第十一話 神の落とし子③
「ニカは知ってるんですか? そのッ、自分が生まれてきた経緯を」
意図せず途轍も無い秘密を抱える共犯者に成ってしまったと思った。そして若しかするとこの真実はニカでさえ知らないのではと思い、フートは恐る恐るディックに尋ねる。
「ああ、この話はあの子が十歳に成った時に話したよ。ショックを受けた顔はしていたが、口では気にしていないと言ってくれた。そんな筈が無いのに、不憫な程優しい子だ。その子にワシは………いまだ………………言えずにいる。最低の父親だ」
どうやら今フートの聞いた内容は既にニカも知っているらしい。そしてそれを聞いた上で気にしていないと言った、ディックの言う通りあまりに不憫な優しさだ。
そしてディックは罪の意識に苛まれているのか声量が次第に尻すぼみと成り、後半はブツブツと何かを呟いていると分かるだけで内容は聞き取れなく成ってしまった。
空気がどんよりと淀み、そしてカビ臭い匂いが漂ってくる。フートは何と声を掛ければ良いのか分からず、炭酸水を口に含みながら黙って言葉を探していると、唐突にディックの顔がハッと閃きの表情に変化した。
「なあフート、お前ニカと結婚する気無いか?」
「ブッブフゥ!! ゴホッ、ゲホゲホッ! きゅ、急に何言い出すんですか!?」
何の前置きも無く180度方向が変わって飛んで来た話の方向にフートは口に含んでいた炭酸水を拭きだしてしまう。そしてシュワシュワと音を立てるキーボードを慌てて袖で吹いた。
一体どんな思考回路をしていればあのシリアスな空気でこんな話題をぶっ込んでこられるのだろうか。やはり自分にはこの人物を理解できそうにない。
「フッ、今のは半分冗談や、でも半分はマジやで。お前には間違い無く守るべきパートナーっちゅうもんが必要やからな」
「何でですか、別に良いですよ………」
「いいや絶対に必要や。少なくともワシが引退して仕事引き継ぐまでには彼女くらい作っとけ。それが師匠から出来る最大のアドバイス、お前が生きて人間のまま帰って来る為の命綱になる」
「命綱?」
「そうや。これはワシの経験則やがな、人間案外失うのが自分一つやと自暴自棄になるもんや。絶対に越えられん壁が目の前に現われれば容易く匙を投げてまう。せやけど帰るべき場所、待っている人が居れば話は別や。どんな壁にだって何度でもぶつかっていける。走馬灯を見て言い人生だと思うか、将又まだ生き足りんと思うかの差はでかいで」
「走馬灯を見て、どう思うか………」
この言葉はきっと文字にすると一番重要な物が抜け落ちてしまうだろう。これはプロフェッサーディックが彼の口から語ったから意味が有る。今まで九十九度負け続けた漢の生き様が其処に現われていた。
フートは彼の全てを犠牲にし、何も持たないにも拘わらずこの世の全てに戦いを挑む姿に憧れた。自分を重ねていたのである。
だがその裏を支えていたのが正反対の感情で、自分の知らない家族であり愛であったとは何とも皮肉であった。
「そしてッ! その点ワシの娘は美人で器量が良い。あの顔を見れば腹に大穴が開いていても生き返るで。それにあの子には人の心を癒やす特殊な力がある、其処もお前にピッタリや!」
ディックは絵に描いた様な親馬鹿面で何度も頷きながら言った。
ニカは確かに魅力的な女性だ、それはフートも認める所である。そして今彼が復讐の呪縛から逃れディックの弟子と成れているのも彼女と過ごした時間による精神変化の影響が大きいだろう。平凡で有り触れた生活の素晴らしさを熱弁するニカの姿に救われたのである。
しかしこの提案を受け入れるには二つの大きな足枷が存在していた。
「………やっぱり、電子世界上の存在は好きには成れんか?」
「それもッ、有りますけど……」
「ああッ! 若しかしてヤれん事気にしとるんか? その点は任せろ今ワシがッ」
「違いますッ!! なッ、生々し過ぎるでしょ!? 良くそんな事自分の娘に言えますね。ていうかッ何で其処まで拘るんですか?」
「フンッ、父親が可愛い娘の幸せを願って何が悪い。ワシはあの子の親としてあの子だけの幸せをプレゼントしてやりたいんや。親も生まれた理由も選べんが、旦那だけは自分で選ぶ事が出来るからな」
「…………それ、師匠が根回ししたら元も子も無いんじゃないですか?」
「……………………た、確かに」
どうやらディックは家族の事となると熱が入り過ぎて空回りする癖があるらしい。
また一方のフートはディックの発した言葉が頭蓋骨の内側で延々反響し続け、言葉を反芻する内に顔が火で炙られている様に熱く成ってきた。
こんな感情に成ったのは初めてだ。ディックの秘密を知った時とは又別種の居心地の悪さを感じ、何か途轍も無くムズムズする。
「作業を再開しましょうッ、犯行予告の時間に間に合わなく成りますよ」
「なんや、案外まんざらでも無さそうやんか」
フートは明らかにおかしな口調と動作でパソコンに向き直り作業を再開した。ディックは暫しその様をニヤニヤしながら眺めていたが、赤い顔に睨まれて彼もまた作業に戻る。
気が付くと常に精神を蝕み続けていた眠気が幻の様に消え、その代わりに胸が強い圧迫感で埋められていた。フートはそれから目を逸らす為に目の前の作業へ集中し、その後小一時間で全ての作業が終了する。
遂に果ての見えない作業地獄から抜け出した二人は即座に道具を投げだし、床にそのまま寝転がって寝息を立て始めた。そして起きたのは犯行予定時刻の何と一時間前。
二人は慌てて無駄に凝ってしまった登場方法に愚痴をこぼしながら今宵のショーの準備に取り掛かったのである。




