第十三話 待ち望んだ結果
「………フッフフフッ、ハハハハハハッ! アハハハハハハハハハッ!!」
終わったゲームセットである。
だがこれで良かったのかも知れない、今であれば恐怖に屈する事無く安楽へと向う事が出来る。自分は臆病者、濁流に流される木の葉に過ぎない。だから何処かへ行きたいのならその求める場所へと向う濁流に乗るしかないのである。
今ならヒーローのまま死ぬ事が出来るかも知れない。
「アアアアアアアアアアッ!」
ハルトマンは突如として跳ね起き、先程と比べ物に成らない速度でディックへと向っていく。そして力の限り拳を握り締め身体に存在する筋繊維を一本残さず利用した全身全霊の一撃を叩き込んだ。
ゴンッ
まるで唯の人間が鉄の塊を殴り付けたような音がしてスーパーヒーローの拳が弾き返された。反作用による衝撃が骨の髄まで伝わり、痛みと痺れが右腕全体に纏わり付く。
「ハアッ………ハアッ………アアッ!!」
右左右と今まで数え切れない程の凶悪な犯罪者達が沈められてきた黄金のコンビネーションが放たれる。そのビルをも粉砕する一撃は布切れ一枚挟まれる事なくディックのパワードスーツに吸込まれ破壊力を解き放った。
そして、巨山を殴り付けた様なビクともしない感覚と共に跳ね返される。
余に一方的な展開、ディックはピクリとさえ身体を動かす事が出来ずにスーパーヒーロー攻撃を受け続けている。しかしその筈なのに、何故か傷付くのはハルトマンの方ばかり。
金属を殴りつける音がする度に拳が赤く変色し、それが紫に成って広がり、指の付け根の皮が破け、形状が歪み、更にドッと溢れだし地面に滴り落ちた赤い液体を見たディックの中で何かが弾けた。
「なッ、なッ……………なんやそれわァァァッ!!」
彼が放ったのはフェイントも何も挟まぬ大振りで直線的な裏拳。その絶対に当たるはずの無い攻撃が命中し、ヒーローの身体が吹飛び血飛沫が舞ったという現実が受け入れられなかった。
「ワシを、ワシを馬鹿にしとるんかッ! そうやろ、そうやって言えェッ! 何やその醜態はッ。ワシは未だ倒れておらんぞ、悪が未だ二本足で立っとるッ! なのに何でお前が先に膝を突いとるんや!! 立て、立ってワシと戦えハルトマン!! 正義は必ず勝つんやないんかァッ!! ふざけるなアアアアアアアッ!!」
コンクリートの上を転がされ蹲るハルトマン目掛けてディックが怒りで震える声を浴びせた。余の興奮に口調を繕うことさえ忘れてしまっている。
そしてその言葉に応える様にヒーローは立ち上がろうと藻掻き始めた。
「はははッ………あぁ、そうだよな。君が未だ立っているのに、私が倒れる訳にはいかないよな………」
震えて言う事を聞かない足を両手で支え立ち上がり、血と砂に塗れた顔で笑顔を浮べるハルトマンの姿を見た時にはもう堪えられなかった。この瞬間ほどパワードスーツで顔が隠れていた事に感謝した時はない。
何が起ったのか分からない。だが今までのどんな攻撃よりも深い傷をその光景はディックの胸に刻んだのである。
「はああああああああッ」
ハルトマンが声を上げて向かって来る。既に壊れて真っ赤に染まった拳を超合金の外装に叩き付け、体当たりし、最後は頭突きまでしたが何も変化は生まれない。鐘を叩く様なゴンゴンという音が唯響くのみ。
「もう………やめてくれ」
外に漏れないギリギリの声量で呟いた。
ディックも人間だ、一度くらい倒してみたいと思った事もある。自分がこの男を打ち倒して歓声を向けられる側に立ってみたいと思った事だってある。
だがそれがいざ現実と成ってみて分かった、こんな事誰も求めていない。ハルトマンは勝者だったからヒーローだったのではない、ヒーローだから勝者たり得たのである。
今この空間に勝者は一人として居ない。何も生み出される事無く、唯自分達が今まで作り上げてきた物達だけが跡形もなく崩れ去ろうとしていた。
「もういい、ワシのッ………」
「私の名はルネフォンス・ハルトマンッ!! 正義のッ、スーパーヒーロー。そしてお前はプロフェッサーディック。悪の天才科学者。何を犠牲にしてでも平和を守る………そうだろ?」
悪役の務めを放棄しそうに成ったディックの声をハルトマンが遮る。
そして彼には、その言葉が自分の役割を果たせとハルトマンに言われている様に聞こえたのだ。だがそんな筈は無い、彼はディックの秘密を知らないのだから。
「うおおおおおおおおおッ!!」
まるで今までのディックの様にハルトマンが半壊した身体を根性だけで動かし向かって来る。そして固い金属に拳を打ち付ける音を残し下から突き上がってくる衝撃を受けて宙を舞った。
地面に落下したハルトマンの口から寿命を終える寸前の蝉が如き呻きが漏れる。今の一撃で間違い無く肋は折れただろう、内蔵が傷付いたのか血の混じった咳を吐き出すのが見えた。
(止めてくれ………ッ)
ディックはこの攻撃でハルトマンが気絶してくれる事を心から願った。しかしハルトマンはそれでも震える足と変形した腕を使って起き上がり、再び殴り飛ばされ宙を舞う。
それはまるで残酷な拷問を見せられている様であった。
シナリオが最悪の結末へと一直線に向かって行っている気がした。誰もそんな結末望んでいない。望んでいないのに何か見えない手に引っ張られているが如く二つの操り人形は死へと向って一直線に滑り落ちていく。
「……はああああああああああッ」
ハルトマンはジャンクと化した身体を無理矢理動かし、滅茶苦茶なフォームで回し蹴りを放つ。どんな事をしようとも力の消えた攻撃が分厚い金属の壁を越える事は無い、そんな事当然分かっていながらの全体重を乗せた蹴りである。
足から破砕音と痛みが這い上がってきた。だが其れは覚悟していた痛み、歯を食い縛り腹に力を入れれば耐えられない物ではない。
それでも当然踏ん張りは効かなく成る。ハルトマンは冷たいボディーに抱きついて何とか転倒は免れ、その状態で尚も拳を打ち付け攻撃を続けた。更に拳が完全に壊れる音が聞こえ腕が上がらなくなった後は頭を打ち付け、眉間が割れ滝の様な血液が高い鼻を伝っていく。
ディックはその放っておけば自分で自分の身体を破壊し尽くしそうなハルトマンの頭を掴んで引き剥がし、瓦礫の上へと放り投げた。
(もうッ、立たないでくれ………)
今すぐにでも勝負を投げ出し、目の前に血塗れで転がる恩人に手だろうと肩だろうと何でも差し出したくて仕方が無かった。
しかしこの空間は今多種多様のメディアにより全世界から視線が注がれている。画面の中では許されないのだ、悪が正義に手を貸す等あっては成らない。
世界はルネフォンス・ハルトマンが無敵孤高のスーパーヒーローである事を望んでいる。プロフェッサーディックが冷血で無慈悲で残忍なヴィランである事を望んでいるのだ。そうでなければ意味が無い。
もしもその台本から少しでも逸れてしまえば、世界は夢から覚めてしまう。
だから、ディックに出来るのは皆が納得する悪のままハルトマンが少しでも楽に気を失える様努力する事しか無かった。
しかし、社会はそれさえも許してはくれない。
「大丈夫かハルトマンッ、今助けるぞ!!」
「諦めちゃ駄目だ! 僕達が付いてるッ!!」
「俺達が時間を稼ぐからその間に少しでも体力を回復させて」
「お、俺が相手だクソ科学者ッ! これ以上俺達のヒーローには指一本触れさせん!!」
突如四つの人影が瓦礫の裏から飛び出して来て、ディックとハルトマンの間に割って入った。
恐らくヒーロー劣勢による動揺から規制線の一部が緩み其処から野次馬が飛び込んで来たのだろう。しかも中には警官の姿まであり、ブルブル震えながら銃口を向けてきている。
彼らの勇気ある行動には素直に賞賛を送りたい、しかし同時に面倒な事に成ったともディックは思った。
彼の装備は完全にハルトマンを相手にする事だけを想定して作られている。その為0か100かしかないのだ、手加減して彼らを退けるという調整が出来ないのである。軽く腕を振っただけでも大怪我させかねない。
しかしその事をヒーローは即座に察し、何食わぬ顔で助け船を出す。
「はははッ………私がッ心配されていれば、元も子も無いな」
心拍を使い潰す様な声を吐きながらディックは壊れかけの身体で立ち上がる。
その姿はさながら生まれ落ちたばかりの子鹿で、息を吹きかけただけでも倒れてしまいそうな程弱々しい。だが二十年間街の平和を守り続けて来た男の背中には特別な意味が宿り、まるで勝利が確定したかの様な歓声がニューディエゴ全体を包んだ。
「………もう大丈夫だ、ありがとう。今からずっと隠していた必殺技を使うッ巻き込まれるといけないから少しでも遠くへ逃げるんだ」
「でッ、でも!!」
「大丈夫だ。私を信じてくれ」
その言葉、そのしてその笑顔を向けられて拒否する事の出来る人間等この街には一人としていない。それは最早人々に無条件で勝利の確信を抱かせる魔法であった。
野次馬達が何度も振り返りながら去っていたのを見届けた後、ディックとハルトマンは再び一対一で向かい合う。
「もう良いだろ?」
「ああ、そうだな………正義は必ず勝つッ唯それだけだ!!」
そう一言吐いてハルトマンは地面を蹴り、蹌踉めきふらつきながら懸命に前へ進む。握っているだけで精一杯の筈の拳を掲げて走った。
その痛々しい姿は確かに画面を見詰める人々の瞳に映っていたが、それでも彼の勝利を疑う者はいなかった。例え今がどんなに苦しくても必ず最後は勝利の歓声を上げられると信じているから。
そしてハルトマンは己の中に残っていた全てを燃料として燃やし尽くして宿敵の元へと辿り着き、音さえ出ないパンチをぶつけた。
「負けたよ、ヒーロー」
ドウンッ
逃げる事なく宿敵の一撃を顔面の中心で受止めたスーパーヒーローは花弁が風に攫われるが如くに鮮血と共に浮かび上がり、地に落ちる。そしてもう起き上がってはこなかった。
正義の象徴、ルネフォンス・ハルトマンがこの日初めて敗北したのである。




