大戦と先遣
新章です。
天使の襲撃から一月と数日が経ち……季節も冬から春へと、穏やかな気候へ移り変わっていた。
ホウライ王国とスレイヤ神国との国境は山々が聳え、両国にとって天然の要塞となっていたのに対し……
ホウライ王国とアーク帝国の国境には何もなかった。
その代わりに、かつて英祖ショーマが提案した【万里長壁】と呼ばれる横に伸びる巨大な壁が両国を別け隔てていた。
しかし、その巨大な壁も多数の抜け穴があり、そこから他国へ侵入する者もいる。
かつて王国の奴隷だったリリスとアザゼルも、その1つを通りアーク領へと逃げたのであった。
◆
【万里長壁・50区画】
横に伸びる壁の丁度中間に位置するその区画の頂上にて1人佇む女性がいた。
見た目は少女のようにも見えるが、実年齢はその倍以上あった。
女性は胴着を着ており、髪は正面から吹く風に靡いていた。
「マスター、少し休まれては?」
そんな女性へ近づく男性の姿があった。
男性は声を掛けながら女性の隣へと並んだ。
「そうはいかん……いつ帝国が攻めてくるか分からんからな」
女性はただ真っ直ぐに前を向いていた。
視線の先はアーク帝国。
「しかし、宣戦布告から一月……本当に来るのでしょうか?」
「ラガン……そんなことでは、まだ私から一本取れないぞ」
女性は一瞬だけ口角を上げた。
王国三大行事の1つ、闘王祭……
ラガンと呼ばれる男性は毎年闘王祭後に必ずマスターと呼ぶこの女性に勝負を挑み、ぼろ負けした後で修練の旅に出る。
しかし、今年に限ってはそうもいかなかった……
「…………」
「嫌な風だ……帝国から邪悪な風が吹く……戦は近い」
女性に【感知】のスキルはない。
戦士としての経験か、女性としての勘だけで答えていた。
だがその勘は滅法よく当たる。
「しかし毎日張り詰めすぎです……今の内に少しだけでも休んで下さい……」
ラガンは心配していた。
女性にいつもの余裕が無いことを……
今までにも大きな戦や小競り合いは度々あったし、闘王祭でのバトルもある。
しかしどんな時でも、マスターと呼ぶこの女性から笑みが消えることはなかった。
常に強者としてどこか心に余裕があった。
だが今の女性からはそれが無かった……
ラガンはそれを心配していた……
「…………ふ、そうだな、なら少しだけ見張りを代わってくれ」
「マスター……」
女性もそれに気づいた。
いや、気づかされた。
部下であるこの男に心配され、どれだけ自分に余裕が無かったのかを……
「何かあれば直ぐに連絡しろ。ザイルとガイスも配置させる。小さな異変も見逃すなよ」
「了解で…」
女性が振り返りその場から立ち去ろうとした時だった。
「ミロクさん! あれを!!」
「!?」
ラガンは帝国の方を指差し叫んだ。
ミロクは慌てて壁の頂上から身を乗り出すように、険しい表情で帝国側を凝視した。
「く、来たか……っ!」
ミロクの視線の先は黒く染まっていた。
まだ遥か彼方だが、大地も空も、どす黒く染まっていた。
しかもそれらが徐々にこちらへと近づき、横へと拡がっているように見えた。
「な、なんて数だ……」
それらは、Aランクでありギルド【拳武】の副マスであるラガンを以てしてビビらせるのに充分であった。
ラガンの体が僅かによろける。
「っ、至急王都へ伝令しろ!! ジオ王とエンマへこの事を伝えろ!! 私は駐屯中の軍を……っ!?」
それらを見てもミロクはまだラガンよりマシだった。
冷静に指示を出し、【万里長壁】より王国側にて待機している軍を展開させようとしていた。
だが……
「殺……」
「「!?」」
突如2人の目の前に魔物が現れ、城壁の端に脚を着けると、既に攻撃体制に入っていた。
2人は接近されていた事すら気づかなかった。
【茨木童子】
Sランクの【鬼種】。
真っ白な長い髪に、二本の鋭い角を生やし、美顔で、着物を着た出で立ちだった。
その手には既に鉄爪の神器が発動されていた。
「なっ……!?」
ミロクは戸惑った。
こんな時に魔物の襲撃……
だが本当に偶然なのか……
「鬼業・羅城門!!」
だがミロクの戸惑いなどお構いなしに、茨木童子はミロク目掛けて鉄爪で斬りつけた。
両腕を同時に交差させながらの斬撃は、ミロクだけでなく横にいたラガンも同時に斬り飛ばした。
「がはっ!」
「ぐわぁっ!!」
2人はそのまま、王国側へと落ちていった。
「ふん、つまらんな……外界の者とはこの程度か? これでは地下に幽閉されていた鬱憤は晴れんぞ……」
茨木童子はそう呟くと指をパチンと鳴らした。
【千鬼夜行】
Aランクの鬼種で、一鬼いるだけで百鬼へと分裂する鬼種だった。
それらが転移してくるように空中から現れた。
「いけ千鬼、手始めにこの壁の下にいる人間共を皆殺しにしろ」
「「げぎゃーーーー!!!!」」
茨木童子の指示で、千鬼夜行は一斉に王国側へと飛び出す。
「……人間とは愚かな生き物だな。同族同士で潰し合うなど……」
茨木童子がそう呟き、やる気を無くしていた時だった。
「天羅零拳・千金散華……」
その声と共に、飛び出した千鬼夜行は全て、無数の金色の拳に撃ち落とされた。
「なっ!?」
「やはり帝国の先遣隊か……よもや魔物を軍に投入してくるとはな……」
茨木童子が驚く中、どこからかそんな声が聞こえた。
茨木童子は王国側を見下ろす様に身を乗り出した。
しかし……
「油断大敵だ」
「!?」
茨木童子が見下ろした時には、既に遅く……
茨木童子は巨大な拳に、覆い被さるように包み込まれていた。
「バカな!? 俺の一撃を受け……」
「天羅零包・紅撃」
「て……」
茨木童子は一瞬にして握り潰された。
万里長壁の上に、ミロクは跳躍した。
その腕にはラガンが抱えられていた。
「しっかりしろラガン」
「う、ギルマス……」
ラガンは傷だらけで、ミロクも額から少しばかりの血を流していた。
ミロクはそれを乱暴に拭った。
「急いで王都へ伝えろ、敵は魔物も投入してきているとな。私は軍を展開させてあれらを迎え撃つ」
「う、は、はい……」
ラガンは抱え下ろされると、よろけながらその場を後にした。
ミロクは歯軋りしながら帝国を見つめる。
「開戦か……!」
◆◆
「ありゃりゃ、茨木童子は殺されたか……」
薄暗い部屋の中で、1人座り込む男の姿があった。
「Sランクの鬼だぞ……」
その少し後ろに立つ別の男の姿もあった。
男の肌は他の者より焼けていた。
「う~ん、どうやら例のSSランクの人間みたいだね」
座り込む男はどこか楽しそうに呟いた。
「……この体の母親とやらかもな」
「ヒヒ……この体も何も、今はもう完全にアンタだろ?」
男たちは他愛のない会話をする。
「お前達、集中しろ。油断していると足元を掬われるぞ」
更に別の女性が2人の前に現れた。
「は、すみません……」
褐色の男は、女性に頭を下げる。
「ヒヒ、僕のスキル【天隷】は完璧。僕に操れないヤツはいないですよ」
座り込む男は下卑た笑いを浮かべる。
「我は直に【天災】を発動させにいく……そっちは任せたぞ」
「はっ」
「ヒヒ、アンタがアレを使ったら一瞬で全部終わっちゃう……少しは僕らにも楽しみを残しといて下さいよ」
「…………」
女性は無言のまま、その場を立ち去った。
「今の態度は失礼だぞ……あの方は、」
「分かってますって、まぁ僕は魔族を殺せればそれでいいんで」
「……体は馴染んでるのか?」
「勿論。この肉体の前の奴とも波長が合うのか……すっげ~馴染むっす」
「…………天原竜斗が出れば、我も戦場へと赴く」
「了解、【凶軍】は僕に任せてよ」
「…………」
若干の不安を覚えながらも、褐色の男もその場を後にした。
その部屋には座り込む男だけとなった。
「ああ、この戦争が終わったら早く会いたいな~。ダコバスとも約束したし楽しみだな~」
男は鼻歌混じりに楽しそうに呟く。
「どんな事して遊んであげようかな~」
「姉妹同士で殺し合わせるのもいいな~」
「恋人がいれば、そいつを殺させるのもいいな~」
「どれがいいか迷うな~」
「ねぇ」
「ララちゃん」
「ルルちゃん」
「【天闇のラジエル】の名に懸けて、最高に楽しい殺し合いをさせてあげるからね」