驚いた様であったが、それだけであった。決定打は宙に残像で線が引かれる程の回し蹴り、その容易にスーツの防御力を貫通し骨肉を滅茶苦茶に破壊する一撃をまともに喰らい今に至る。
「勘違いしてた……オレは師匠じゃないッ。中二病だったのは、調子に乗ってたのはオレだったんだ。ハハ、情けねえッ…………みっともねえな雑魚の癖にでけえ口叩いて。妄想ばかかりで、現実何て全く見れてねえじゃねえか」
不意打ちという卑劣な手段を使った上で返り討ちに遭ったフートは、自分の情けなさにもう笑うしかなかった。天狗鼻を折られたのは自分だったのだ。
フートは蹴りを受け身体が浮かび上がった瞬間、脳内でハルトマンの攻撃を受けたプロフェッサーディックの姿をイメージした。どんな攻撃を喰らっても完璧に受け身を取ってダメージを最低限にし何度でも立ち上がるその姿を。
しかし実際にその状態に成って分かったのだ、自分には不可能であると。
蹴りのエネルギーが突き抜けて行った途端全身の筋肉が強張り、余りの苦しさに受け身も忘れ地面に叩きつけられた。そして無様にゴロゴロと転がった後も起き上がれず、唯悶えるだけで動けなかった。たった一度の攻撃、たった一度の苦しみでもう心が折れたのである。
身体能力の差で痛み付けられるならまだ恰好が付いた、だが自分は体より先に精神で限界を迎えてしまったのである
自分を勝手に強いと思っていた。妄想と現実は全然違った、本当の戦いは痛いし苦しいし気持ち悪いし怖い、そんな当たり前の事も知らなかったのだ。覚悟何て出来ていなかった。スーツの性能を過信して自分がこんな目に遭うなんてこれっぽっちも考えていなかったのだ。
「パワードスーツを使っているな。何処で手に入れた、言えッ」
心を折られて四つん這いに成ったまま動けないフートにバルハルトが近づき、頭上から言葉を落とす。
恐らく最初地面に叩きつけられた時点で無傷だった事からフートがパワードスーツを纏っている事に気付いたのだろう。そしてそれに気づいた以上もうヒーローとして見過ごす事は出来ない。一気に態度を硬化させ、敵意剥き出しの視線と共に会話ではない全ての無駄を省いた尋問をぶつけてくる。
その尋問に従い全てを洗いざらい吐いてしまいたい、フートはそう思った。これ以上苦しい思いはしたくない、そうも思った。自分の様な雑魚が強者に噛み付いてもなんら意味が無い、そう強く思った。
だがしかし、フートは歯を食い縛って精一杯虚勢を張る。
「さあ? 確かネット通販で買ったんだったかな??」
ドゴゥッ
つまらない冗談を言ったピエロの頭をバルハルトは容赦なく蹴り飛ばした。
ポケットに手を入れ助走も取らず無造作に放った蹴りにも関わらず、フートは首が捥げるかという衝撃を味わい四つん這いから仰向けの状態にひっくり返される。脳が揺れたのか頭上に星が舞った様に思えた。
「許可のない民間人がパワードスーツを着用する事は禁止されている。それはお前が通常の手段で手に入れた物ではない筈だ。言え、誰から受け取った」
「…………確か週末のガレージセールでッ、オエェッ!!」
再び露骨な嘘を吐いたフートの腹にバルハルトは足を乗せ、そしてめり込む程の力で踏みつぶした。
「ウグッ、グッ、ガアアアアアッ!! アアッグ、アアアアアア!!」
「私が情けを掛けると思うなよ。唯の狂人かと思ったが、お前は一線を超えた。それは戦闘用のパワードスーツの筈だ。銃やナイフとは訳が違う、それがばら撒かれているのなら社会が揺らぐ。それ故私の此れからの行動は一切が正義として許容されるだろう」
恐怖によって揺れ続けているフートの瞳とは対照的に、バルハルトは据わった目で偶然遭遇した潜在的不穏分子と相対していた。正義の為ならばお前を殺すぞ、そう直接言葉にするまでも無く伝わってくる。
フートはその自分の行動を完全に肯定している真っ直ぐな瞳が恐ろしかった。
「どうやってそれを手にしたのか言え。10だ、10数える内に返答を寄越さないのならお前の両足を二度と元に戻らない形で折る」
「はあッ!? そんな、ヒーローがそんな…事…………」
とても此れから正義の象徴に成ろうという人間の口から出たとは思えぬ発言にフートは裏返った声を上げる。しかし驚愕に見開かれた目に映ったバルハルトの顔は仮面の様に表情筋が固まっており、その余りに温もりの無い表情は自我の無い処刑器具の様であった。
こいつは間違いなく十秒後に折る、そう確信した。
「10」
「ふざけんじゃねえ、誰が素直にしたがうッ……ぐぐぅぅぅッ!!」
虚仮脅しではないと気付いた以上おめおめとテンカウントを待つ訳が無い。フートは即座に立って逃げ出そうとしたが、腹の上に置かれた足が胴体を地面に押さえつけ起き上る事を許さない。さらにバルハルトは性が悪く腹へと掛ける力を一段上げてきた。
「9,8、7」
「勝手に数字進めてんじゃねえよッこのクソ野郎、足退けやがれッ…………があああッ!!」
背中を地面に付けさせられた状態では碌な抵抗に成らないが、それでもフートは必死にこの窮地を脱しようと拳をバルハルトの脹脛に叩きつけた。そして当然バルハルトは表情さえ変える事なく一定のリズムで数字を刻み続ける。
トンットンッというユピテル腫発現者を怯ませるには余りに役不足な音はフートにも聞こえていた。だがそれでもフートはまるでロザリオを握りしめが如くに拳を打ち付け罵声を上げたのである。
常に動作に意識を向けておきたかった、口を動かして舌を使っておきたかった。それ以外の本心が漏れない様に。
「6、5,4」
「クソッ、ふざけんじゃねえ…クソッ! クソッ! クソがァッ!!」
こんなのオレの思い描いていた戦いじゃない、そう思った。自分はもっと特別で、プロフェッサーディックよりも上手くやってヒーローだろうと全力を出せば勝てると思っていた。少なくとも不意打ちさえ当てる事が出来ず、腹の上から足で踏まれ身動きが取れない何て醜態を晒す筈じゃなかった。
現実は残酷だという言葉はよく知っていたつもりだったが、唯の人間がヒーローに勝てる訳が無いという幼稚園児でも分かる常識を知らなかったとは我ながら驚きである。
「3」
「ま、待って! ちょっと待って!!」
こんな明確に分かりやすく数字を数えてくれているというのに、カウントが3になった所で漸く事の重大さを理解した。あとたった二つの数字を残して自分の足はへし折られようとしているのである。
きっと昨日の自分にこの話をすれば『男なら堂々と足の一本や二本くれてやれ』というだろう。全く愚かである、そんな言葉はテレビの向こう側からポップコーンとコーラを片手にしているから言えるのだ。少し考えれば分かるだろ、痛いのも苦しいのも怖いのも嫌に決まってるじゃないか。
「2」
「言う、言うよッだからちょっと待ってくれ! 数字を数えるのを辞めてくれ!!」
何故自分はこんなギリギリまで黙っていたのだろう、さっさと自分がどうやってこのスーツを手にしたのか言えば良いじゃないか。自分はプロフェッサーディックの弟子でこのスーツは彼が発明した物だと言えば良い。信じて貰えないかも知れないが、それならあの秘密基地を見せれば自分の身くらいは助けてくれるだろう。
「1」
「オレはプロフェッサーディックの弟子で、これはあの人が発明したパワードスーツを借りてるだけだ。信じられないなら証拠がある、プロフェッサーディックの秘密基地まで案内するからそれでオレだけは見逃してくれ!!」そう言いそうになった。
だがそのギリギリで脳内に声が響き、命以外の全てを投げ捨てようとしたフートの手を掴んだのである。
『フート、怖いの?』
それはニカの声であった。彼女の言う通りだ、怖くて仕方がないし逃げられるのなら今すぐ一目散に逃げだしたい。それは一切何も包み隠さぬ本音であり、助けてくれるならどんな物でも差し出すし何にだって縋り付くつもりであった。
だが、彼女に聞かれると途端にそう言えなくなってしまったのである。
『…怖くねえよッ。足が無くなったら腕で這って向かって行ってやる、腕も無く成ってダルマに成ったら首だけで噛み付いてやる。どんなにズタボロに成ってもオレは負けねえよ…………だからッ、見ててくれよなニカ!!』
頭の中で呟いたその一言一句全てが嘘だ。
怖くて仕方がない。足を失ったらきっと痛みで喚く事しか出来ない。腕も無く成ったらきっと絶望に涙を流し唯地面に転がるだけだろう。何故なら自分はたった一度蹴られただけで戦意喪失したチキン野郎なんだから。きっと此れからの、いやもう既に自分の醜態は見るに堪えないだろう。
強がりにすら成っていない、見るからな嘘である。そしてそれは恐らくニカに伝わっている筈だ。
だがそれでも彼女にはカッコ悪い言葉を聞かせたくないのである。この1秒後どんな醜態を見せる事に成ったとしても今だけは最大限カッコ付けたい。
「0」
「……ッ!!」
無意味で愚かだと罵られるかも知れないが、フートは自分の両足ではなく一人の女の子の前で虚勢を張る事を選んだのだった。
『凄いよフートは、本当に恰好良かった。だから…後は私に任せて』
ニカに幻滅されたくないという思い一つで口を噤んでしまい、これから自分に待ち受けている事に対する恐怖で小便を漏らしそうに成っていたフートの頭の中で再びニカの声がした。そして間髪入れずビリッと小さな稲妻が脳内を駆け抜けた様な気がして身体から力が抜ける。
「恐怖に負けて失神したか」
バルハルトは呻き声さえ上げなく成り、完全に力が消えた様子で手足を投げ出し首が曲がったフートを見下ろしそう呟いた。完膚なきまでのバルハルトの勝利ではあるが、此れでは彼も目的の情報を得る事が出来ない。
「おい起きろ、口先だけの雑魚がッ」
無造作に足を振りぬき、まるで蹴飛ばされた枕の様にフートの身体が浮かび上がった。しかしゴロゴロと転がるのを止める素振りもなく、最終的に右手が脇腹の下敷きとなり身体は横向きで顎が肩の上に乗り左手は無作為に投げ出されたという状態で停止した。
完全に気を失っている。
「チッ、無駄に時間を喰う。これだから愚者は嫌いだ…優れた人間の足を引っ張り楽園の実現を妨げる」
どうやらこの場で直ぐに情報を得るのは無理そうだと分かり、無駄に時間を取られる事への苛立ちで顔を顰める。
一旦車を呼びこの男に対する尋問を誰かに任せようか、そう考え部下に連絡を入れようとしたバルハルトの視界の先で奇妙な光景が映った。間違いなく気絶していた筈のピエロマスクの男、その両腕だけが意思を持ったかの如くに動き始めたのだ。
その両腕は初め掌を耳の横の地面に付け、体操のブリッジの要領で上体を起こそうとする。しかし当然それだけで起き上れる訳がなく、頭を半分起こした所で方法を変え始めた。今度は頭と腕を動かし、手を付く位置を試行錯誤し、最終的に腹筋を使う事に気が付いて上半身を起こす事に成功する。
その動きはバルハルトの脳内で生まれ落ちた小鹿が必死に立ち上がろうとしている姿を連想させ、まるで立ち方を一から学んでいっている様であった。
そして其処からはコツを掴んだのか体の各部位を独立して動かすのではなく上手く連動させ、見事に二本足で立ち上がってみせた。
「驚いたな。ずっと意識があったにせよ、今意識を取り戻したにせよ死んだフリを辞める勇気があるとは。いやッ、単に記憶が飛んだだけか?」
バルハルトは地面をぐりぐりと押して足の感覚を確かめている目の前の人影に話しかける。しかし返答どころか何も反応をせず、此方の存在さえ認識していない様な素振りだ。
「無視とはいい度胸だ。足の骨を折るという話はまだ続いているのだが」
余りにも自分を意に止めない素振りにバルハルトは脅迫と取れる言葉を送った。だがピエロマスクは更なる挑発のつもりなのかクラウチングスタートの様な体制を取り、頻りに手や足を置く位置を調整している。
その余りに舐め腐った態度にバルハルトは再び口では無く体に問いかける事に決めた。
「どうやら気絶し記憶を落としてきたので間違いないらしいな。良いだろう、もう一度力関係を身をもって教えてッ…」
ダッ……ズダアアンッ!!
バルハルトよりピエロマスクへと向けられた最後通知は鼻骨の粉砕する音によってかき消された。突如飛んできた音速を超える一撃がヒーローの顔面を貫いたのである。
バルハルトに襲い掛かったのは、底なしの愛が裏返った際限なき悪意であった。




