自己紹介を……しましょう……
「じゃあ、言い出した私から始めますね」
なだらかな丘陵を登りながらミリアが楽しげに言う。
心なしかその声も弾んでいるように思えた。
「改めて、名前はミリア・レインダートです。元々は兄のアランが次期当主だったんですが、当主としての活動に支障が出るほどの大怪我を負ってしまったので、今は私が次期当主ということになってます。……ああ、皆さんそんな顔をしないでください。あれは不幸な事故だったんですから」
当主としての活動に支障が出るほどの大怪我――――それを負うことになった実習に同じ班として参加していたミリア以外の三人は気まずそうに目を逸らした。
それに気付いたミリアは苦笑した。
「レインダート家はどちらかというとロッテンハイム家寄りの武官の家です。戦場に出ればいつ果てるともわからないのですから、命があっただけマシというものですよ。学園の実習で、というのは少し情けない話ですけどね」
ミリアの表情は言葉通り気にしていないという感じで、むしろ兄の失態であるとすら思っているような様子だった。
軍人になるべく育てられた人間として、例え肉親が再起不能な重傷を負ったとしても割りきれる、ということなのだろうか。
「武官の家といっても、大成するような人間はそんなにいませんけどね。祖はデッドバルド王家に仕えた神官・ケイレル様で、今現在の貴族内の序列では真ん中より少し下、といったところでしょうか。レインダート家が得意とする魔法は火属性、特にエンチャント系の魔法の適性が高いです。私個人の話は……特に面白いことはないです、すみません。ずっと兄が次期当主だったので、私は家の所領の内政を手伝ったりするくらいしかしたことないんです。だからいきなり次期当主にされちゃって、ちょっと大変なんですよー」
コロコロと表情を変えながら楽しそうに語るミリア。
それまで兄がこなしていた次期当主としての激務を突然代わりに行わなければならなくなった負担は並大抵のものではないはずだが、それを全く感じさせない明るい口調だった。
「簡単にですが、こんなものです。昔からそんなに大きくない家なのであまり大した話もなくてすみません」
「いや、家の特色などに疎い俺には貴重な話だった。しかし、そうなると少し気になるな。デッドバルド王家の神官が祖ということは、デッドバルド王家の直系であるロッテンハイム家と関係が深いということだと思うが、兄のアランはキオタ・ヘールバズと懇意そうな様子だった」
ダンタールが実習の際のアランの様子を思い出してミリアに尋ねる。
それに対してミリアは微妙に困ったような顔をした。
「それはその、兄は……少々身分を軽視するきらいがあったと言うか……。以前、ヘールバズ家のお屋敷にご招待いただいた時に、キオタ様を気に入っていたみたいです。一方的に、だったようですが」
そういえば、アランはキオタにかなり親しげな様子だったが、キオタは逆に邪険にしているような印象であったことを思い出す。
「家の『特質』が少々特殊なこともあり、兄を軽々しく処罰できないということもあって、兄の方はあまり気に入られてなかったようです」
「あら、ミリアさんの家は特質持ちなんですのね。どんな特質なんですの?」
「大した特質じゃないですよ。歴代当主……つまり、私達のご先祖様の記憶を保持していることがある、というものです。保持していると言ってもほとんどは断片的ですし、そもそも保持していない人もいます。何かの拍子に思い出したりすることもあるので、かなり不安定な特質です。ですが、【大崩界】以前の失われた歴史を知ることができる、という意味では貴重な特質でもあるので、多少の失態で貴族位を剥奪されることはないです。また、記憶を発露させる可能性の高い直系の人間は、なるべく死亡してしまうことのないよう国からの支援のもと様々な生命維持のための魔法や呪をかけられます。悪い言い方をすれば、兄はその特別な待遇を逆手にとってキオタ様に馴れ馴れしい態度をとっていた、ということになります」
「なるほど……そういうことだったか」
納得したようにダンタールが頷いた。
特質というのは、一般的な魔法とは異なる、特定の血筋にのみ継承される特別な能力のことだ。
具体的な内容は千差万別であり、レインダート家のように普通の魔法では成し得ないような特殊な能力、体質であったり、一族の者に受け継がれていく才能であったりもする。
大きな範囲では、ラグの召喚魔法やリディアーナの探査魔法の才能も、それらの魔法の適性が抜きん出て高いというそれぞれの家の特質に当たる。
ほとんどの特質はラグたちのように魔法の才能が受け継がれていくものであり、ミリアのように特別な能力を発現させるものは貴族の中でも稀である。
一般に貴族の間で『特質』と言う場合は、単なる魔法の才能の遺伝ではなく、レインダート家のような唯一無二の特質を指すことが多い。
「ミリアさんは大したことない特質なんておっしゃいましたが、とんでもありませんわ。過去に生きた人間の記憶を引き継ぐことができるなんて、様々な特質の中でもトップクラスに貴重な特質であることは間違いありません」
「僕もそう思う。ロッテンハイム家の『ハイエスト・ワン』やアシュハルト家の『バニッシュメント』なんかの有名どころみたいな派手さはないけど、それらに劣らない価値のある特質であることは間違いないよ」
「そ、そうでしょうか……?そこまで褒められると、少し照れてしまいますね……」
ミリアが照れくさそうに、はにかむような笑顔を見せる。
それは今まで見せたことのない、好きなものを褒められた嬉しさが現れた年相応の笑顔だった。
「ああ、素晴らしい特質であると俺も思う。もっと誇っていい」
「ダ、ダンタールさんまで。そんなにおだてても何も出ませんよ?」
顔を少し赤くしたミリアが怒ったような態度で歩く速さを早める。
照れている顔を見られたくないのは一目瞭然だった。
「あはは、心からそう思ってるだけだよ。そういえば、ミリアは何かそういう記憶を持ってたりするの?」
「私がどんな記憶を引き継いでいるか、ですか?」
どこか不思議そうな声音で、先を歩いていたミリアがラグの方を振り返る。
不意に、悪寒が走った。
何もおかしなところはないミリアの表情。
きょとん、とラグに向かって首をかしげている。
何もおかしなところは、ない。
「聞きたいんですか?」
「う、うん……」
そう、何もおかしなところはない。
ミリアの所作は、先輩が好奇心から発した質問に対して、なんでそんなことを聞くのだろう、と疑問に思っている後輩そのものだった。
では、なぜこんなに背筋が凍るのだろうか。
目を離すことができず、ミリアの顔を凝視する。
咄嗟に何と言ったらいいのかわからず、愛想笑いしている口。
困ったように僅かに下がった眉尻。
「先輩の頼みなら仕方ないですね。私は――――」
かすかな驚きに少しだけ見開かれた瞼。
そして、隠しきれない恍惚にドロリと濁った瞳――――。
「『おいマスター。和気藹々してるとこ悪いんだが、問題発生だ』」
突然聞こえてきた声にハッとし、慌てて懐から声の元凶を取り出す。
それは石の台座に魔法の術式が書かれた紙が貼られている手のひらほどの大きさの物だった。
基地を出発する際に支給してもらった通信機である。
「あ、ああ、スルト。通信機の調子はどう?」
「『良好だ。その丘を挟んでもけっこうクリアに聞こえてた。多少の障害物程度だったら問題なく通信できそうだな』」
生身の人間と違って休息を取る必要のないスルトには、ラグが休憩している間に通信機を持って先行してもらい、通信可能範囲や精度の検証をしてもらっていた。
「そう、やっぱりかなり高性能なんだね。通信機なんて見るのも初めてだけど、やっぱりスゴいなぁ」
「先輩、せっかくスルトさんと通信が繋がったんですし、次は先輩が自己紹介なさったらどうですか?」
「あ、ああ、そうだね。そうしようか」
スルトと話しているラグの前にひょこりと顔を覗かせてそう言ってきたミリアには、先ほどまで感じていた不気味な面影は微塵もない。
あれは何かの間違いだった、のだろうか。
「先輩?」
「あ、ああごめん。自己紹介だよね」
今さっき見た幻覚――そのはずだ――を振り払い、ミリアに続いて自分のことについて語り出す。
「僕はラグ・デオルフ。デオルフ家の次期当主で、兄弟はいない。ミリアに倣って言うと、召喚魔法の才能が家の特質、ってことになるのかな。その召喚魔法で召喚したのが、ご存じの通りスルトだ」
「『どーも。まともに名乗ってもいなかったが、今はスルトって名前らしい。ま、スルトでもスケルトンでも好きに呼んでくれ』」
「言葉を話していることからわかると思うけど…………待った。スルト、さっき問題発生って言わなかった?」
さっきはミリアに気を取られて聞き流してしまったことを今さら問いただす。
「『おう、言ったな。なんだ、あえてスルーしてたんじゃなかったのか』」
「そんなわけないでしょ……。それで、問題って?」
「『ああ。その丘を越えた先の、お前たちの目的地の町で騒ぎが起こってるな。女が一人ヒステリックに叫んで取り乱してるみたいだ』」
「原因はわかる?」
「『叫んでる内容を聞いた限り、子供がいなくなっちまったみたいだな。女が母親ってところか』」
「子供が……。単に迷子になったとかならいいけど、もし怖いもの見たさで鉱山に入っちゃったとかだったらまずいね……」
「『いや、子供が好奇心で鉱山に入ったとかはないな』」
「え?なんでわかるの?」
「『目の前で子供が拐われるのを見たからだ』」
「…………………………は?」
「『騒ぎが起こるちょっと前か、森の方で遊んでるガキを見つけたんだが、少し視線を外した間に一人があっという間に連れ去られてた。一瞬だけ見た感じだと触手に絡め取られてたっぽかったから、拐ったのは植物系の魔物かローパーあたりかもしれねえな』」
「い、いやいやいや!そんなこと聞いてるんじゃないよ!なんで助けなかったの!?」
「『あぁ?大人も連れずに町の外に出た馬鹿なガキどもを助けてやる義理はねえし、そもそもスケルトンの俺が敵う魔物なんていやしねえだろ』」
「それでも騒ぎが起こってるってわかってるなら、町の人に知らせることもできたでしょ!?」
「『どうやってだよ。いきなりスケルトンがやってきてお宅のお子さんが連れ去られたんで助けた方がいいですよ、とか言い出したら信じるのか?俺ならむしろそのスケルトンが拐ったと思うね』」
「……もういい!みんな、聞いてたね?急ごう!」
「……ドルテアといい今回といい、何かと事件が起こる瞬間に立ち会うことが多いな」
「なんでこうも毎回慌ただしいんですの……」
「『お前らの中に、トラブルを引き寄せる主人公体質な奴がいるのかもしれんなぁ』」
あくまで楽しげなスルトの声を聞きながら、ラグたちは目の前の丘を越えるべく駆け出した。
「あの…………自己紹介は…………」
「どうしたの、ミリア!急ぐよ!」
「あ、はい……」




