勘違い男になんか妬いてない
これは、ぼくが男だから勘違いしているのか。それとも一般的な考えかたとして正しいのかは分からないが。
今、目の前に座っている女の子は……ぼくのことを好きなんじゃないんだろうか?
とりあえず、情報を整理してみよう。
毎朝……ほとんど同じ時間にぼくは電車に乗っている。時間帯のせいもあるんだろうが利用をしている人間は少ない。がらがら……って状態だ。
目の前に座っている女の子は、ぼくが利用している駅の次……ウメジクというところで乗車してくる。最近は寒くなっていて、白い息を吐き出していた。
電車内はがらがらで、ぼくの目の前の座席以外にも座るところはたくさんある。それなのに……いつもそこに座っている。
これは、そういうことではないのか?
目の前のぼくに、ほれちまっているんじゃないんだろうか?
「いやいや。考えが飛躍しすぎでしょう」
昼休み。教室で三人の机をくっつけ、昼食をとりながら、今朝のことを話していると。幼なじみで女の子に分類されているアンズが口を挟んできた。
「そうか? おれは普通だと思うけど」
「二人とも楽観的だな」
同性であるビワは、ぼくと同じ意見のようだけど……アンズの一言で二人とも一刀両断にされてしまった。
「それに……アケビさ。情報の一部を隠している。いや、気づいてない情報があるよ」
メロンパンをかじりつつ、アンズがぼくに視線を向けている。
「どんな情報?」
「アケビが毎回、同じ座席に座っているのかどうか……ってことよ」
「あー、そういえば……確かに」
ビワも気の抜けた声を出しながら、頷いている。
毎回、同じ座席に座っているのと。毎回、違う座席に座っているのでは……状況などが変わってくる。
「電車に限らず、バスとかでもだけど。通勤や通学をしている人には特定の座席ってものがあっても不思議じゃないでしょう」
「目の前に座ってるんじゃなく、ぼくの前の座席が彼女にとっての特等席ってことか?」
「そういうこと」
アンズがメロンパンの入っていた袋を丸めながら頷いている。
まあ、確かに……ぼくも毎回同じところに座っているし、その可能性は否定できない。
「それじゃあ、アケビがいつもと違う座席に移動すれば。その女の子の気持ちを確かめることができるんじゃないか?」
「いやー、傷つくだけだと思うよ」
ビワの提案に、アンズがつっこんでいる。
「それに……そもそもアケビはその女の子のことが好きなの? いつも……目の前の座席にいるってだけでそういう風に勘違いされるのも迷惑だと思うんだけど」
なにかに対して怒っているようで、アンズの口調はかなり荒れていた。
「まあ……勘違いされるのは迷惑だとは思うけど。ほれたはれたに関してはアンズがぼくに口を出す権利はないだろう……少なくとも校則で恋愛は禁止されてないし」
「ラブフリーダムだからな」
ビワのネイティブな発音がいらついたのかアンズが睨みつけている。が、ぼくの意見に反論はないらしく、立ち上がったままでかたまっていた。
「権利はないけどさ」
ごにょごにょと……アンズはなにかを言いかけたが結局、なにも言わなかった。購買部でなにかを買ってくるつもりなのか、ぼくとビワに背中を向けて……教室の外へと行ってしまった。
「で、その女の子が好きなのか?」
今のアンズの背中を見せられ、罪悪感でも抱いたのか……ビワがぼくに聞いてきた。
「あー、いや。正直なとこ、ぼくにも分からないな。好意を向けられているかも……って幸福感を味わっているってとこかな?」
「少なくとも……ほれたはれたじゃないな。その感情みたいなものは」
「好かれるのは嬉しいものだろう」
「嫌われるよりは嬉しいだろうな」
そもそも……好かれているかどうかもあやしいぜ! とわざわざ伝えてくれないところが男による性なんだろう。
しばらくすると……アンズが戻ってきた。大量の惣菜パンや菓子パンを抱えているのをスルーすることは、できないよな。
「あんまり食べると、ぼくが家まで送らないといけないかも」
「ご心配なく、これくらいは朝飯前だし」
今は昼食をとる時間だけどな……と、つっこむのはやめておいた。
「それで、なんでアケビが私と一緒に帰ってたりするわけ? 例の女の子の尻を追いかけなくてもいいの?」
電車内なので気をつかっているのか、ぼくの隣に座っているアンズが、小声で口を動かしている。
「アンズも女の子だからセーフかと」
冗談はさておき……アンズがギスギスしているだけだが、ビワに悪いからな。
それに原因はぼくのようだし、なぜか。
「女の子なら、誰でもいいんだ」
「変な言いかたするなよ」
昼食の時よりは……かなり落ち着いているみたいだな。口調も普段通りだし、にやつきながら悪態をついているしな。
「ふーん、それじゃあ……アケビのおめがねにかなったわけだ。私が」
「そういうことだな。おめでとうさん」
随分とくだけた言いかたになってしまったが……そう思っているのは事実だ。幼なじみだが、今まで一度も意識したことがない……とは言えない。
まあ、女の子のほうはこんな気持ちにならないだろうから……隣に座っているやつにも理解されないかもしれない。
「アケビ」
「うん?」
電車が発している音のせいで、聞こえにくかったが……ぼくの名前を呼んだようだ。
アンズの声をよく聞くために、ぼくは少しだけ顔を近づけていく。
「アケビはさ。その、毎朝……出会っている女の子のことが好きなの?」
「大抵の男は女の子のことが好きだな」
「そっちの好きじゃなくて、個人的なほう」
「名前も知らないからな。他校だし」
「ふ、ふーん……そっか」
それからは同じ自宅の最寄り駅に到着するまで黙ったままだった。ぼくから、アンズに話しかけたりもしたが、ちゃんと聞いてなさそうなので途中でやめてしまった。
次の日。いつもと同じくらいの時間に電車に乗った。が……今日はいつもとは違う座席へと移動していた。ウメジク駅で乗ってくる女の子の反応も確認をしたいので、なるだけ近くに。
ちょうどいい距離感の座席を見つけ、ぼくは腰を下ろした。
「お、おはよう」
「ん? ああ。アンズか」
昨日と同じように……アンズはぼくの隣に座っていた。寒いせいか頬を赤くしつつ……口から白い息を吐き出している。
リップクリームを塗っているのか、アンズの唇に艶があるように見える。ほんのり赤く見えるのは、ぼくの気のせいだと思う。
「珍しいな。確か、いつもは次の時間の電車に乗っているんじゃなかったっけ?」
「たまたま、はやく目が覚めちゃって」
「ふーん、そうなのか。てっきり……ぼくの恋路みたいなものを、見に来てくれたのかと思ったんだけどな」
「そ、そんなわけないじゃん!」
「ん? おう……そうだよな」
いつものぼくなりに……ぼけたつもりなのだが、朝は調子が悪いようだな。そういえば低血圧だとか言っていたっけ? でも、それはビワだったような。
「次の駅だっけ? その女の子が乗るの」
「そうそう。ウメジク駅な」
電車が動き出したのか、少しだけ揺れた。その振動で身体のバランスが崩れたようで、アンズがぼくにもたれかかっている。
「ご、ごめん」
「謝るほどのことじゃないような」
「そっちの意味じゃなくて」
昨日の昼休みの時と同じように……ごにょごにょとアンズは口ごもっている。なにかに困っている様子の彼女には悪いけど、ぼくのほうは、髪の毛から漂っているであろう香水みたいな甘い匂いに戸惑っていた。
ウメジク駅に着いたようで、例の女の子が乗車をした。なぜか、首を傾げている。
女の子は誰かを探しているのか……辺りを見回している様子。ぼくと目が合うと、表情がかたまってしまった。
多分……ぼくにもたれかかっているアンズの存在に驚いているんだと思う。
「なんだ、彼女がいたのか」
女の子が悔しくもなんともなさそうに……ただ勘違いをしていた。けど、たまたま聞こえてきたその一言を否定する理由がない。
女の子は、いつものぼくの目の前の座席には腰を下ろさず、隣の車両へ移動していた。
「だから……ごめんね」
もたれかかっているアンズの言葉を、ぼくはようやく理解できた。
「本当に……ごめんね」
学校の近くの駅に着いてからも、アンズは謝り続けていた。律儀な性格、とでも言うんだろうか? こういうのって。
「もういいって。あの感じだと、ちょろそうなぼくをからかうつもりだったんだろうし」
年上っぽかったしな、遊ばれてもよかったような気もするが。駄目になって、よかったんだと思う。
「それなら……いいんだけどさ」
「まあ、アンズに罪悪感があるなら」
「ん? うん。罪悪感ならそれなりにある」
「つき合ってくれない……か? コンビニ」
余計な一言がくっついてしまったな。ま、しなくてよかったのかもしれないな……弱みにつけこんだようで、それこそ罪悪感だらけになりそうだし。
「あんまん、おごってくれるなら」
白い息を吐き出し……アンズがにやついている。元気が出てきたようで……ぼくを抜き去り、コンビニのあるほうに向かっていた。
「あ。そうそう……忘れてたよ」
急に立ち止まると、アンズが戻って。
「やきもちじゃないから」
と……ぼくに一言。ある意味でプロポーズなんじゃないのかな? そう思うのは、やっぱり勘違いなんだろうか。
「分かってますよ」
「よし」
「それで、グロスを塗った理由は?」
「き、気まぐれ」
「本当……律儀だよなー」
言い換えれば、嘘をつけないってことだ。
あの女の子もこんな気持ちだったのかな。純粋そうな生き物を目の前にして……ほんの少し心を痛めながらも。つい、からかいたくなってしまう。
「な……なに」
アンズが怪訝そうな顔をしている。
「ん……いや。アンズは可愛い、って思っただけ」
からかいやすそうだから、の一言は引っこめておこう。そんなに意味は変わらないし。
からかっていることがばれて、怒っているのか。恥ずかしがっているのかは分からないが……アンズが顔を赤くしている。
「からかうな」
「本音なんだけどね」
「はいはい。分かった分かった」
かなり適当な相づちを打ちながら、アンズがぼくの右手を握ってきた。
「財布が……逃げないようにしないと。あんまん、おごってもらえないから」
からかうつもりはなかったのだが、黙ったままでいると……アンズが歩き出した。ぼくもその背中を追いかける。
「好きなのか?」
「うん」
「ぼくも好きだよ」
「ふーん、そっか」
ぼくは……あんまんのことを話したつもりなのだが。もしかしたら……目の前の彼女は勘違いしているのかもしれない。
そう、楽観的に考えていた。
楽観的な勘違いをしようとしていた。