崖っぷち
「んん~、よく寝たぁ~」
マルティナがソファーから立ち上がり伸びをしたあたりでラグたちも再起動する。
「ななな何で裸ですの!?いやそれよりも、司令官!?この露出狂が司令官ですの!?」
ラグとダンタールはサッと目をそらし、リディアーナは顔を真っ赤にして混乱し、ミリアは冷めた目でクラットに物言いたげな視線を向けた。
スルトだけは変わらずマルティナの身体をガン見している。
「『F……いや最低でもG……もしや、それ以上……!?』」
スルトの声はワナワナと震えていたが、それでもちゃんと念話で済ませて声を出さないあたりは流石である。
「うるさい娘ねぇ~そんなに大声ださないでよぉ~」
「なっ……なにをっ……あ、貴女が、貴女がっ!」
「マルティナ司令官。何故服を着ていないのですか?全裸で執務をするのは流石に非常識だと思いますが」
混乱のあまり言語が不自由になってしまっているリディアーナに代わり、ミリアが会話を引き継ぐ。
ラグとダンタールはマルティナを直視できないので女性陣に丸投げするしかない。
「えぇ~?ちゃんとパンツははいてるじゃない~。ほら~」
「訂正します。何故ほぼ全裸なのですか?それに、ついさっきまで寝ていたように見えましたが」
「そうよぉ~貴方たちがうるさいから起きちゃったけど~」
「基地の司令官とは昼間から寝ていられるほど暇な立場なのですか?」
「もぉ~声が大きい上に口うるさいのねぇ~。仕事は全部クラットがやってくれるからいいのぉ~」
「…………………………………………」
ラグには二人のやりとりは声しか聞こえないが、ミリアがあからさまにイライラしていることはわかった。
礼儀などにしっかりしているミリアとマルティナとではどうにも相性が悪そうだ。
「ああ眠い……。クラット~、私は奥で寝直してくるから後はお願いね~」
思わず閉口したミリアから視線を外してそう言うと、奥の方にある扉へと入っていこうとするマルティナ。
それをようやく再起動したリディアーナが止める。
「ちょ、ちょっと!?まだ何も話していませんわよ!?」
「だって話すことがないものぉ~。学園への評価は適当に誤魔化しといてあげるから、さっさと帰ってねぇ~」
「な、なんですのそれ!?」
「貴方たちみたいな百害あって一利なしな人達はお呼びじゃないって言ってるのぉ~。それじゃ、おやすみなさ~い」
そう言うとマルティナは本当に扉を開けて出ていってしまった。
リディアーナは開いた口が塞がらないと言わんばかりに口をパクパクさせている。
「あの……クラットさん。どういうことでしょうか?」
視線を背ける必要がなくなって少し安心したが、マルティナに困惑するラグはクラットに答えを求める。
いくらこの基地で最も地位が高い人間とは言え、いくらなんでもあんまりだ。
奔放な性格というだけで到底済まされるものではない。
「え、えっと……気持ちは、よくわかるんだけどね。司令官がああなのは仕方ないというか、なんというか」
「……アレを仕方ないで済ませるのならば、私は今すぐ中央の方に貴方たちの更迭を申し入れることになりますが構いませんのね?」
「い、いやその、本当に気持ちはわかるだけどね。そうされるのはボクたちが困るし、仮にそうしたとしてもそれは多分実現しないから辞めた方がいいというか」
「お言葉ですが、正式に学園から派遣されてきた生徒たちをろくに話もせずに追い返すような司令官ならば、その任を解かれても仕方ないのではなくて?」
「あ、うん、それはボクもそう思うんだけどね……」
「リディアーナ……突っかかるのはやめろ。気が立っているのはわかるが、司令官補佐に当たるな」
クラットの顔が泣きそうになってきたあたりでダンタールがため息混じりに割り込んだ。
「お前はもう少し気を遣うことを覚えろ。誰かれ構わず噛みついていてはそのうち痛い目を見るぞ」
「そんなことはありませんわ。ただ、気を遣うに値しない人間が多すぎるだけでしてよ」
今日の一連の出来事でフラストレーションが溜まりに溜まっているリディアーナは、マルティナの態度で止めを刺されてすっかりへそを曲げてしまっているようだ。
「司令官個人の人となりはひとまず置いておくとして、学園からの実習生についてあまり良い印象を持っていなかったのは何故ですか?それと、基地内の平民の人達が貴族を異常に敵視しているように思えたのですが」
不機嫌なリディアーナと寡黙なダンタール、そしてイライラしている雰囲気なのに何故かニコニコとしているミリアに挟まれ、マルティナの衝撃も合わさって頭痛を覚えながらラグが話を進める。
これはもうラグ以外に任せていたら、まともな結果にならないのが目に見えるようだった。
「あ、ああ、それはちゃんと理由があるんだ……。元々、この基地は貴族の顰蹙を買ったり怒らせたりした軍属の平民が理不尽な理由で配属されてくることが多くてね……有り体に言っちゃえば、その、死んでこいって言われてるようなもの、っていうか。そういう経緯があって、そもそもここに来る平民は少なからず貴族に恨みを抱いてる人が多いんだよ。それでも昔は、人類を守るって大義があって、貴族も平民もそれなりに団結して任務をやってたんだけど……その、中央の意向が変わってからだいぶ、ね」
「中央の意向……ですか。軍のトップはロッテンハイム家ですが、ここで言う中央というのは……」
「う、うん。ロッテンハイムじゃなくて、ヘールバズの方だね」
またヘールバズか。
ラグはそう思わずには居られなかった。
この基地へ来ることになったことを含め、様々な問題の根本全てにヘールバズが絡んでいるような気がするのだ。
「中央からの命令で、この基地に配属されてる魔法使い……主に貴族は、軒並み中央に近い都市に配置変えされたんだ。今では、この基地に残ってる貴族は司令官とボクの二人だけになっちゃって……なんというか、平民の人達には貴族が逃げ出したように見えたんだろうね……。軍属とは言え、平民は身体強化の魔法しか使えないのが大半だし、切り込み隊長から後方支援まで貴族がごっそり抜けたことで戦死者の数も膨れ上がって……結果として、自分達を見捨てた貴族への反感が高まっちゃった、って感じで……」
クラットは気まずそうにぼそぼそと話す。
内容はクラットは全く悪くないが、やはり基地の現状をなんともできていないのは負い目を感じているのだろう。
だが、ラグはそこではない部分に衝撃を受けていた。
この基地にいる貴族がたった二人。
人間の領域を守る最後の砦に、たった二人。
意味がわからない。
いくら平民の軍人を送り込んだところで、所詮は高度な魔法は使えない兵士。
兵士の数を揃えたところで、多様な状況に対応できるだけの魔法使いが揃っていなければ問題の対処において後手に回り、いたずらに被害は拡大する。
被害が大きくなればそのぶん回復には時間がかかり、回復に時間がかかれば襲撃を受けた際への備えが疎かになる。
それを繰り返せば、この防衛戦はいつか敗北する。
ヘールバズは何を考えているのか。
この国は、人類を滅亡させようとしているのか。
あまりの衝撃に目眩すら覚えるラグは、この基地の現状が想像よりもはるかに酷いものであると理解する。
基地を纏めるべき貴族はたった二人しかおらず、団結すべき平民たちとは反目しあっている。
このままでは駄目だ。
このまま放置すれば、綻びは加速し取り返しのつかない事態になる。
「司令官が軍務実習生を嫌ってるのは、いつも軍務実習生が横暴な態度で平民たちに無理難題をふっかけたりして無茶苦茶するからだね……。特に、最後に来た軍務実習生たちは襲撃の時に真っ先に持ち場を放棄して逃げ出して大損害を出したんだ。貴族たちの配置換えから初めての襲撃だったこともあって、大量の死者と負傷者が出て、町にも大きな被害が……。平民たちとの確執が決定的になったのもこれが発端だから、司令官も平民たちも軍務実習生には良い思いがないっていうか、むしろかなり嫌っているっていうか……って、君たち大丈夫……?顔色が悪いよ……?」
こんな話を聞かされれば誰でも顔色が悪くなるだろう、とラグは突っ込みたい思いだった。
この基地へ派遣された軍務実習生の生還率はゼロなのだから既に件の軍務実習生たちは故人ということになるが、なんとも余計なことをしてくれたものだ。
世界で最も過酷な戦場において、上官からの信頼はゼロに等しく、共に戦う同胞たちからは忌み嫌われている。
ラグはこれまでも逆境の連続であったが、今回はその中でも間違いなくトップクラスに絶望的な状況だ。
いくら前向きなラグでも一人だったならば心が折れていたかもしれない。
だが、今はそうではない。
同じ状況に置かれている三人の同級生がいる。
そして、紆余曲折を経て形式上とはいえ、ようやくラグを契約主と認めてくれた従魔がいるのだ。
「『さぁて、なんだか面倒な話になってきたな。どう考えても死ぬ未来しか見えねえから、あの巨乳司令官の言う通りさっさと帰り支度をしてほしいところなんだが。どうする、マスター?』」
帰りたいと言いつつ、ラグが本気でそうするわけがないとわかっている従魔がからかうように言う。
絶望的な状況でも変わらない従魔にほんの少しだけ笑いかけると、ラグは三人の同行者の方へと身体を向けた。
「……生還率0%は伊達じゃないね。一人でなんとかできるとは到底思えない」
全員考えは同じなのか、複雑そうな顔をしながらも表情には影が差している。
そんな三人の顔を見ながらラグは続ける。
「でも、僕たちは一人じゃない。今まではただ一緒に派遣されただけの同行者。でもこれから先は、そのままじゃただ死を待つだけだ。でも、僕は家の再興を成すまでは死ぬわけにはいかない。だから、この窮地を打開するために皆の力を貸してほしい。皆がここに派遣されたのは僕のせいだ。それでも、恥を忍んでお願いするよ。ここから生きて帰るために、仲間として力を合わせよう。僕のことを恨んでるのはわかってる。それでもどうか、お願いだ」
三人へ向けて、真っ直ぐに己の気持ちを告げる。
若干の沈黙のあと、ミリアが真っ先に声をあげた。
「私は、ここに来たのが先輩のせいだなんて思っていません。もちろん、恨んでもいません。むしろ尊敬してます。そんな先輩に頼まれて断れるはずないじゃないですか。仲間だなんて思ってもらえる方が光栄です」
笑ってそう答えるミリアに、ダンタールも続いた。
「俺も、ここへ派遣されたのが別にラグのせいだなんて思っちゃいない。ここに来たのはそうあるべくして来たんだ、誰のせいでもない。元より、協力はしてもらうつもりだった。そちらから言い出してくれるのならば好都合、俺からも是非お願いしよう」
珍しく雄弁に自分の気持ちを語ったダンタールも力強く頷く。
ラグは二人へ頭を下げると、最後に沈黙を守るリディアーナへと向き直る。
己の身体を抱き、腕を握り締めながら俯くリディアーナを目を逸らすことなく真っ直ぐに見つめる。
長い沈黙のすえ、顔をあげたリディアーナはラグを睨み付けながらゆっくりと話し出した。
「私は、貴方を許す気にはなれませんわ。貴方の軽率な行動のせいで私たちまで巻き込まれてこんなことになっているんですもの。ダンタールさんたちが許しても、私は貴方を許しません。絶対に」
消えることのない憎悪の宿る視線でラグを射抜きながら、でも、とリディアーナは続ける。
「私にも死ねない理由がある。必ず生きて帰らねばならない理由が。こんなところで死ぬわけにはいかない。だから、憎い貴方にも力を貸してあげますわ。私が死なないために。例え貴方を殺してでも、絶対に生きて帰ってみせます」
「充分だよ。ありがとう」
三人に深く頭を下げると、困惑しているクラットの方へと向き直る。
視界の端に、表情のない筈なのに笑って見えるスルトの顔が映る。
「クラット司令官補佐」
「あ、ああうん、なんだい?」
「ラグ・デオルフ。ダンタール・ベンサム。ミリア・レインダート。リディアーナ・レゼンウッド。以上四名、第一級障気噴出地点監視区域・第四特務基地に着任致しました。ご命令を。我ら一丸となり、死力を尽くして任務に当たる所存です」
追い詰められた落ちこぼれの少年は、絶望の淵で踏みとどまる。
今にも崩れ落ちそうな崖っぷちで、それでもなお足掻き続ける。




