敵意
「えっと……どうなってるんだろう、これは」
基地の中の発着場に到着した輸送車から降りたラグたちは、いきなり屈強な男たちに取り囲まれていた。
基地の側にもラグたちが派遣されてくることは伝わっていると思ったのだが、出迎えの人間は見当たらなかったので、仕方なく近くにいた人間に学園から来たことを告げたところこのような状況になってしまった。
取り囲んでいる男たちの視線からは敵意すら感じられ、とても歓迎しているようには見えない。
貴族として敵意に晒される機会も少なくないラグたちはともかく、そうでないアーヒンは完全に怯えていた。
「な、なにこれ。あの人たち凄く怒ってない?あんたたち、なにしたのよ?」
「いや、なにしたもなにも、ここにきたのは初めてなんだけど……」
「相当あくどいことしてる貴族とかそんなんで有名なんじゃないの?」
「いや、それはねえだろう。坊主たちの態度から見て、本家の方もそこまで酷いことはしてねえはずだ。俺がまだ部隊にいたころも、これといった悪名は聞いたことがねえ」
「じゃ、じゃあなんなのよ?ただ声をかけただけでこれっておかしいわよ!?」
「何か、理由があるのでしょうか……?でも、先輩方を含め近年私たちの家からこの基地に派遣された人はいなかったはずですし……」
「そ、そもそも私たちは名乗っていないのですから家のことが関係あるはずありませんわ。ただ学園から来たというだけでこんな扱いを受けるなんておかしいですわ!」
取り囲んでいる男たちは皆屈強なので、リディアーナも若干腰が引けている。
「どちらにせよ、あまり刺激しない方がいいね。まずは慎重に……」
話し合おう、とラグが言おうとしたところで刺激の塊のような存在が輸送車から顔を出した。
「あー?もう着いたのか?それなら起こせよな、いつまでも身体バラバラにしてるのも疲れるんだからよ」
ひょっこりと顔を出したスルトの姿を見て、周囲の男たちが色めき立つ。
「魔物……!?」
「なんだと!?」
「どういうことだ、物資の輸送車じゃなかったのか!?」
「まさか、途中で襲撃を……」
「静まれ!!!!」
今まで黙って様子を窺っていたダンタールの大喝に一瞬場が静まる。
その瞬間を逃さず、ダンタールが言葉を重ねた。
「俺たちはレール魔法学園から軍務実習で派遣されてきた!この魔物は召喚士の従魔で危険はない!この基地の司令官へ取り次ぎを願う!」
ダンタールの堂々とした名乗りに、取り囲んでいた男たちも気勢を削がれたようだ。
近くの人間とヒソヒソと話しているが、囲いを解く様子はない。
再びダンタールが口を開きかけた時、人の壁の奥から声がかかった。
「軍務実習。最近は派遣すると連絡があってもその前に全員退学したとの話で送られてくることなどとんとなかったが、物資輸送車に乗れたのなら偽りではないだろう」
その声を聞いた男たちが、黙って道を開ける。
ラグたちの前に出てきたのは背が高い細身の男だった。
まだそんなに歳は取っていないだろうが、その眉間には深い皺が刻まれ表情も疲れきったものであるため、見た目以上に老けて見える。
「この基地で副司令官を務めるセルヒオだ。肩書上は、な」
セルヒオと名乗った男は自嘲気味な笑みを浮かべながらラグたちを一瞥すると、ガウディへ視線を向けた。
「それで、そちらのご老体はどちらさまかな。どんなに若く見積もっても学生とは言えないほどお年を召しておられるようだが」
「俺はドルテアの町の代表としてこの基地に魔法使いの派遣を頼みに来た。町が魔物に襲われてたところを坊主たちに助けてもらったんだ。それと、こっちの生意気そうな顔の娘は孫だ。学園の生徒じゃない」
「ははは、お孫さんをお連れとは。こんな僻地までご観光ですか?随分と平和ボケしたご老人のようだ、怪我をする前に立ち去った方が身のためですよ」
「……頭きた!黙って聞いてれば、なによそれ!あんた初対面の相手に……あっ、ちょっとなによ!離しなさいよ!」
初対面でかなり辛辣な物言いのセルヒオにアーヒンが食ってかかろうとするが、間に割り込んできた男たちに腕を掴まれる。
「ドルテアの町から来たということは平民だな。そちらの用件はあとで聞こう。お前ら、このご老人たちを丁重におもてなししておけ」
「いたっ、痛いわね!離しなさいよ!あたしたちに何するつもりよ!」
「落ち着けアーヒン。別にどうもしねえよ、お前が暴れるから困ってるんだ。俺たちがいたら坊主たちの邪魔になるから大人しくしろ」
がむしゃらに暴れるアーヒンを抑えながら、ガウディが数人の男たちと発着場から出ていく。
ラグたちを取り囲んでいた他の男たちも三々五々散っていった。
「セルヒオさんでしたわね?貴方はどこの家の方ですの?先程の野蛮な方々にも、目上に対する礼儀を教えておいてもらわないと困りますわ」
「そりゃ申し訳ない。なんせ、俺達平民は根っからの野蛮人なもんでね。高貴であらせられる貴族の方々とは性が合わないんですわ」
「なっ……!?貴方、平民ですの!?基地の副司令官が平民!?」
「なにか問題でも?」
副司令官が平民であることに驚くリディアーナに軽い調子で返された言葉は、それ以上何事も言わせないと言わんばかりの圧力があった。
セルヒオの目は会った時から一度も笑っていない。
「……さて、どんなに気に食わない貴族どもでも客人は客人だ。司令官室までご案内しようか」
口角を吊り上げてリディアーナの方を見てから発着場の出口へ向かうセルヒオ。
ラグたちも黙ってついていく。
ラグもリディアーナほどではないが、セルヒオの物言いや先程の男たちの態度に対して思うところはあった。
恐らく他の面々も同様だ。
プライドの高いリディアーナはもちろん、温厚なミリアですら僅かとはいえ眉が動いていた。
それほどセルヒオの口調には侮蔑の感情がありありと感じられたのだが、そのことについて言及はしなかった。
いや、できなかった。
そうしてしまえば、まずいことになる予感があった。
男たちに取り囲まれていた時はもとより、基地の中を歩いている今ですら刺すような敵意をありとあらゆる方向から感じている。
顔を動かさずに視線を向けた先にいるのは、人、人、人。
この基地にいるほとんどの人間が、ラグたちに敵意を向けていた。
中には女性やまだ小さな子供もいる。
彼らの表情を見るに、敵意とは言っても憎しみとすら言えるような激しいものから怯えや忌避感と言った消極的なものまで様々のようだが、ほぼ例外なくラグたちの方を見ている人々は悪感情を抱いていた。
当然、その中には魔物であるスルトに対する恐怖もあるだろう。
だが、それだけでは説明できないほどの敵意をラグは感じていた。
セルヒオに連れられて基地の中を案内されているというのに、晒し者にされているような気分だった。
「『おいマスター……こりゃあどういうことだ』」
ラグたちと同じく無言で歩いていたスルトが念話で話しかけてくる。
「『最初はオレの姿に怯えてるのかと思ったが、どうもそうじゃなさそうだ。オレに怯えてる奴も確かにいるが、それよりもお前たちを睨み付けてる奴の方が多い。魔物よりも人間の方を敵視するなんて普通じゃねえぞ』」
ラグもスルトの方に顔を向けずに応じる。
「『そうだね……。たぶん、僕たち個人と言うより貴族という存在に対して敵意を抱いているんじゃないかな。僕たちはここに来るのは初めてだし、こっちに注目してる人たちも僕らの顔というより服装なんかを見て顔色が変わっているような気がする』」
「『はぁん……ま、権力者が恨まれるのはどの世の中でも仕方ないことだろうが、それにしてもこれは尋常じゃねえな。明らかに度が越えてる。いつ爆発するかわからねえ爆弾に囲まれてる気分だ』」
「『僕もそう思うよ。少なくとも、ここの司令官は中央から任命された貴族のはずだ。まず、その人に会ってこんなことになってる理由を聞こう。それまでうかつな行動はできない』」
内心の緊張を気付かれぬよう、努めて冷静を装いながら基地内を歩く。
いくつか階を上がったあと、一つの扉の前でセルヒオは立ち止まった。
「ここが司令官室だ。あとは勝手にしろ」
「案内していただき、ありがとうございます」
「仕事だ。お前らに礼を言われる筋合いはない」
礼を言うミリアにそれだけを吐き捨てるように言うと、セルヒオは立ち去った。
「……いったい、どうなっているんですの」
「……セルヒオさんの態度を含め、貴族に反感を持っている程度では説明できませんね。あとで粛清を受けるかもしれないと恐れる様子がありません」
「……話を聞いてみるしかないだろう」
全員、考えていることは一致しているようだった。
ラグが扉に近づきノックする。
少し間があってから入室を許可する声がかかる。
扉を開けて中に入ると、ところ狭しと積まれた書類がまず目に入ってきた。
正面にある机の上はもちろん、その周囲の床にもうず高く積み上がっている。
司令官室という名前から想像していた部屋とは違い、飾り気のない質素な部屋だった。
調度品も執務机を除けば応接用のソファーセットくらいのものだ。
そのソファーセットの机の上にも書類が大量に積み上げられている。
全員部屋の中に入ったところで執務机の書類の山が動き、眼鏡をかけた男性が顔を出した。
「あ、あれ、見ない顔だね……そ、それに、魔物?なんで魔物がここにいるんだい?危険なんじゃ?」
男性はスルトに気付くと肩をビクリと震わせ、不安そうにラグたちを見た。
驚いた顔で発せられた自信のなさそうな声に、ラグはこの異常な状況の原因を垣間見た気がした。
基地を統括する立場である司令官がこれでは、平民たちの増長を抑えられないのも無理はない。
そう思ったが、それを言葉にすることはなく名乗りをあげる。
「レール魔法学園から軍務実習で派遣されてきました、ラグ・デオルフです。司令官にご挨拶に伺いました。こちらの魔物は僕の従魔ですので危険はありません」
「同じく、レール魔法学園から派遣されたダンタール・ベンサムです」
「ミリア・レインダートです」
「……リディアーナ・レゼンウッドですわ」
四人が順番に名前を名乗る。
「『スルト、あまり精神的に強そうな人じゃないし、話を拗らせたくないからしばらく黙っててもらっていいかな』」
「『それは構わんがマスター、話がちげえぞ。男じゃねえか。あの写真の美人は誰だったんだよ』」
「『ああ、学園で見せた写真なら僕の母さんだよ』」
「『母っ!?』」
「あ、ああそうか、学園の軍務実習か。も、もうそんな時期なんだね。最近は派遣されてくる人達がいなかったから忘れてたよ。ぼ、ボクはクラット・サンファン。よ、よろしくね」
四人が名乗ってから、男性も慌ててどもりながら返事を返す。
なんとも頼りない印象だが、まずはこの基地の異常な状態の理由を聞かねばならない。
「司令官、不躾な質問で申し訳ないのですがこの基地はどうなっているんですの?平民たちの教育が行き届いていないように見受けられましたわ」
貴方のような人が司令官では、それも当然かもしれませんけど。
そんな心の声が聞こえてきそうなくらいリディアーナの顔は不機嫌だった。
まぁ気持ちはわかる、ラグもこの司令官に対しては似たような気持ちだ。
人類の生命線とも言える重要な基地の司令官が、こんな人物でよいのか。
そう思わざるを得ないほど、クラットという人物は上に立つものとして必要なものが欠如しているように思えた。
だが、そのクラットは先程よりも驚いたような顔をしたあと、ぶんぶんと顔を振った。
「え、えぇ!?ぼ、ボクは司令官じゃないよ!司令官なんて畏れ多い!ぼ、ボクはただの司令官補佐だよ!」
「……司令官補佐?」
「では、本当の司令官はどこに?」
「あ、それは……」
「ちょっとぉ、うるさいわよぉクラットぉ~。眠れないじゃないぃ~」
クラットが何か言おうとした時、遮るように別の声が部屋に響く。
その声は甘ったるい女性の声だった。
クラット以外の全員が声の主を探して視線をさまよわせる。
「あ、司令官、起きたんですね。お客さんですよ。レール魔法学園からの軍務実習生だそうです」
「あらぁ~?軍務実習生なんて久しぶりねぇ~。まだ退学せずにやって来るような命知らずの子がいたんだぁ~」
クラットの視線を追ってソファーの方へ目を向けると、背を向けている方のソファーから女性が身を起こしてこちらを向いた。
そしてその女性は―――――何も服を着ていなかった。
「えっ」
「!?」
「なっ!」
「………………」
「『デカっ!?』」
あまりの光景に固まるラグたちに、寝起きのぼんやりとした顔でヘラヘラ笑いながら女性は言った。
「ロストエデン前線基地の司令官、マルティナ・ペリショルよぉ。よろしくねぇ、坊やたち」
 




