第十四話 オリヴィア
「はあ………」
彼女以外誰も居ない、だがしかしまだ数え切れない悲鳴の残響を肌で感じる空間に一つの溜息が零れた。
今回の事件で大勢の社員が亡くなってしまった、しかもそれには自分達経営陣が下した判断が大きく関わっている。謝罪しても謝りきれない。記者会見でいくら頭を下げた所で自分が背負った責任が軽くなる事は無い。今許されるのは、只管亡くなった方々の冥福を願って黙するのみ。
だがそれなのに、自らの個人的な後悔がそれらの思いを押し退け胸の中心に居座っている私は悪人なのだろうか?
オリヴィアは警察の現場検証が終わり一応のクリーニングを行った惨劇の現場を1人で見回っていた。丁寧な清掃のお陰でまるで何もなかったかの様に事件の痕跡は消されているが、それでも内装が同じままだと社員達も気分を切り替え前を向けないだろうと1階から17階まで全てリフォームする事が決定したのだ。そこで彼女は明日から工事が入るその一つ一つの階を何か問題が無いか事前に確認を行っているのである。
(やっぱり、未だ私の事を許してないよね……)
しかしその重要な仕事の真っ最中であっても頭に浮かぶのは数年の時を隔てて再会した友人の事。いやッ自分が彼を友達と呼ぶのは烏滸がましいのかも知れない。
あの日の一件の事は子供から大人になっても、そして今日まで1日たりとも胸の中から消えたことは無かった。ずっと謝りたかったのだ、自分の不用意な行動を。彼が欲していたのは金なんかじゃ無くどんな状況になっても友達でいるという確信だった。彼は唯何時も通りに接して欲しくて、あんな大変な時に態々私の家へ来てくれたのではないか。彼はずっと苦しんでいたのだ、優等生の皮を被って自分を偽り続ける事に。そしてそれに気付いてあげられなかった私の行為は、唯一偽り無く接する事が出来る友人としての裏切り行為だったのでは。
何度も何度も意味も無く後悔を繰り返してきた。唯の自己満足に過ぎないと知りながらあの日あの瞬間如何すれば良かったのかと考え続けて来た。許されないとしても、それでももし何時かもう一度会うことが出来た時にちゃんと謝れる様にと。
だがそれもやはり言い訳に過ぎなかったらしい。一週間前、遂にその時が訪れたというのに臆して何も重要な言葉を発せなかったのだから。
「………ッ」
あの日が再び蘇った様なここ一週間の後悔と自分に対する失望が遂に視神経へ影響を及ぼし始めたのか、ふと視線をやった窓ガラスにピエロの姿が映っている様に見えた。
何の因果か運命の悪戯か彼に私は救われたのだ。いや違う、私はまた彼を利用したのである。彼は今後悔しているのだろうか? 私を助けたという事実は彼の中でいったいどんな色と共に胸へ仕舞われている? あれだけ後悔したというのに、懲りもせず今だに記憶の中の彼をヒーローの様に見てしまっている私はやはり救いようが無い愚か者だ。
彼女は窓ガラスに映った彼の姿が何となく自分を責めている様に思え、その視線から逃げる様に顔を真逆の方向へと勢いよく背けた。
「あ」
しかし次の瞬間、襲撃事件以来凄まじいスピードで流れていた筈の彼女を包む時間が忽然と止まった。
目を背けた筈の幻覚が追ってきた、その時は本気でそう思ったのである。瞬きを挟み視線を移しても尚幻が拭いきれない程自分は疲れているのかと。だがその目前に現われた幻覚をまるで転んで出来た擦り傷を確認する様な目で見ていると、それが余りに肉感を伴って其処に存在している事に気が付く。
そして視線に射貫かれたピエロが覚えのある声で不意の短音を漏らした瞬間、彼女はそれが幻でなく実体であると気付いたのである。
「…きゃああああああああああーーッ!!」
「うわあああああああああああ~~ッ!?」
自分一人だけだと思っていた空間に別の人間が居た、唯それだけでも絶叫物だというのにその相手がもう二度と会えないと思っていた人物であればその衝撃は計り知れない。オリヴィアはまさか自分からこんな声が出るのかと思う程の声を上げて転倒し、その声に驚いたのかフートも悲鳴を上げる。
「………」
「………ァ…ァッ………………」
しかしその悲鳴が流れた後に空間を包んだのは沈黙であった。オリヴィアは腰が抜けて床にへたり込んだまま口を半開きにして彼を見上げ、フートの方は仰け反った奇妙な体勢で固まっている。
いきなり置かれている状況が一変し、頭が突如溢れた処理しなくてはいけない大量の情報で詰まり思考停止してしまう。だがそのノイズで塗りつぶされ正常な思考など出来そうもない状況であってもオリヴィアは口を必死に動かし声を出そうとする。
それはもう二度と同じ後悔をしたくなかったから。そして今手を伸せば届きそうな程近くに居る彼の姿が、瞬き一つの間にでも消えてしまいそうな程不安定に見えたから。
「フート………だよね?」
「えッ? あ、ああ………そうッだよ……」
「どうして、此処に居るッの……?」
「………き、君の居る場所が分かったから、せめて謝りに来ようと思って。話掛けるタイミングを見計らってたんだけどまさかこんな風に見つかるとは…」
「あやま、りに?」
言葉を覚えたての子供の様にフートとオリヴィアはぎこちない会話を交わす。
だがそんな会話の中で出てきた謝るという言葉が理解出来ず固まったオリヴィアを置き去りにして、フートは突如顔のホログラム装置を取り土下座の体勢となった。そしてまるで熱暴走した機械の如く急に早口となり、此処数年間考え続けてきた謝罪の言葉を一方的に吐き出し始めたのである。
「ごめん、オリヴィア!!!!」
「………え?」
「ずっと君には謝りたかった。もちろん許して貰える何て思っていない、けどせめて謝罪だけでも欲しいッ。全部オレが悪かった、君は何も悪く無い。全部何もかも唯のオレの八つ当たりだったんだ」
「ちょっと、待ってよ………フート?」
「君は誰よりも優しくてどんな事でも笑ってくれて……そんな君にオレは甘えてたんだ。優しい君ならどんな事を言っても受け止めてくれるって身勝手な期待を掛けて、何の関係も無い君に他じゃ言えない鬱憤を理不尽に吐き出した。何もかもオレが悪かった」
「ちょっと、ねえッ、フート……ねえ待っててば………………」
「ごめんッ。言葉程度を幾ら重ねたって贖罪に成らないとは分かっている、オレの事は一生恨んでくれても構わない。だけどせめてオレの自己満足だとしても君に謝罪させて欲しい。ごめん、ごめん、本当にごめんなさッ……」
「待ってって言ってるでしょ!!!! 突然現われてそんなに一方的に謝らないでよッ!!!!!」
突然現われたかと思えば一方的に相手を置き去りにして謝罪を始めたフートへとオリヴィアが大声で叫んだ。するとその声に対してフートは土下座した状態でビクンッと身体を震わせ、アクセルを踏みきり空回っていた口が一瞬止まる。
その隙にオリヴィアは自らのずっと言いたかった事を彼に告げた。
「こんな一方的に捲し立てられても何が何だか分からないわよ! それにその言い方だとまるで私が全く悪くないみたいじゃない、私だってずっとフートに謝りたいと思ってたのにッ」
「え? なんで君が謝るんだよ。オレが全部悪いんだから謝る必要なんてッ…」
「有るに決まってるでしょッ!! 友達が苦しんでるのに気付いてあげられなくて、自分勝手な善意で貴方を傷つけたんだから。私が悪いの、顔を上げてよフート」
「上げられるわけねえだろ! オレはお前に合わせる顔なんてッ」
「顔上げてくれなきゃ私が謝れないでしょッ!!」
「だからお前が謝る必要何てないって言ってるだろ!」
「何でそうやって一方的に決めつけるのよ! 私がこの数年間どれだけ貴方に謝りたいと思ってたか知らないくせにッ!!」
「知らねえよ!! オレは唯お前にあの時の謝罪がしたくて」
「だからそう言うのが一方的だって言ってるんでしょ! 私の話聞いてよ!!」
「ちゃんと聞いてるッ! ……だ、ろ………………」
其処でフートは漸く気付いた、自分が今あの日と全く同じ事をしていると。
オリヴィアの話に耳を傾けず、彼女の心に全く寄り添わず、自分の言いたい事を唯一方的に吐き出している。何も変わっていない。今この瞬間もあの何度後悔したか分からない瞬間と同じ様に彼女を感情の捌け口にしているだけだ。
「………………………ごめんッ。またオレ同じ事してた、ごめん……」
そう言って謝意の証にフートが顔を上げると、その目にあの日を思わせる涙で濡れたオリヴィアの顔が映った。自分の学習能力の低さが心底嫌になる。
「なんで、折角また会えたのに…喧嘩なんてしたくないよッ。私はッ……私はフートに謝って欲しい何て思ってない………ただ、話がしたいだけでッ」
「ああ、分かった。ごめん泣かないでくれオリヴィア……」
「グスッ…………謝らないでって、言ってるでしょ………」
「ごッ………じゃ、じゃあオレ如何したらッ」
フートはついつい謝ってしまいそうになるのを何とか呑み込み、そして彼女へ対して訪ねた。謝ることが出来ないのなら、彼女に断罪して貰う事が出来ないのなら一体どうやってこの捻れ狂ってしまった数年間の感情を終らせるというのか。
その問にオリヴィアも思い当たったらしく、少しの間気まずい間が生まれる。しかしそれでも彼女は納得のいく解決策を思い付いてくれた。
「……………………………半分に分けようよ」
「半分?」
「あの日の事、半分は私が悪くて半分はフートが悪かったって事にする。それでフートに不満が無いならだけど」
「ああ、分かった。お前がそれで良いならッオレは不満なんて無い」
「じゃあ私は、そのフートの半分を許すよ」
互いが互いへ対して感じていた罪悪感、それを二人で均等に分けるという事に決まった途端オリヴィアは何の躊躇も無くフートの罪を許してくれた。
それがフートには信じられなかった。まさか彼女がこれ程簡単に自分を許してくれるとは思ってもみなかったから、自分の犯した罪が許される日が来るなんて考えた事すらなかったから。だがその言葉を放ったオリヴィアの顔は真剣そのもので、聞き返す事すら侮辱となる程真っ直ぐな瞳で自分を見てくれていた。
そしてそう成ると、自分が罪を許されて彼女だけが一方的に罪を背負っているという今の状況が急に居心地悪くなる。迷いなど有る訳が無い、自分の口から彼女を許すという言葉を吐く事自体烏滸がましく感じるが他ならぬオリヴィア自身が求めているのなら迷う必要などない。
「………………それならオレもオリヴィアの半分を許す。お前は悪くない」
「それじゃあこれで全部元通りだね。結経長い時間が空いちゃったけど……また昔みたいな友達に戻ってくれる?」
「………うん。お前が良いって言ってくれるなら、喜んでッ」
何時の間にかフートの肌も涙に濡れていて、フートとオリヴィアは子供の頃へ戻った様な口調と表情で笑った。そして其れだけで巨大な時の壁に隔てられ、数年の時を超えても変わらない物があると二人に確信させたのである。
この瞬間の笑顔も涙も間違い無く本物であった。だがしかしその笑顔の裏で、フートは後に待ち構える計画の歯車としても同時に彼女を見ていたのである。彼女に対して謝罪したい、この街の王に成りたい、その普通に考えて同時に両立させようという気さえ浮かばない物を両立させ得る彼の多重人格的な狂気など、数年の時に隔てられたオリヴィアにはこの時知りようが無かった。




