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崖っぷちの魔法使い  作者: 地雷ブルー
30/46

夢現

「――――なんですか、人の子よ」


天使が声を発する。


それは、ラグの声に反応したゆえなのか。


それとも、忌むべき魔物が消滅したからなのか。


ともかく、初めて発せられたその声は、天使に相応しい荘厳さと清廉さが感じられた。


「邪悪な魔物は滅せられました。それでもまだ、私へ頭も垂れずに、不躾な視線を投げ掛ける理由の説明ですか?」


「……………………」


そう。


スルトは消滅した――――――ように見えるだろう、天使から見た場合には。


普通のスケルトンならば、確かに消滅している。


いくら人語を解そうと所詮はスケルトンだ。流石に塵も残さず消し飛ばされれば死は免れない。






だが、スルトは違う。


ラグが魔力を提供している従魔である。


ラグという存在を依代にしているスルトは、例え体の99%が消し飛ばされようとも、残りの1%に魔力を与えれば全身を再生できる。




ラグは、万が一の事態に備えてスルトの体の一部を別の場所に保管していた。


1つはラグの懐に、さらにもう1つを学園の自室に。


ごく小さな骨の欠片で復活のために必要な魔力も相当な量だが、その微小な骨の欠片さえあればスルトは復活できる。


最弱の魔物スケルトン、その最大にして唯一の長所。

往生際の悪いとまで言える不死性である。





天使は、スルトが従魔だとは知らない。


だから、スルトは既に消滅したと思っているだろう。


ゆえに、これからされるラグの問いかけは理解に苦しむはずだ。


それでもあえて、ラグは問いかける。















「天使様。あの魔物の言っていたこと、天使様にも思い当たる節があるのではないのでしょうか。少なくとも僕には、そう見えました」

















空気が質量を増す。


スルトの消滅によって弛緩しかけていた部屋の空気が凍る。


天使は、信じられない言葉を発した者へ向けて声を投げ掛ける。




「――――それは、私たち天使が、魔物にすら糾弾されてしかるべき存在だと。そう言っているのですか?」



温度の下がった天使の視線を受け、しかしラグは臆することなく首を降る。


「いえ、そうとは言っていません。ただ、天使様があの声に心動かされているのを見て、そう思っただけです」


「――――私が、心を動かされた? 魔物ごときの戯れ言に?」


天使の純白の翼が、ゆっくりと開く。


それを視認しながら、ラグは言葉を続ける。


「……僕は、天使様というのは超越した人格を持つ絶対的な存在であると思っていました。ですが、先程の叫びに心を揺らされた天使様を見て、その考えを改めました。天使様もまた、僕たち人間と同じように考え、時に感情に任せた行動を取ることもあるのだと」


「――――今すぐ、その考えを訂正しなさい。我々天使は、神のご意志に従い、自らの感情や心というものは持たず、神の御威光を知らしめるためだけに行動します。決して、貴方たち人の子らに推し測れるほど容易い存在ではありません」


「いえ、僕にはとてもそうは思えません。現に今、天使様は感情的になっている。今言ったことは、たかが神殿に迷いこんできた人間にする話ではないはずです」


「――――――――」


天使は無表情のまま感情を表すことはないが、その翼は苛立たしげに羽ばたきを繰り返していた。


今はまだ大丈夫だが、もう少し強くなれば再びあの衝撃波が襲ってきそうな威圧感を感じる。


「――――確かに口が過ぎたことは認めましょう。ですが――」


「それともうひとつ」


あえて遮るように言葉を発するラグ。


天使の眉が僅かに上がる。


「僕は、あの魔物とは違い、庇護の対象であった。そうですよね?」


「――――ええ、そうですね。現在もそうであるかは別として、貴方が言葉を発するまでは庇護の対象であったことは確かです」


「それならば」


一度言葉を切り、天使を見つめる。


「それならば、何故天使様は私ごと魔物を滅しようとしたのですか?」


「――――――何を」


「あの場には、僕とあの魔物の二人がいました。最初の衝撃波は、僕があの魔物と話していたから、すぐ隣にいたから共に吹き飛ばした。それで説明がつきます。ですが、その後は違う」


天使は口を挟まない。


ラグはとうとうと話し続ける。


「あの魔物が、天使様に突っかかっていって、それを貴女は何度も衝撃波で吹き飛ばした。…………何故、わざわざ何度も吹き飛ばしたのですか? ただあの魔物を滅するだけなら、天使様が聖なる魔力で薙ぎ払えばそれでいい。いや、近付いてくるのを待ってから至近距離から衝撃波を浴びせるだけでも良かったはず。でも貴女はそれをしなかった。むしろ、近付かせたくないかのように、徐々に威力を強めていった。まるで、その言葉をそれ以上聞きたくないと拒絶するかのように」


「――――――――――」


「結果、僕もその衝撃波を受け続け、危うく命も失うところでした。僕が魔法使いでなければ、魔力で身を守れないただの人間であれば、間違いなく命を落としていたでしょう」


「――――それで、貴方は何が言いたいのです」


反証ではなく、問いかけ。


仮にそうであったとして、お前は何を求めるのか。


完全に庇護の対象から転落した者へと、天使からの最後通牒。


それに対してラグは真っ直ぐに答えた。
















「もし、スルトの言うことが事実であったとして、それを天使様が感情のままに否定されたのならば。その非を認め、スルトにちゃんとした言葉を返していただきたい」
















亀裂が入る音が、聞こえた気がした。


能面のごとく動くことのなかった天使の顔が、憤怒に歪む。




「天使である私が、魔物に、言葉をかける? その主張を、受け入れた上で?」


「その通りです」


「――――――ふざけるなッ!!!!」



仮面が剥がれ落ち、内に秘めた激情が顕になる。


ラグの意図した通りに、天使としての仮面を捨て去り声を荒げる。



「黙っていれば貴様、不敬にも程がある!! 今すぐ魂ごと――――」


「いい加減にするがよい、ベアトリーチェ」



新たに響く第三の声。


その声を聞いた天使の表情は怒りから苦虫を噛み潰したような物に変わり、ラグは声の主を探して視線を左右に飛ばす。



「いくら気が立っているとはいえ、あまりに酷い。お主、もしや既に堕天しているのではあるまいな」



いつの間にか天使の斜め後ろ――――ちょうど翼の影になるような位置に幼い少女が立っていた。


「そんなわけがないだろう! 私を侮辱するのか!」


「それくらい酷いんじゃよ今のお前さんは。いいから退け。これ以上、醜態を晒すでない」


「しかし…………!」


「『しかし』、なんじゃ。 お主、妾に意見できる立場かどうか考えるんじゃな。今すぐ、この世界から追い出してやってもいいんじゃぞ?」


「――――くっ!」



少女の冷たい視線に射抜かれた天使は、苦々しげに呻くと荒々しく踵を返す。


そして、輪郭がボヤけはじめ――――まるで、何もいなかったかのように消え失せてしまった。



「やれやれ、ここまでのじゃじゃ馬だとはの。こんなことなら、最初からミカエラやオーディンにつきだしておくべきじゃったか」



少女はため息をつくと、ラグの方へと向き直った。



「さて、そこな人間。どうやら正気を保っておるようじゃな? せっかくあやつを退かせてやったんじゃ、別に取って食ったりはせんからそう睨むでない。気軽にタマモちゃん、とでも呼ぶがよいわ」




タマモと名乗る少女がそう言っても、ラグは言葉を発することはできなかった。


いや、それどころか身動きすら出来ない。


金縛りにあったかのように、ラグは身じろぎひとつせず、ただ息を殺していた。



「ずいぶんと煽っておったようじゃが、天使が己の信じる偶像と違って失望したか? なあに、案ずるでない。天使はちゃんと人を救うぞ。あやつが少々変わり種なだけじゃて」



ラグは返事をしない。


なぜなら、年齢は十にも満たないだろうと思われる少女に、天使に対するよりも大きな恐怖を抱いていたからだ。



恐怖。

そう、恐怖だ。



天使に対して感じるのは、どちらかというと畏怖に近い。


自分よりも高位の存在に対する、一種の敬意だ。





だが、あの幼い少女に感じるのは畏怖ではない。


自己の存在を存続させるために生物が生まれながらにして持っている本能が、警告を発しているのだ。


『目を見るな』。

『声を聞くな』。

『視界に入れるな』。

『一挙手一投足、何一つ認識してはいけない』。


天使を見たときとは比べ物にならない。

人としての本能が、あの少女を認識することを全力で拒否している。





だというのに、ラグはその少女から目を離さなかった。


本能を理性で抑え込んだ、のではない。


目を離したその瞬間、自分の存在が消えてしまうような、そんな恐怖を感じていたからだ。


目を離せば、さらに悪いことが起こる。そう思えてならなかった。




「……ふむ、精神が本能を抑え込んでいるわけでもなさそうだの。なぜ妾を目にしても正気を保っていられるのやら」



疑問符を浮かんでいそうな表情で、首をかしげるタマモと名乗る少女。


しかし、その目はラグの身体を舐め回すように観察していた。



「……ちょいと身体を弄られた跡はあるが、魂や存在の根幹に食い込むほどではなかろ。んんー、他に考えられるとすれば………………む?」



ブツブツと何事かを呟いていたが、しばらくすると声をあげて笑い始める。



「カカカカカカ! そうか、お主召喚士か! なるほどのぉ、確かに召喚士ならば上位の存在を目の前にしても耐えられるだろうよ。しかし、久々の大物じゃな。ここまでのモノを持っとるのはセイメイやドウマン以来じゃ」



ひとしきり大笑いした少女は、ふと真顔になってラグを見つめた。


やがて、ニタリ、と口が避けんばかりに吊り上がる。



「――――気が変わった。今、この場で喰ろうてやろうか」



冷酷な声音と共に浮かんだその笑顔を見て、恐怖はある種の確信に変わった。


目の前にいる存在は、人間に害を為す存在であると。


何人たりとも、その毒牙から逃れることはできない。


まさしくラグは、蛇に睨まれた蛙のようだった。


もっとも、ラグを蛙とするならば、睨んでいるのは蛇などというチャチな捕食者ではないが。



「……カカ、冗談じゃ。取って食ったりはせんと言ったろうに。久々に面白そうなモノを見つけたんじゃ、ここで喰ってしまってはもったいないわい」


そう言い、少女はラグの胸の辺りへと視線を向けた。


面白いと思う部分がなければ、今この場で喰われていたのだろうか。


恐怖で麻痺する頭でラグはぼんやりとそう思うのが精一杯だった。



「まあ、これ以上妾を見続けて精神が壊れてもつまらぬ。さっさと帰るがよい」



その言葉が耳に届いた瞬間から、視界が徐々にボヤけはじめる。


人と物の輪郭も曖昧になり、やがて黒一色に染め抜かれ、意識を手放す直前、声が聞こえた。



「ゆめゆめ気を付けることじゃ。望むモノと望まれるモノの違いがわからなければ、やがてその心は狂い始める。英雄だのと呼ばれておった、どこぞの阿呆のようにな」



最後に聞こえたその声は、それまでのからかうような口調ではなく、まるで懐かしむような、寂しさを感じさせるものだった。

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