決意
空気が震えた。
......どうやら震源は二つあるらしく、閉ざされた空間をそれぞれ縦横無尽に伝播していく。
「君には生きづらい世界じゃないかね?」
身なりを整えた筋肉質の男性は、対面に置かれた席に腰を降ろしている青年に同意を求めた。
いかつい顔に威圧するような声色。並大抵の人間なら反射的に頷いてしまうだろう。
とは言うが、常識には例外がつき纏うもの。そして、どうやら今回がその例外に当たるらしい。
青年に怯えた様子はなく、姿勢を正しくしたまま考え込んだ。
約十秒間に渡る唸りが響く。
「それは確かにそうですが、俺自身が引き起こしたことですので。いえ、頼られ続けるのも駄目だと分かったことを踏まえるとあながち生きづらい世の中じゃないかもしれません」
青年が最終的に導き出した返答は丁寧かつ曖昧なものだった。頭を掻きながら申し訳ない感を醸し出す。
この動作を含め、もっと言えば、迷い事態がフリに過ぎない。
煮え切らないのは、二人の身分が起因している。
「今さら無理に畏まる必要もない」
「そうか。俺なりに今までとは違うと表現する意志を込めていた積もりですだったんだけど」
「違和感しか感じない。今まで通りで結構だ」
「それなら、......嫌だとはっきり伝えようか。自分の道は自分で進みたい。そして、その責任も自分で負いたいんだ」
つまり、端から青年の意志は決まっている。
ピンと張った姿勢を崩して、椅子の背もたれに寄りかかる。自分に深く染み込むように決意を綴った。
「それなら止めることはできないな」
「ありがとう。それでは……」
男性は青年の目を凝視する。本気度を測った。
揺るがないとの結論を出すと、男性も肩の力を抜く。
これ以上ここにいる理由を失った青年は、今までの感謝を述べてから席を立つ。
(ここにはもう来ることはないだろう)
そんな風に考えると何だか変な気持ちになってくる。それでは駄目だと青年は首を振って、迷いを振り落とそうとした。
「まぁ、我々では対処できない敵が現れた時はよろしく頼む事があるかもしれない」
「この国の騎士団長がそれを言ったらおしまいでは。それに俺は騎士という立場を捨て、冒険者になった。戦争においそれと参加はできない」
「承知している。私が言っているのは魔物退治だ。君が我々の依頼をこなしてくれる事を祈っている」
退出しようと青年は後ろを向く。
男性改め騎士団長は、そんな青年の背中に声をぶつけた。そして、豪快な笑みを顔に映す。
額に皺が寄せられたーーその顔は見えないが、青年は団長が笑っていると察した。ともに過ごした時間が発現させた一種の第六感といえよう。
だからといって、自分も同じ気持ちだとは限らない。
青年は対象的にため息を床に落とした。
「団長は聡いのか疎いのかわからないな」
「もちろん判ってやっている」
「なおさら質が悪い。俺は後悔に溺れて、肝心の魔王退治でしくじった男だぞ」
訳がわからない。
青年は二度目のため息を吐いた。
「情報を秘匿していた我々の落ち度だ。逆にそれを克服した今の君は即戦力になるだろう」
「魔王は俺が手を出せないところまで逃げちまったけどな」
「別に魔王だけではない」
そして、自虐とも皮肉とも取れる言葉を発する。
それでも相手は揺るがなかった。
青年は再び振り返り、団長の顔を直視する。
少しばかりの沈黙が二人を包み込んだ。
「やっぱり無理だ」
青年にも破顔する番がきた。
「団長の顔を見ていたら決心が固まった」
「君もなかなか酷いな」
「好きにしろ。責任は俺が持つーーみたいな顔をしている団長の元には戻れないよ」
「承知した」
団長も膝を立てた。
お互いに敬礼を行う。......最後となるであろう敬礼を。
「魔王討伐失敗の責任からノーム・ハルト・アデラードの名前を宮廷騎士団名簿から除名する。以降、貴君にはノーム・アデラードと名乗ることを命じる」
「はい。今までありがとうございました」
ハルトとは宮廷騎士団に与えられる貴族名だ。
貴族名とはその貴族を示す象徴で、つまり看板だ。
宮廷騎士団は統一した貴族名を持つのは十中八九家族意識を強めるためからだろうが、何世代前から続く伝統であるためにはっきりしない。ひょっとしたらかっこいいからなんて理由かも......閑話休題。
騎士団を脱退するノームはむろん名を剥奪された。貴族名なしの平民に戻る。
今度こそ青年は退出し、前進し続ける。
「悲しい物だな。姿も判らないものに負けるとは」
残された団長は目線を落とし、ぼそっと呟いた。
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生暖かい風が吹きに抜ける。風に遊ばれた木の葉がわさわさ鳴る。
そんな自然が造り出した歓声をノームは浴びた。緑が生い茂る道を通り、巨大な建物に入る。レンガが積み重なってできたこの建物は異様な空気を放っていた。
ベルカリア冒険者ギルドと人々は呼ぶ。大志を抱く者達が集う場所だ。
ノームは重い扉をこじ開けて、中に入る。
「何かございましたか?」
「いえ。今日の新人研修に参加する者ですが、張り切ってしまって、まだ時間があるので簡単な見学をしていてもよろしいでしょうか」
「大丈夫ですよ。よかったら案内しますか?」
「一人で大丈夫です」
ノームは見学の確認を取るために、受付に向かった。
ノームが理由交じりに要件を伝えると、聞いていたお姉さんは優しく微笑む。業務対応が善意な対応に代わる位にノームは受付嬢の心を掴む。夢を見て、はしゃぐ希望が可愛かったのだ。本来、受付嬢が持ち場を離れる事はまずありえない。
同行を断ったノームは一階の散策を終えて、二階へと続く階段を上る。一階は食事処と受付しかなかったゆえに十分も時間を消費しなかった。
(二階はゆっくり見てもいいかもしれない)
ノームの足取りがほんの少し遅くなる。
「なるほど。二階は魔法道具、アイテム、魔石とアイテム倉庫になっている感じか」
これならいつまでも見ていられる。
ノームは扉の開け、閉めを繰り返しす。
ガンッ、ダンッ。
その中で、二回衝突音巡り合った。巡り合ったも何もノームは音を出している張本人なわけだが。一回目は扉を開こうとドアノブに手を掛けた所、内側から開かれたせいでぶつかった音。二回目は衝撃を受けノームはよろめき、背中を床にぶつけた音である。
「えっごめんなさい」
「ぢじゃいじょうぶ」
痛みで顔がゆがみ、ノームの返しはおこちゃま言葉っぽくなってしまった。背中と手の甲をさすりながら痛みが引くのを待つ。
「あの、その」
一方、犯人はずっとあたふたしていた。恥ずかしい言葉を聞かれなかったのだからよかったと言えなくもない。
「もう大丈夫です」
「本当にごめんなさい」
体に付着した埃を払いながら、ノームは立ちあがった。
正常に戻った加害者が深く頭を下げる。勢いがよかったらしく、ツインテールに結われた銀髪が躍った。
「いえ、気にしてませんから」
「そうですか」
少女の顔が上がる。
……初めに訂正しておこう。美少女と。
整った顔立ちと適度に発育した胸、漂う甘い空気。特徴的な金色に輝く丸く加工された二つの宝石がノームに向けられる。
「それでも、ごめんなさい」
先程から聞いていた声にも関わらず、ノームは今まで感じなかった色気に襲われる。それらはノームを少しばかりの幻想へと誘った。