第四話 フート①
ビィビィビィビィビイビィビィビィ
濁った電子音を聞きながら赤髪の青年は固いコンクリートの上で目を覚ました。音源である目覚まし時計を止め、背伸びと欠伸を挟んで起き上がる。
時刻は未だ朝の5時。この家に存在する唯一の部屋を明け渡し廊下で寝たため全身隈なくが冷えていた。しかし辛いとは思わない、寧ろご褒美である。何せあの超有名ヴィランであるプロフェッサーディックに朝食を作れるという栄誉を賜ったのだから。
ヴィランとは悪役という意であるが、彼にとってプロフェッサーディックとは正しくヒーローの名前であった。自分達弱者の声を代弁してくれる救世主。
その憧れの存在が今自分の家に来ていて、しかも昨夜は同じ屋根の下で眠ったのである。これが興奮せずに居られようか。未だに目が覚めておらず夢の中という心地であった。
「卵もベーコンも牛乳もコーヒーも、出し惜しみせず出来る限りのもてなしをしよう。そして若し気に入って貰えたなら…」
こんな機会恐らく二度と訪れない、そう考えたフートは自分の家にある高級食材を最大限使った朝食を用意する事を決める。そして準備をする為ディックの眠るこの家たった一つの部屋のドアを開けたのだった。
「…ん? おお、起きたんか。おはようさんッ」
何と、扉を開けた先にはもう既にプロフェッサーディックが起きていた。そして青年が廃棄物処分場から引っ張ってきたガラクタ達と自然に溶け込み、何やら機械弄りを行っていたのである。
おはようございます、青年はそう返そうとするも声が出ない。昨夜は緊急事態で自然に会話する事が出来た、だが一晩明けて改めて対面すると緊張で頭が真っ白に成ってしまった。
「まあ、多少雑ではあるが……こんなもんやろッ」
そう言い切るか否かディックが手に持っていた物体を此方へ放ってきた。突然の行動に青年が驚き戸惑いながらも何とか受け止めると、それが昨夜自らがディック救出に用いたショックガンである事に気が付く。
そう言えばこの部屋に昨日起き忘れていた。
「こ、此れは?」
「助けて貰った礼。後でまた改めてどでかい返礼はするが、一先ず今の所はそれで勘弁してくれ。そうやな、とりあえず撃ってみい」
ディックはそう言ってそこらに落ちていた空き缶を拾い、ガラクタが折り重なって多少小高くなっている所に置いた。これを的に試し打ちしろという事だろうか。
渡された銃には以前と比べてあまり変化は見られず、寧ろ軽くなって少しちゃちに成った様にさえ感じる。しかしそれでも青年は憧れの人に言われた通り空き缶へと照準を合わせ、引き金を引いた。
デュンッ
決して大きくはないが鋭く重い音、瞬間的な熱、目に黒い残像を残す強烈な光が引き金を引いたと同時に放たれた。そしてそれらに驚ろき無意識に閉じた瞼を開け、視界に残った黒い残像を辿ると上から先程自らが照準を合わせた空き缶が降ってくる。
その缶に焦点が合った時、青年は自らの目を疑った。それはスチール製だと言うのに大きく窪み、前面の窪みの中心部と背面の大部分が破裂した様に無くなっていたのだ。明らかに以前使用した時に比べて威力の桁が数段飛ばしで上がっている。
「凄え」
世辞でも何でもなく自然とそう声が出た。
マスクが消えた顔は想像以上にシワが刻まれていて、話し方もテレビで聞いていたのとは違い驚いたが、やはり自分の憧れは間違いでは無かったのである。プロフェッサーディックは凄かったのだ。何故か青年はこの瞬間自らの人生全てが結実したかの様に思えた。
そんな驚愕と喜びが混じった表情が浮かぶ顔を満足そうに眺め、ディックは更に口を開く。
「こんなもん巨大ロボットを作るのに比べりゃお遊と同じや、元々あったもん弄っただけやからな。だがバッテリーは今のリチウムイオンのままやと限界がある。それ以上の物を目指しとるんやったら新世代電池を使わな無理や。理想は全固体電池、最低でも空気電池は使わなあかん。あと出力も我武者羅高くすりゃあ良いってもんやない、その屑鉄銃やと4,5発撃てば機構が壊れて使い物に成らんくなる。先ずは耐久性を上げる、話はそれからやな。あとその無駄にデカい図体も何とかせんと実用には向かん、もしワシが作るなら機構を布くらい薄くして手袋状にし究極の携帯性を実現……それから…………更に…加えて…………」
ディックはまた別の何かを弄り始めながら台本を読んでいるのではと思う程ペラペラとアドバイスを喋り続けた。しかも全てが適切で的を得ている。
分かってはいた事だが自分と彼の間に存在している見上げきれない程高い壁を実感した。嫉妬すら感じる事が出来ない、まるで野球少年がプロ野球選手に憧れる様に唯々自分もこんな風に成りたいと思ってしまう。
青年がその様な事を考えキラキラした目を向けていると、ディックは弄っていた物体のネジ止めを終える。何か仮面の様な物が出来上がった。
「よし、これも完成やッ」
仮面の様な物を上下左右から眺めた後、ディックは満足そうに呟く。そしてそれを被り、仮面の内側を指で触ると瞬く間に強烈な光が溢れ彼のシルエットを呑み込んだ。その後光は次第に減衰して弱くなり、下からシルエットが再び出てくる。
だがその出て来たモノを見た青年は更なる驚愕で言葉を失った。
そこに居たのは見た事のない顔をした人物。ディックが全くの別人へと一瞬の内に変貌したのだ。
一応知識はあったので先程の仮面の様な物がホログラム機器だとは直ぐに分かった。しかし分かった上でも感嘆の溜息を漏らさずにはいられない凄まじい技術力である。
「そ、それ……予め持ってきてたんですか?」
「いや? そこら辺に落ちてた鉄屑とか光学ドライブ利用した急増品。さっきのショックガン、それにスーツの応急処置の為にも幾つか借りたわ。流石に至近距離で見られればバレるかも知れへんが、まあ逃げるだけならこれで充分やろ」
ディックは落ちていた金属板の反射で全くの別人となった自らの顔を眺める。そして勢いよく立ち上がった。
「という訳で、ワシはそろそろお暇させて貰うで。色々と助かったわ、ありがとな。また改めてお礼はさせて貰うから楽しみに…………ッてうお!?」
ディックの発した言葉から帰宅の意志を感じ取った瞬間、青年は急に我に返り強い焦りを覚えた。唯々圧倒されるばかりで忘れていたが、そう言えば自分はこの人物に頼み事があったのである。決めていたのだ、もしも今日この願いが聞き入れられなければ潔く首を括ろうと。
青年はとにかく外へ向かうディックの足を止めなくてはという一心に成り、気が付くと彼の足に飛び付いていた。
「きゅ、急に何するんや!! まさか礼が物足りんかったか? 心配せんでも直ぐにもっと凄いもんをッ……」
「お礼なんて要りません。その代わり………オレを弟子にして下さいッ!! 炊事洗濯何でもやります、何なら実験体だって喜んでやります! だからオレを貴方の下で勉強させて下さいッ!!」




