リールの花束をくれたら
「勇者になって魔王を倒してきたら、結婚してもいいわ」
本当はその後に、まあ冗談だけどね、と続くはずだった。何度目かわからない幼馴染の求婚が本気だとわかった上で茶化した。そして、森の奥のリールの花をくれたら、と条件を変えて答えるつもりだった。
「よっし、魔王だな!?ヤツを倒せば結婚してくれるんだな!?」
それなのに、彼はすぐにそう言って駆け出した。相変わらずのせっかちさ。まさに思い立ったが吉日と言った感じだ。
「え、ちょ、まっ」
わたしが慌てて呼び止めるのすら耳に入っていない様子で、あっという間に姿が見えなくなる。其の後を必死に追いかけて、彼の家の前に着いたら、勢いよく扉が開いて、もう既に旅支度を整えた彼が飛び出してきた。
「じゃあな、リーシャ!必ず魔王を倒してくるから!」
彼は颯爽と去って行った。無駄に爽やかな笑みとともに、呆然としたわたしを置いて。
「ちょっと待ちなさいよ!人の話は最後まで聞きなさい!」
わたしの叫びは当然の事ながら、既に豆粒にしか見えないほどの距離にいる彼には届かなかった。
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それから一年が経った。彼は順調に魔王を倒す旅を続けているらしい。魔王討伐隊のメンバーは、勇者である彼と、騎士団長である第二王子、魔術師長、神官などなど、目眩がしそうなほどの高位な方々ばかりだ。実際、倒れかけましたよ、最初に聞いた時。
倒れかけた、ではなく本当に倒れたこともあった。彼が怪我をした、と聞いた時だ。幸い、命に別状はなかったが、二ヶ月ほど療養しなくてはならなかったらしい。他には、王女と婚約するらしいと聞いた時だった。彼に限ってまさか、と思ったが、友人たちには、この人に限って、という人ほど浮気をするものだ、と言われて気が気でなくしばらくは夜も眠れない有様だった。この時になって、初めて彼のことがこんなにも好きだったのだと気がついた。ずっと好きではあったけれど、ここまで彼が好きだったなんて、思いもよらなかった。いつも唐突に「結婚してくれ!」という彼に、「リールの花束をくれたらね」と返してたというのに。
リールの花は森に生えている白や薄紫、薄紅色をした花だ。この地方では男が求婚をする時に、一番珍しい白のリールの花束を、相手の髪か目の色とおなじ色のリボンで結んで贈るものだった。女はそれを受け取ったら受け入れた証。一本だけ受け取ったら時間を下さいってこと。断る時はリボンをもらって、後でそのリボンをつけてプレゼントを贈る。気持ちは嬉しいけど、ごめんなさいっていう意味。その場で突っ返したら顔も見たくないってことだ。
でも、彼はリールの花をくれなかった。リールの花なんて言っていないで、「はい」て答えればよかった。
でも、後悔はもう遅い。
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さらに一年が経った。とうとう、魔王の城にたどり着いたらしい。なんの冗談か、ウワサの王女さまも討伐隊に加わったらしい。もうこの頃になると、婚約の噂などどうでも良く、ただ彼が無事に帰ってくることを祈るばかりだった。
そして、彼が魔王を無事倒したことが報じられた。幸いにして大きな怪我は無いそうだ。この時、わたしは神に心から感謝した。彼が生きて帰ってきたことに。それは、噂通りに彼が王女さまと結婚したら、神に一生を捧げてもいいかと思えるくらいに。
そして、噂は真実になった。彼と王女さまの婚約が正式に発表された。目の前が真っ暗になったような心地がした。本当はどうでも良くなかった。わたしだけを、見ていて欲しかった。わたしは涙が枯れ果てるまで泣き続けた。彼の姉が慰めてくれたけど、それでも泣いた。両親が既に亡いわたしを慰めてくれたのは彼女だけだったけど。友人たちはだから言ったでしょう、と言うだけだった。
「ごめんなさい、リーシャ。あのバカ、多分ちやほやされて舞い上がってんだわ。今度一緒に殴りにいきましょ。自分がどうして勇者になろうとしたか覚えていないのかしらねあのアホンダラ」
彼女はそう言ってくれたけど、わたしは彼に会いたくなかった。彼の顔をみたら、なにを言ってなにをしでかすかわからなかったから。きっと、あらん限りに罵って、泣いて、殴ってしまうだろう。彼だけにはそんな醜態を見せたくなかった。
一月ほど経ってようやく落ち着いてきた頃、彼が帰ってきた。記憶にあるよりも、ずっと日に焼けていた。すこし頬がこけて精悍さを増していた。背が伸びてがっしりとした体格になっていた。昔よりもずっとかっこ良く、魅力的な男性へと変わっていた。
「リーシャ!」
彼は、わたしを見つけると喜色に溢れた声でわたしを呼んだ。声だけが昔と変わらない。彼の後ろには見慣れない男性が二人と、綺麗な少女が居た。少女はなぜか、わたしをキッと睨みつけた。
わたしはできるだけ冷静に、冷たい声を出そうとした。
「久しぶりね、カーズ。ご婚約おめでとう」
ああ、でも王族と結婚するならこんな態度失礼だったかしら。ご無礼をお許しください。
わたしはそう言って一歩下がってお辞儀をした。残念ながら、声はみっともなく震えて涙の色が混ざってしまったけど。
「リーシャ、誤解だ!」
「なにが、でしょう」
泣きそうになるのを堪えて口元だけで微笑んで返す。そう、なにが誤解だと言うのだろう。彼は、カーズはくっと何かをこらえるような、苦しそうな顔をした。
「だから!ご婚約って、俺が知らないうちに決まって発表されてたんだ!だいたい、俺はお前と結婚したくて勇者になったのに、王女と結婚してどうするんだよ。本末転倒だろ」
そんな言い訳、誰が信じるというのか。頑なな態度を崩さないわたしに、後ろにいた男のうちの一人、金髪の人が申し訳なさそうに言った。
「ほうとうにすまない。王族との結婚は名誉だから、彼への褒美のつもりだったんだ。討伐隊に妹が加わることをカーズは拒まなかったから、彼も満更でもないのかと思ってしまった」
彼はーーおそらくは王子様は妹、というところで美少女に視線をやった。彼女が、噂の王女さま。とっても綺麗な陽の光のような金髪で、青い瞳の美少女。
彼女がわたしを睨みつけて何かを言おうとした時、キィンと頭に響く声で叫ぶ声が聞こえた。
「あーーっ!この愚弟!バカカーズ!よくものこのこと帰ってきたわねっ!リーシャ泣かしておいて!ただじゃ帰さないわよ。顔の形が変わっても文句言うんじゃないわよ!」
言わずもがな、彼の姉である。半月位前まで泣き暮らしていたわたしを唯一気にかけてくれていた人だ。
「げえっ、姉貴どうしてここに!旦那はどうしたんだ、ダンナは」
「ふふふっ。絶賛喧嘩中よっ。拳の一つや十や百くらいおとなしく甘受なさい!乙女の涙は高いのよ!」
「え、姉貴乙女じゃねえし」
「誰がわたしと言ったの!乙女はリーシャに決まってるでしょう。かわいそうに半月も泣き暮らして。ほらリーシャも言いたいこと言いなさい。律儀にあんたとの約束守って結婚しないで、一般に嫁きおくれな歳になっちゃったんだから!」
一つ断っておくなら、わたしはまだ十八で、まだ適齢期である。まあかなり終盤であるけど。
カーズはうっとつまっておそるおそるわたしを見る。昔からそうだ。わたしが怒っている時、おなじ反応をしていた。彼は彼のままであると思ったわたしは言いたいことを言うことにする。
「バカカーズ!人の話はちゃんと最後まで聞いたらどうなの!?あんなの冗談に決まってるでしょう⁉︎あの後に、リールの花をくれたらって言うつもりだったの!!それを早合点して飛び出して!死んじゃってたらどうするのよ⁉︎」
そこからは止まらず泣きながら彼をバカだアホだと罵りまくった。残念ながら罵倒の語彙が少なくてバカアホと繰り返すだけだったが。
「え、いや、そもそもリールの花ってなに?なんか意味あんの?」
彼のその言葉に一瞬空気が凍る。リールの花を贈るのは求婚なのだと、彼は知らなかったのか。それ以前に、リールの花を知らないと。王子様ともう一人の黒髪の男性も呆れた目で見ている。王女さまなんか、愕然としている。
「え、なんか結構重要?」
間抜けとしか言いようのない声に脱力した。本当に知らないとは。この男はこれまでの人生なにを見てきたのか。おそらくは剣とかその辺。
「ああもうっ!バカだアホだと思ってたけど本当にバカだったのね!」
「なっ!しっつれーな姉だな。前に聞いた時自分で考えろ愚弟!って言ったの姉貴だろ?」
姉弟喧嘩勃発。最初からしてたけど。昔から変わらないこの二人を見ていると、時が戻ったのかと錯覚してしまう。
「カーズ………。何かおかしいと思ったらそう言うことですか。白いリールの花束を贈るのはこの辺りの求婚の作法ですよ。ご存じなかったのですか。どうりで王女にリールの花が欲しいと言われたときあっさり了承したわけです」
その言葉に、仲良く喧嘩中だった二人はピタッと止まった。
「あんたそんなこと了承したの⁉︎」
「ええっ!求婚⁉︎そうだったのか⁉︎てか、リールの花ってどんなんだ?」
「ばかっ。森に行ったらそこらじゅうに咲いてる薄紫とか薄紅色の花よっ」
「あれ、シネラの花だろ?葉っぱが血止めになって花が冷え性に効く」
「シネラの別名がリールよっ」
ん?と彼が首を傾げた。
「じゃあ俺最初から結婚了承されてたのか?」
そうでしょうとも、とつぶやいたのは誰だったのか。
突然くるり、と背を向けて王女さまが歩き出した。
「リーア!」
王子様が慌てて後を追う。黒髪の人も着いて行った。
「ごめん、本当にごめん」
許さない!と噛み付くように言ったのはわたしではなく彼の姉だった。姉貴に言ってない!と彼はおなじように噛み付くように返した。
「王女との婚約はキッパリシッカリ破棄して来たから。……だから、許してくれるのなら、俺と結婚してください」
わたしの前に跪くようにして、手を取った彼は、今までになく真剣な顔をして言った。その顔がとても凛々しくて、不覚にもときめいてしまった。そして、嬉しくて、嬉しくて、一度は止まっていた涙がまた溢れた。
彼は慌てて、立ち上がっておそるおそるわたしの目尻を拭う。わたしはふふ、と笑って言った。
「リールの花をくれるなら」
彼は目を見開いて、それから、
「もっちろん!白いリールの花を山ほど見つけてでっかい花束作ってやる!」
と言った。それからぎゅっと抱きしめられる。わたしもぎゅっと抱きしめ返す。彼の姉がそっと離れて行くのがわかった。
「絶対に、幸せにならないと許しませんわ!」
唐突な声に、振り向くと、すでに背を向けている王女さまがいた。彼は、当たり前だ!と返した。そして。
「ありがとう」
そう声をかけた。
あの人も、きっと、本気でカーズが好きだった。わたしが彼が好きなように。
彼女が完全に見えなくなった頃、彼に言った。
「好きよ、カーズ。この世で一番」
彼は目を見張ってから、笑った。
「俺も、リーシャが好きだよ。もう泣かせたりしない。悲しませたりしない。この世界で一番、愛している……ユリーシア」
愛称ではなく、名を呼ばれて、優しく甘い口づけが降ってきた。
それを、空と大地と樹々だけが見守っている。この後に響いた音を聞いたのも。
後日頬を真っ赤に腫らした彼が贈ってくれた抱えきれないほどのリールの花束は、わたしの瞳とおなじ、深い蒼に、髪とおなじ金色の刺繍の施されたリボンで結ばれていた。
拙い文章でしたが、読んでくださってありがとうございました!
*12/26誤字訂正しました。