絶望と希望
彼女は絶望した。
竜人族の女王ルキウスは地面に這いつくばりながら、その生涯に幕を閉じようとしていた。
彼女と同族の4人の部下達も誰も起き上がれずにいた。
息は……かろうじてしていた。
部下達の神器はどれも破壊され、体は血塗れになりながらもまだその命を繋ぎ止めていた。
彼女が所持していた5つの神器のうち4つも破壊され、手にしているお気に入りの槍の神器【ドラゴンテイル】も、破壊されていないだけでその能力も最早使えずにいた。
彼女等の乗ってきた5匹の【竜種】も4匹はその命を散らし、残っている【白竜ハクラ】もボロボロになりながら自らの主人の元に這って歩み寄ろうとしていた。
(せめて……せめて……)
ルキウスは心の中で呟いた。
◆
彼女の眼前に立つは、1人の騎士。
髪は金色でさらさらの髪を風に靡かせていた。
自分達のボロボロの鎧と違い、騎士の鎧は新品の下ろしたてのように輝いていた。
体型は筋肉が有るのか無いのか分からないようなヒョロっとした体型をしていた。
表情はこの戦いが始まってから1度も崩れることがなく常に不敵に笑っていた。
手に持つ神器は鞭の神器。
しかし、その神器が使用されたのは僅か数回。
自分達の攻撃回数は優に下回る攻撃回数であった。
当然そんな騎士のランクは彼女達より格上の【Sランク】。
「これでお終いね」
騎士は嬉々として、言い放った。
かつてこの騎士とは幾度となく争ってきた。
いや争いにすらならなかった。
ルキウスと騎士の戦績は、ルキウスの全戦全敗。
騎士の名は、六花仙が一人……【薔薇のゼータ】。
アーク帝国に6人しかいない六花仙と呼ばれる、Sランクの騎士長の1人であった。
実力至上主義のアーク帝国では、六花仙は皇帝に次ぐ権力と地位を有していた。
そんな彼を含む六花仙の内3人の騎士が、アルカ大平原に陣取ってから5年、最早彼女が治めるドラグナー国は風前の灯であった。
ルキウスの眼前に聳えているのは、巨大な要塞ともいえる城であった。
ドラグナー国に最も近い場所に位置し、居城しているのは当然、【薔薇のゼータ】であった。
この城より幾度となく攻められ、なす術なく国民を蹂躙されてきた。
何度この城とこの男を破壊したいと願ったことか……
◆
上空より突撃してから数十分、最早抗う力も残っていなかった。
初めは奇襲により何人かの人間をその手で葬った。
部下達との一子乱れぬ上空からの攻撃で、多少の手応えを感じた。
しかし地上からの神器の攻撃により一騎また一騎と、部下達は地上に落下していった。
そんな彼らを救うべくルキウスも当然地上へと降り立った。
城の外で待ち伏せしていたのは100人はいるであろう【Bランク】の人間達。
ルキウス達5人はドラゴンを庇いながら必死で戦った。
だが健闘虚しく部下達は徐々に力尽き、ドラゴン達は儚い命を散らした。
ルキウスの唯1人の親友【白竜ハクラ】。
なぜ竜種がドラグナー国に存在するのかは分からない。
大昔よりドラグナー国と共に歩んできて、生まれてきた時より共に育った存在。
ルキウス達に、なぜ?という疑問はなかった。
ドラゴンは隣にいて当たり前と思ってきたからだ。
そして現在この場に立っているドラグナー国に残る最後の竜種【ハクラ】と最後の竜騎士【ルキウス】も最早風前の灯であった。
だがドラグナー国の、最高位の竜種と、最高位の竜騎士はここより反撃に転じた。
言い方は悪いが、庇っていた部下達は倒れた……なら後は唯ひたすらに攻めるのみ……と。
ルキウス達を取り囲んでいた兵士達は恐怖した。
怒れる竜人と竜種。
2匹は自分達より格上のAランク。
仲間達は、竜人の槍に貫かれ、竜種の鋭い爪や牙によりただの肉塊と化した。
援軍に駆けつける自分達より上位の【Aランク】騎士が数名……助かったと安堵するのも束の間、怒れる竜人によりあっという間に葬られた。
100人はいたであろうアーク帝国の騎士達は既にその数を半分以下にしていた。
そして尚もその数は減っていった。
兵士達が諦めかけたその時、自分達の耳に希望の声が届いた。
「勇敢なる私の兵士達……後、しばらくの辛抱よ! お前達には私がついているわ!」
城の内部より聞こえる、最も頼りになる男の声。
そうだ自分達にはあの人がついている!
兵士達はそう心に言い聞かせ決死の覚悟を決めた。
(気持ち悪い喋り方だけど……)
ルキウスは焦った。
今の気持ち悪い喋り方はあの男の声だと……
ならば当然あの攻撃が来る!
部下達を置き去りにするのは心苦しかったが……ハクラと共にその場から離れようとした時だった。
決死の覚悟を決めた兵士達がルキウスとハクラに覆い被さるように突撃してきた。
「き、貴様等、死にたいのか!?」
ルキウスとハクラは必死で兵士達を払い除ける。
あの男の広範囲攻撃がくる!
かつて幾度となくあの攻撃により編隊が崩されたことか……
どれだけの国民が傷ついたことか……
ルキウスは必死に足掻いたが遅かった。
突如目の前の兵士達が一瞬にして消えたのだ。
「なっ! こ、これは転移か!?」
消えた兵士達の変わりに現れたのは1人の騎士【薔薇のゼータ】であった。
その手には赤く輝く、鞭の神器【カラミティ】を握りしめていた。
「ゼェェェェタァァァァァァ!!」
ルキウスの怒りの声が響き渡る。
「カラミティ・エンド」
ゼータはルキウスを嘲笑うかのように神器を持つ手を軽く振った。
撓る鞭がルキウスを襲う。
一振りのはずなのにその鞭はルキウスの眼前に幾重にも拡がり、捉えきることができなかった。
同時にルキウスは視界を覆う程の圧倒的な攻撃数により体を打たれ切り刻まれた。
「がっ……!」
その場にルキウスは倒れ込んだ。
血を吐き、全身に痛みが走った。
主を傷つけられたハクラは更に激昂しゼータに襲いかかった。
「よ、よすんだハクラ……!」
ルキウスの消え入りそうな声など聞こえる筈もなく、ゼータの一振りによりハクラは切り刻まれ、後方に吹き飛ばされた。
「ハクラ!?」
ルキウスは必死に叫んだ。
「グゥル……」
ハクラから呻き声が聞こえ、生きている事にルキウスは少しだけ安堵した。
「はぁ……折角広範囲攻撃であるカラミティ・エンドを絞って傷付けないようにしたのに、襲いかかるなんて馬鹿な竜」
ゼータは手を頬に添え、溜息混じりで呟いた。
「ゼータ……貴様……!」
ルキウスは歯軋りした。
「ふふん、ルキウス貴女どうしたの? たったの5匹で攻めてくるなんて……まさかとは思うけど、もう貴女達しかいないの?」
ゼータは知っているにも関わらず敢えて知らないそぶりで質問した。
「……ギリッ」
ルキウスは更に歯軋りしながら鋭くゼータを睨んだ。
「あら図星? 可哀想に……もう貴女の国には戦えるものがいないのね」
ルキウスは地面に這いつくばりながら体を小さく震わせた。
「なら貴女との5年間のお遊びも今日で最後ね……貴女達を捕らえたら、貴女の大事な大事な民も奴隷にしてあげるわ」
「貴様っ……!」
「あら貴女が悪いのよ、私の可愛い兵達を傷つけたんですもの」
ゼータはそう言うと辺りを見渡した。
先程使用した対象者と自分の位置を入れ換える転移の神器。
その対象から洩れた動かぬ兵士達を見た。
「……軽く見ただけでも50人はいってるかしら……」
言い放つとゼータは鞭の神器を撓らせルキウス目掛けて一振りした。
「がっ……」
ルキウスの鮮血の体が更に赤く染まった。
「皇帝陛下に頂いた可愛い兵士が傷つけられたのに、この程度で済ます私って優しいでしょ?」
ゼータはぬけぬけと言い放った。
「何故だかわかる?」
「…………」
ルキウスは知ったことかと黙った。
するとゼータは徐にルキウスに近づき、ルキウスの髪を握り締め、持ち上げた。
「いっ…」
ルキウスは苦しそうにした。
ゼータは表情を変えず嬉しそうに話した。
「実は最近、後天スキル【服従】を覚えたの。貴女知ってるかしら? 【復元】や【捕縛】と言ったレアスキルと同じくらいレアなスキルなのよ」
「さ、さあな……それで私を服従させるつもりか……」
「それもいいんだけど、残念ながらこのスキルは人間や魔族には効かないのよ」
「だったら……」
ルキウスが言いかけるとゼータは遮った。
「でも魔物には効果があるのよ」
「?」
ルキウスは一瞬訳が分からなかった。
「つ・ま・り、迷宮の魔物を使役出来るのよ」
「なっ!?」
ルキウスの顔は一瞬で驚愕の色をみせた。
「勿論まだ試してないから、成功率や使役できる数なんかは不明なんだけどね……でもきっと皇帝陛下もお喜びになられるわ、魔族と違って魔物は勝手にドンドン生まれてくるんですもの」
(こ、こんな奴になんて能力が……!)
ルキウスは嘆いたがゼータは更に恐るべきことを口にした。
「ふふん……と・こ・ろ・で、貴女の後ろで這いつくばってる白いドラゴンなんだけど……【服従】のスキル効くのかしら?」
「なっ!?」
ルキウスの、顔は信じられない程青ざめた。こいつは何を言ってるんだと。
「実は前からあの竜欲しかったのよね。白い鱗が綺麗だし、なんとか手に入れたいと思っていたのよ。だってあんな綺麗な竜ですもの、私みたいな華麗な騎士が使役したら絵になると思わない?」
ゼータはルキウスの髪を掴んでた手を離し、空を見上げ、祈るように手を組み、自分の美しい姿を想像した。
「た、頼む……ハクラだけは……」
ルキウスはおもむろに手を伸ばしゼータの足を掴んだ。
ゼータの表情は変わらなかった。
ニコニコと笑いながらルキウスの手を足ではね除け、そして力強くルキウスの手を踏み砕いた。
「くぅぅゔゔ…………」
ルキウスの指は歪な形となり、所持していた神器も一気に砕けた。
「あら貴女、これは戦争なんでしょ? だったら敗者は潔く自分の品を勝者に献上しなさいな、竜の女王が見苦しいわよ」
ゼータは心にもないことをペラペラと喋った。
ゼータにとってこれは戦争ではなく、唯のお遊び。
スレイヤ神国との戦争のホンの息抜き。
そして魔族は皇帝陛下に捧げる唯の駒。
そもそもゼータを含む六花仙にとって王は皇帝陛下唯1人。
他の王の存在を認めていなかった。
白竜ハクラは精一杯の力を振り絞り、主であり友であるルキウスの元に歩み寄ろうとしていた。
正確には動かない体を無理矢理引きずるように。
ゼータはそんなハクラを見つめた。
「あら、健気ね。その忠誠心を今度から私にして貰えると思うとゾクゾクするわね」
ゼータは体を身震いさせた。
「下衆が……」
「……そうだ! 良いこと思い付いたわ私! 貴女を先に殺そうと思ったけど止めたわ! あの竜が服従されるかどうか死ぬ前に見せてあげる!」
「!?」
「ホント私って優しいわ」
ゼータは鞭を撓らせ楽しそうにハクラに歩み寄った。
「た、頼む……やめてくれ……私が……私がお前に服従するから……だから、ハクラだけは……ハクラだけは見逃してくれ……頼む!!」
ルキウスの必死の懇願にゼータは歩みを止めた。
そして何か考え事をするかのようなポーズをとった。
「ん~どうしようかしら……貴女が帝国の為に働くのも悪くはないわね……今、私の兵達の中に【捕縛】のスキル持ちはいないし……」
「た、頼む……」
「ん~~~~…………でもやっぱダメね」
「なっ……」
「貴女は生かすより殺した方がいいわ。その方が、あの国の魔族達も諦めがつくと思うし。何より貴女が生きてると色々面倒な事になりそうなのよね。今までは息抜きで敢えて生かしてたけど……あぁ、ちなみにこれ私の勘ね……結構当たるんだから」
そしてゼータはハクラの元に歩み寄り、その足を止めた。
ルキウスは最早声すらも出なくなった。
眼前の城を壊すことも出来ない。
眼前の敵と刺し違えることも出来ない。
意思なく仕えることになるかもしれぬ友を助けることも出来ない。
ルキウスは自分の無力さを恨んだ。
そして願った。
(せめて……せめてハクラだけは……誰でもいい……誰か……誰か助けて…………!)
「これで本当にお終いね、貴女と出会った5年間本当に滑稽だったわ。最後に貴女に牙を剥ける竜が見れると良いわね」
ゼータは鞭の神器を片手に空高く振り上げる。
その神器にはカラミティ・エンドの時の赤い光とは違い、スキル【服従】かは分からないが、紫と茶色を織り混ぜたような怪しい光が放たれていた。
そして勢いよく白竜に向かい無慈悲に降り下ろした。
ルキウスは必死に目をつむった。
この世で最も嫌悪する男に服従する友を見たくない一心で。
「……………………」
何の変化もない。
そう思いルキウスは恐る恐る目を開くと、同時に悲痛な呻き声が聞こえた。
「ああぁぁぁぁあああぁぁぁ……」
ルキウスは自分の目を疑った。
そこには腕を斬り落とされ、必死に痛みを堪えようと踞るゼータの姿。
傷ついてはいるが先程と特に変わった様子のない、友ハクラの姿。
そして見たことのない細い片刃剣の神器を肩に担ぎ、ゼータとハクラの間に悠然と立つ、黒い衣を身に纏う見知らぬ男の子の姿があったからだ。




