第十話 予測
「先ず何よりも考えなならんのは奴の防御力とスピードへの対策。前回の戦いでお前も見たとは思うが、奴のプラズマシールドは反則や。防御に徹されれば此方の攻撃手段が殆ど封じられる。せやけどその防御力を貫通する為に機動力を捨てて威力を取ればそもそも攻撃が当らんくなる」
「おお~!! こうげきッ!!」
彼の言葉に反応したティナにぽかぽか殴られながらディックは彼女の頭を優しく撫でる。
「じゃあヒッグス粒子砲とかどうですか? これなら確実に防御を突き破れるし攻撃範囲も広い。それが今パッと思い付いた最善策なんですけどッ」
「駄目や駄目や、打つまでに時間が掛かり過ぎる。それにあれは理論上粒子を加速させる為に10メートルは絶対に砲身が必要やからそもそも物理的に小型化できん。個人での携帯は不可能で、戦艦に乗せるか固定砲台にするかしか使い道がないわな」
「……それならEEP、いわゆる自己鍛造弾ならどうですか? あれなら長い砲身も必要無いしミスナイ・シャルディン効果による集中作用による圧力で通常砲弾の十六倍のエネルギーを生み出せる。ハルトマンのプラズマシールドを攻略するのに何より必要なのは貫通力、ならこれ以上の適任は無いのでは」
「いやそれは根本にある仕組みがそもそもハルトマンと相性が最悪や。自己鍛造弾は一方向からの爆発によって発生したエネルギーを一点に集束させて金属の板を弾丸状に形成し貫通力を生み出しとる。やから正面からもプラズマシールドによるエネルギーを受けてしまえばそもそも金属板が弾丸状に形勢できず碌な威力が出ん。せやからその案も没やな」
「ならエドムンド理論を応用したチャールズリーシステムなら? モンローの発見したこの仕組みなら例え物理的ハミルトンの壁であったとしてもケネスラッシュ数値が規定範囲に収まりシュルツ発熱による弾丸のアーノルドカンター崩壊を回避する事が出来る。このポンペオの方程式が有効である事はコンドリーザ・ライスが証明してるじゃないですか」
「いいやその理論は間違っている事が214B.C.にフランク・ケロッグによって明らかにされとる。摩擦によって発生する熱がスティティアーニ定数を越えるとジョン加速度がウィリアムデイを上回り機構が融解、そして消費しきれなかったエネルギーはアントニーブリンケンとなって地球の地軸を狂わせ生食用サーモンの漁獲高に負の相関を与えてしまう」
「そうか、オレとした事がウィリアムマーシーを失念していた」
「フンッ、まだまだ未熟やな。要はハミントンフィッシュの論文を如何に熟読できとるかって事や。そしてヒラリークッ」
パンパンッ!!
食事そっちのけで訳の分からない言葉を吐き続ける男達にミコさんが手を叩いて警告を発する。その音聞いたフートは慌ててスープを啜り、ディックはドレッシングを手に取り大袈裟に振った
この日、久し振りに家族全員が食卓に揃っている。
フートは今まで自分に気を遣って地下に籠っていたのかと思っていたが、ディックは彼が弟子に成るという結論を出した後も一日の殆どを地下空間で過ごし続けていた。
そして出された新たな犯行予告。どうやら一ヶ月後に迫ったこの為に時間を惜しんで作業を行なっていたらしい。その結果フートも弟子として色々な雑用や簡単な作業を手伝わなくてはならなく成り、ディックが出てくる所かフートまで地下に引き籠もり状態となってしまった。
今日はフートが二日ぶり、ディックは一週間ぶりの地上での食事。
「……いッ、いや~やっぱり家族全員で揃っての食事は格別やな。特に今日のカレー、これ今日は何時もより良い牛肉使っとるんやないか? 何時もより分厚いし口の中でホロッと溶けるわぁ」
「有り難うございます。豚肉ですけど」
体中張り巡らされた神経が急降下する室内の温度を感知した。
ディックもミコさんもコミュニケーション能力に優れており、誰が相手でも自分の空気に取り込む事が出来る非凡な話術を持っている。その技術にフートは幾度も助けられ、そして憧れていた。
しかし何故かその二人が一カ所に集うと途端に会話が噛み合わなくなるのである。彼等は夫婦な筈なのに全く共通点の様な物がなく、ディックの興味とミコさんの興味が重なる領域という物が全くと言って良い程存在しなかった。
それはまるで回転方向が真逆の歯車が衝突しているかの様。申し分け無いが、フートにはこの二人に何がどう起れば結婚し今に繋がるのかという事を推し量る事さえできなかった。
『ぱッ、パパは豚肉でもこんなに高級感漂う料理を作れるママの腕前を褒めてるのよ!』
「牛肉って豚肉より高いんか?」
『パパは黙っててッ!!』
地球史上6つ目の氷河時代が到来した室内を何とか解凍させるためニカが口を開いた。其れに対しディックが更に不穏な言葉を発するがパワープレーで封じ込め、彼女は空気を再構築しに掛かる。
『要するにパパが言いたいのは値段の違いが分かんない位にママの料理は美味しいって事ッ。ほら見てよ、あの野菜が嫌いなティナが人参とかタマネギ、ピーマンまで嫌な顔せず食べてるんだよ』
「美味しーいッ!!」
ニカからのアイコンタクトを受け、耳打ちでフートが『カレー美味しい?』と尋ねるとティナは期待通りの言葉を大きな声で言ってくれた。そしてそのエネルギーに満ちた声により凝り固まっていた空気が溶けていくのを感じる。
「そう、良かったわ。でも最近料理のレパートリーも頭打ちに成っちゃって、皆飽きてないか心配だったのよね」
『そんな事無いよ、毎日違う料理作ってくれてるじゃん。でもちょっと変わったの挑戦してみたいなら…こういうの如何?』
ニカが瞬きにしては多少長く目を瞑り、そしてホログラムでネット上から拾ってきた画像を映し出した。それはまるでアート作品の様に複雑なアーチを描くパイを赤緑黄の色取り取りなソースが鮮やかに彩る美しい写真。
一体何という料理なのか、そもそも主食なのかサラダなのかスイーツなのかすら初見では判別出来ない一皿。
「これは何?」
『変わった見た目だけど、これでカレーなんだって。分子ガストロノミーっていう最先端料理で、遠心分離機でスパイスや溶け込んでいる野菜を分離させてそれをエスプーマって技術でムース状のソースにしてるの。普通の調理じゃ絶対味わえない体験が出来るんだって』
「あら、面白そうね。それが出来れば料理のレパートリーに困ることは無くなりそう………でも一般家庭で持つのは難しいんでしょ?」
『ならパパに作って貰えば良いよ。ねえ、パパならこの調理機械作るのも簡単でしょ?』
ニカのその言葉を受けて視線を落し無心でカレーを食べていたディックが顔を上げる。そしてニカに表示された調理機械の写真を目に入れた瞬間目を輝かせ、そしてスプーンを回しながらブツブツと呟き始めた。
「これは亜酸化窒素ガスか……ふむ、密閉して振動を与えれば…ノズルからの噴出……。出来ない事はないな。高圧のガスを使っとるから取り扱いには注意せないかんが、幾つか安全装置を仕組めば問題ないやろ。仕組みとしては多少粘性のあるペーストとガスを密閉した容器に入れて振るだけやから難しい事は無い」
『じゃあ、ママに作ってあげれるって事?』
「まあ、其処まで手間は掛からんから良いで。遠心分離機は昔小さいの作ったからそれを使えばええ」
『だってさ! 良かったねママ、パパがプレゼントしてくれるみたいだよッ』
「そう、それは助かるわ。これで毎日の料理のレパートリーに悩む負担が減りそうね。貴方、ありがとうございます」
「お、おうッ。別に大した事やないからお礼まで言われんでも………」
ミコさんからお礼を言われてディックは視線を再びカレーに戻し無言で食べ始めた。ニカやミコさんの方向からは銀色の前髪で隠れていたが、フートの方向からは赤く成ったディックの頬が僅かに見える。
これが本当に結婚二十年近くの夫婦の姿なのだろうか、まるで付き合い立ての初心なカップルの様。そんな反応を見せる師匠の姿にフートは衝撃を覚えた。
始めはあまり仲が良くないのかと思ったが、実際にはそのぎこち無さこそが二人なりの愛の形でだった様である。色々な物が一周回っていて、普段通りの調子に成れないだけだったらしい。
ピロンッ
つい数ヶ月前までは想像さえ出来なかったディックの姿に何とも言えない微笑ましさを感じていると携帯から音がした。気に成って画面を点けると、どうやらニカからのメッセージの様だ。
『空気読んでくれてありがと。お陰で狙い通りの展開にもっていけたわ』
画面に表示されたその文字を見た途端、フートの脳内で電球が点いた。
ニカはどうやらこの結末に成る事を始めから予測していた、ミコさんとディックがどの様な反応を見せるのかを理解していたらしい。いや若しかすると、自分やティナのリアクションまでも彼女の予測通りだったのかも知れない。
以前ニカは株価の値動きをほぼ完璧に予測出来ると言っていて、実際に彼女が生み出した収入によりこの家は回っている。凄まじい演算能力がある事は疑いようのない事実だ。そして若しかすると、その演算能力を持ってすれば人間の行動さえも事前に予測する事が可能なのかも知れない。
だとするならば、それを上手く活用できればハルトマン打倒の鍵となる可能性がある。
フートは自らの脳内に描き出された勝利の設計図を今すぐディックに伝えたいという衝動に駆られたが、今の幸せが濃縮した空気を壊す気には成れず一先ず後回しにする事としたのだった。




