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列車に揺られ

作者: Yuki_Mar12

***




 重たい頭ががくっと下に落ちようとする。その途端、目が覚める。


 いけない、いけない。つい、うとうとしてしまった。疲れていたのだろうか? それとも、ただ単純に、眠たかったのだろうか? まるで酩酊したように、頭は固定されず、危うい感じで動いていた。


 絶え間なく続く、ガタンゴトンという規則的な音。


 ぼくは、列車の個室に一人で、座席に座っていた。そう、たった一人でソファに腰を下ろし、気怠い様子で車窓の枠に肘を付いていた。


 しかし、人間の頭というのは、実に重たいものだなぁ、ということを、今の経過よりしみじみ感じる。よっぽど物が詰まっているのだろう。巷間では脳の中身は脳みそと呼ばれている。ペースト状のものなのか。あまりリアルには想像したくない。ちょっと気持ち悪くなる気がする。


 車窓をふと見る。外に広がるのは何気ない景色だ。田園と丘陵ばかりの、ひなびた世界。だが、どうもこういう長閑な景色というのは、不思議と心を落ち着かせ、安んじさせるものだ。初夏の青葉の茂りが放つ輝きを見つめていると、人間の頭脳がどのような様相なのかなどという大して重要でない突発的で気まぐれ的な問は、ふっと忘失されていく。


 しかし、ぼくは一体どれくらいの時間、眠っていたのだろう? 腕時計はない。今いる客室にも時計はない。時間を確かめることの出来る道具は、ぼくの、睡眠に費やした時間を知りたいという希望に反して、ないようだった。


 空は明るい。朝だか昼だか、とにかく明るく、澄んで、爽快だ。いつだったか、どこだったかで飲んだラムネのパッケージを想起させるセレスティアル・ブルーだ。







 しゅわしゅわの泡が、くびれのあるビンの中に生じる。


 ぼくはそのビンに口を付け、傾ける―ーすると、冷涼で甘美な味のする夢の水がどっと舌の上に乗り、喉まで押し寄せ、飲み下される。


 ゲフッ


 ぼくは間もなくガスを吐き出す。炭酸飲料を飲むと出るゲップだ。


 まだお酒の飲めない、いとけないぼくにとって、ラムネはほとんどお酒同然の、陶酔境に誘ってくれる魔性の飲み物だった。ぼくは、お小遣いの硬貨を握っては、近くのお店に行ってラムネをよく買い求めたものだ。


 額より汗が流れ、滴り落ちる。


 遥か彼方には山景。その向こうは果たしてどうなっているのだろうかと、想像を誘発する稜線。


 あの彼方まで、行ってみたいと、その当時のぼくはよく思った。


 歩きでか、買って貰ったばかりのマウンテンバイクでか、あるいは、お父さんに頼んで車で連れて行って貰うか。


 いずれも、結局叶わなかった。


 まず歩いて行こうとしたが、最初の丘の麓で、ぼくは欝然たる森林を目前に、その暗さ、湿っぽさ、冷ややかさに震え、踵を返した。


 マウンテンバイクは、途中でパンクして、買ってくれたお母さんにがみがみお説教を食らった。

 

 お父さんに車の手配を頼んだが、お父さんは寂しげに笑うだけで、何もしてくれなかった。


 初夏なのに、やけに暑い。まるで真夏のようだ。汗は止まらず、耳を澄ませば、着々とその生命を燃焼し尽くす準備を進めているかしましいあの羽虫の鳴き声さえ、響いてくるようだ。


 見晴るかせば、青空。白雲の浮かぶ青空。じっとながめていると、透明な光の粒、あたかあもラムネの泡のようなまどかなものが、数多、一斉に上昇するのが見える気がした。


 その粒は、稜線を超えて、空を超えて、雲の上まで……







 がくんと頭が落ちようとする。頭というのは、実に重いものだ。


 ぼくは目を開く。いるのは客室。ソファは立派、ふかふかだ。


 ふぅ、とため息を一つ吐き出す。ブルーなため息だ。どうしてブルーなのかは、よく分からない。でも、きっとノスタルジーなのだと思う。


 列車はなお前に進み続ける。ガタンゴトンという規則的な音。眠気を誘う、雨音と同じ、単調な音。でも、もう寝た。寝尽くした。


 しっかりと目を開け、そばの車窓を通じ、外を見やる。幾本もの樹木があっという間に過ぎていく……


 果ての青々とした連山の稜線が、緩やかな線を空中に描いている。


 あの彼方は……


 ぼくは好奇心の昂進を覚える。別世界を―ー現実を、今を、自分を否定し、改変し、向上させてくれるもの、あるいは、すっかり粉々に破壊してしまうものに、その存在に、、、思いを馳せる。


 思い出は、稜線のこっち側に。

 未知の時は稜線のあっち側に。


 断念した追求の旅の記憶。

 棒になった足。

 ドロドロに汚損したマウンテンバイク。

 よそよそしく非協力的だった父という男。


 ふと車窓の枠のちょっと奥に注意が行く。


 ゲフッ、とゲップの音。

 ぼくははっと気付く。


 そう、そこには、あの時、あの幼かったぼくが汗を流しながらその味を喜んだ飲み物が、その綺麗なビンが――空っぽのビンが、ぽつんと置いてあって、ぼくに何かを訴えようと、棒立ちしているのだった。




***

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