衝突
「やはりここか」
森を抜けて視界が開けた時、ダンタールが眉間に皺を寄せながらそう言った。
子供を拐ったと思われる魔物の痕跡を追ったところ、そのまま森を抜けて件の鉱山の入り口が見えていた。
三人とも半ば予想していたものの、何の準備もなしにいきなり本丸に乗り込むことになってしまったということだ。
「どうするんですの?」
「なんの情報もなしに突撃する、などという行為は愚の骨頂。さりとて子供を放っておくわけにもいかない。八方塞がりだな」
現状を端的に言い表したダンタールは、物思いに沈むラグへと水を向けた。
「ラグ、お前はどう見る」
「そう、だね。はっきり言ってしまえば、不可解な点がかなり多い」
躊躇いがちにラグは口を開く。
その口調からは困惑がありありと感じられた。
「具体的には?」
「まず、子供をその場で襲わずに拐ったという点。幼体の餌にするなり安全な場所で補食するなり理由はあるだろうけど、恐らく巣を作っているんだろう。さらに、スルトが言った事が本当なら、この魔物は触手を持ってるって話だったけど……スルト、その触手はどんな触手だった?」
「どんなだったって言われてもな。チラッとしか見てないから詳しいことはわかんねえよ」
「色とか形とか。何でもいいよ」
「んあー、そうさなぁ」
言われたスルトがその時の情景を頭の中へ思い浮かべる。
「暗くてよく見えなかったが、掴まれてたガキの体が透けて見えてたから色は少なくとも半透明だな。あとは細長くてある程度弾性があるっぽかった気がする。まぁそんな感じがした、ってだけだが」
その答えを受けて、ラグはさらに眉間の皺を深める。
「……だとすると、ますます検討がつかないな。触手を持つ魔物は水棲型と植物型に多いけど、この国に生息する範囲では洞窟に巣を作るような種はほとんどいない。それに、ここまでの道で木の枝が折れている様子もなかったから大型の魔物でもない。巣から出て自ら狩りをするって事まで加わると該当する魔物はいないよ」
「ローパーはどうだ?」
「ダメだね。確かに巣を作る個体もいるけど、半透明な触手を持つ種はいない。それに、巣を作る個体でもそうでない個体でも、ローパーなら獲物を捕まえた時点で自分の体内に取り込んで消化を始めてしまうはずだ。スルトが『拐われた』と言った以上、その場で体内に取り込んだのは確認できなかったはずだし、そもそもローパーなら姿が見えない位置から獲物を捕まえられるほど長く触手は伸ばせない」
「そうか……。となると、新種の可能性も視野に入れた方がいいな」
「ちょっとお待ちください。新種まで想定するのはいくらなんでもやりすぎでは?単にラグさんが知らない種類の魔物というだけかもしれませんわ」
「いや、ラグにわからないならばまだ発見されていない新種か、そもそも考慮に値しないほど強力で希少な魔物かだ。そんな伝説級の魔物を想定するくらいならば、まだ新種の可能性を考えた方が現実的だ」
不満げなリディアーナの言葉をダンタールは即座に退けた。
ラグのことをかなり信頼している様子のダンタールに、残りの二人は驚きの表情を浮かべた。
だが事実として、それは正しい判断である。
この四人で、いや学園の生徒と教師を全て含めた中でも、ラグは魔物に関して最大の知識量を誇るのは間違いない。
生まれ持った天賦の才、そして召喚士の元名門という魔物に関するエキスパートである家の跡取りという出自。
魔物に関する知識を学ぶ事に関しては不自由することない環境であり、本人もまた家の再興を掲げて研鑽を重ねた。
デオルフ家に継承されてきた知識を余すことなく吸収したラグは、まさに歩く魔物辞典であると言っても過言ではない。
ラグは知るよしもないが、学園への入学が許されたのは、両親の尽力もあるが現代でも稀有な知識量を持つラグ本人の魔物への造詣の深さを評価された結果でもあるのだ。
家柄だけでラグの事を軽んじている学園の大多数の人間は知らず、またラグ本人も自覚していない事ではあるが、魔物に対する分析力については、軍事の筆頭ロッテンハイム家の跡取りであり、召喚士の才能も併せ持つあのゲイルですら及ばないだろう。
実直な性格のダンタールは、これまでの短い旅路の中で垣間見せたラグの力を、家柄や評判に囚われることなく正しく理解し、評価していた。
そのラグにすら今回の魔物の正体が掴めないと言うのだ。
今回が相当なレアケースであることは間違いなかった。
「……残念だが、子供を諦めることも視野に入れた方がいいな」
「なっ!?ちょっと待ってよダンタール!」
「本気で言ってますの!?」
思案顔で鉱山の入り口を見つめながらそう呟いたダンタールに、残りの二人が詰め寄る。
「ああ。現状、ラグでも推測不可能な正体不明の魔物の巣へ侵入するにはリスクが高すぎる。俺達まで共倒れになってしまっては元も子もない。例え救出が間に合わなくなろうとも、万全の準備をしてから挑むべきだ。最低でもミリアが合流するまで突入はありえない」
だが、ダンタールはそれにも動じずあくまで冷静に言葉を返した。
それに対し、詰め寄った二人は沈黙する。
ラグに子供を見捨てるつもりは毛頭ない。
だが同時に、ダンタールの言葉が正しい事も理解できていた。
今まで何度か軍の人間が派遣されているにも関わらず誰も帰ってこないということは、多少魔法を扱える程度では太刀打ちできないということだろう。
つまり、闇雲に人員を派遣したところで解決はできず、魔法に精通した貴族にしか対処できない魔物と言うことだ。
それを相手に救出を焦って行動を起こしたところで上手くいく可能性は低く、むしろラグ達が壊滅してしまう可能性の方が高い。
まともに魔法を使える人間がほとんど残っていない基地にとって、学生とはいえ魔法の高等教育を受けているラグ達が全滅してしまうのは最悪の事態だ。
そうなることを避けるために、多少の犠牲が出たとしても慎重に準備を重ね、確実に事態の解決を図るべきである。
ダンタールはそう言っているのだ。
そして、それは反論の余地のない正論であった。
納得していないとは言え、その意見を覆せるだけの言葉は持ち合わせておらず、ラグは口を閉ざすしかない。
しかし、もう一人は違った。
「なるほど、確かにダンタールさんの言うとおりですわ。このままでは私達も揃って魔物の餌食にされてしまう可能性が高いでしょう。軍の作戦行動として見るなら、その判断は妥当かもしれません」
リディアーナが静かに、しかし抑えきれない怒気を孕んだ声音で再び口を開く。
「それでも。子供を見捨てる事を前提とした行動指針は許容できませんわ」
「見捨てる事を前提とするとまでは言っていない。ただ、場合によってはその可能性も考えざるを得ないと言っている」
「同じことですわ。いったい何が違うと言うんですの?つまり、いざ危なくなったら子供を見捨てるということでしょう」
「そういう可能性もある、というだけだ。救出が可能ならばもちろんそれを目指して行動する」
「だから!!可能かどうかを考えている時点で間違っていると言っているのですわ!!」
抑え込んでいたリディアーナの怒気が表面化した。
それまでに見せたことのないリディアーナの迫力に、終始冷静に受け答えしていたダンタールもわずかにたじろぐ。
「私たち貴族に課せられた責務は国に暮らす国民を守ることでしょう!?それにも関わらず、守るべき人々を見捨てるような作戦を取ることが本当に正しいと思っていますの!?」
激昂し、掴みかからんばかりの勢いでダンタールに怒号を発するリディアーナ。
ラグは、これまでの言動からリディアーナは階級差別に意識的で、選民思想が強そうだと思っていた。
それゆえ、平民の子供を見捨てるという事に対しここまでの怒りをあらわにしたのはかなり意外なことであり、怒りの発露をただ呆然と眺めていることしかできなかった。
「落ち着け。そんなことを言える状況でないのはお前もわかっているだろう」
「ええ、わかりますとも!それでもそのような非道、とても許せないと申し上げたはずですわ!」
「リディアーナ、今は人道について議論しているような暇はないんだ。確実な事態の解決のため、取るべき行動の話をしている」
「取るべき行動ならばわかりきっているでしょう!拐われた子供を魔物から救出する!これ以外に何かありまして!?そもそも、魔物を退治するかどうかは救出の話よりも優先すべきことではありませんわ!」
「ちょっと待て、目的を間違えるなリディアーナ。俺達が与えられた任務は鉱山に巣を作る魔物の殲滅であり、子供の救出ではない。目の前の障害に囚われるあまり、本来の任務に支障が出るようでは本末転倒だ」
「本末転倒、ですって……!?」
ダンタールの言葉が、リディアーナの地雷を踏み抜いたのがはっきりとわかった。
そして、ラグが割って入る間もなく、リディアーナの感情が爆発した。
「人の命を指して、あろうことか障害呼ばわりとはどういうことですの!?守るべき国民を何だと思っているのですか!!貴方は貴族どころか、人として必要な物が欠けていますわ!!恥を知りなさい!!!!」
侮蔑の混じった言葉と聞く耳を持たない頑な態度に、ダンタールも苛立ちを滲ませ始める。
「さっきから聞いていれば何を言っているんだお前は!俺達は軍人だぞ!子供の命であろうと、物事の優先順位はつけなければならない!青臭い理想論を語っている時ではないんだ!」
「そんなに任務が大事なら、権力にへつらう下衆をお集めになるとよろしいですわ!それならば人の命を物のように扱う命令にも嬉々として従ってくれるでしょう!」
「いい加減にしろリディアーナ!俺にも我慢の限界と言うものがあるぞ!言って許される事とそうでないことの区別もできないのか!?」
「許されない事を先に言ったのは貴方の方でしょう!!それすらもわからないようならば、貴方が受けてきた教育がそもそも間違っていたのですわ!!生まれ育った家ごと、貴族の位を返上なさい!!その方がこの国のためですわ!!」
「なん、だと……!?」
売り言葉に買い言葉、一度声を荒げれば激しくなることはあってもその逆はない。
リディアーナからのあまりの暴言に、ついにダンタールも平静を失った。
奥歯を噛み締め、鋭い目でリディアーナを睨み付ける。
魔物の巣窟を前にして、仲間であるはずの二人は睨み合う。
周辺にそれまでの緊張感とは違う、一触即発の空気が流れ始めた。




