救出
飛ぶようにして斜面を駆け降りる。
頭上を青と赤の信号弾が光を放ちながらゆっくりと進むのに合わせ、ひた走る。
事態は一刻の猶予もなく、しかしラグ一人ではとても打開できるものではない。
だが、それでもラグは躊躇うことなく駆け続ける。
「見えた……!」
やがて肉の壁に囲まれた建物が見えてくる。
あの中には何人の村人がいるのだろうか。
村の全員か、それとも少数の生き残りか。
今のラグには知るよしもないが、どちらであろうと護りきらねばならない。
「ふっ…………、っ!!」
浅く息を吸い込み、既に超速移動により疲労困憊の体に再び魔力を漲らせ、跳躍する。
瞬間、脚の方からブチブチと嫌な音が聞こえたが、なんとか教会を囲む魔物たちを飛び越え、敷地内に着地することに成功する。
「………………っ!?」
敷地内で侵入した魔物と戦っていた男――――隻腕の老人が反射的に剣を向けてくるが、ラグが生きた人間とわかると声を張り上げる。
「何者だ!」
「レーン魔法学園所属、ラグ・デオルフ! 危急の事態と見受け、助力に参りました!」
「学園の生徒か! ありがたい!」
そう言いながら老人は目の前の魔物を切り捨てる。
その所作は洗練されていて、ただ者ではないのは一目瞭然だった。
だが、リビングデッドは体が真っ二つになりながらもなお襲いかかってくる。
ラグも手近なリビングデッドと相対して剣を構える。
「ラグとやら! 魔法は何が使える!」
「身体強化と活性魔法のみです!」
「活性魔法か! それはまた珍しい適性を持っているものだ! だが、今この場ではあまり助けにならんな!」
どこか余裕すら感じられるさまで言葉を叫び返してくる老人。
絶体絶命の危機だというのにそれを感じさせないほどの重厚な戦意を纏っている。
間違いなく歴戦の勇士だ。
そうラグは直感する。
思わず口調を改めながら、老人に負けじとラグも声を張り上げる。
「今、共に来た仲間が町の入り口で戦っています! 彼らは強力な属性魔法を扱えます! 彼らが入り口を突破するまで持ちこたえれば、あるいは!」
「それは重畳! あいわかった! このガウディ、人生最後の華を咲かせて見せようぞ!」
ガウディと名乗る老人は呵々と豪快に笑いながら体が真っ二つになったリビングデッドを再度横凪ぎに両断する。
体を四つに分かたれてしまったリビングデッドは流石に立っていられずに地面へと倒れ伏す。
だが、四つになった体はなおもガウディへとにじりよろうとしていた。
「まったく! 切っても切っても死にやせん! これだからアンデッドは嫌いだ!」
鼻を鳴らし、苦々しげに呟くガウディ。
鮮やかな太刀筋で気付かなかったが、どうやら足を負傷しているようで右足を引きずっていた。
左腕がなく右足を負傷した凄腕の戦士と、ただの召喚士である少年。
今にも門が壊れて魔物が雪崩れ込んできそうな絶体絶命の状況で、こちらの戦力はあまりにも心許なかった。
だが、ラグは臆することなく剣を構える。
たとえこの場で自分が死のうと、そのせいで家の再興の道が閉ざされようとも。
ラグに、隻腕の老人と教会の中にいるであろう人々を見捨てるという選択肢はない。
両親に自分が騎士の末裔だと教えられてから、いや、この世に生まれ落ちた瞬間から。
ラグの剣は、力ない人々を護るためにあるのだから。
「来い!」
自分自身へと発破をかけるように、一喝する。
ラグの目の前には二体のリビングデッド。
ラグの左前方、二歩で詰められる距離に一体。
右方、十歩ほどの距離にもう一体。
あの老人はそのさらに先の方で三体のリビングデッドを相手に立ち回っている。
この二体は、なんとしてでも仕留めなくてはならない。
リビングデッドたちはいきなり空から降ってきた闖入者に反応できずにいたようだが、ラグの殺気を受けて敵と認識し、歯を剥き出しにして唸る。
リビングデッドは危険度ランクで言えばF程度だが、なにしろ数が多い。
加えて、ラグはそれまでの超速移動でかなり疲労していた。
囲まれるのはまずい、そう判断したラグは近い方のリビングデッドへと一気に距離を詰めた。
「はっ!!」
裂帛の気合いと共に剣を振るう。
袈裟懸けに両断しようとした剣閃は、しかし大きく逸れて掠りすらせずに空を切った。
「(くっ……腕が……!?)」
超速移動による疲労はラグの想定を遥かに上回っていたようで、身体強化と活性魔法による強化でも補いきれないほどの負荷が筋肉の震えという形で出てきていた。
一度自覚すると、腕のみならず脚までも鉛の棒にでもなったかのように重く、言うことを聞かない。
そして、一息に両断するつもりで切りつけたので踏み込みが深すぎる。
そこは既にリビングデッドの射程圏だった。
「う、ぐ……!」
だが、脚が動かない。
疲労を認識した脚は体勢を保つだけで精一杯だった。
「グオオオォォォォ!!」
せめて降り下ろした剣だけでも引き戻そうとしたが、間に合わずリビングデッドに体当たりされて押し倒され、組みつかれる。
そして、肩に走る激痛。
「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ミチミチと、ラグの顔のすぐ横で聞こえる肉の噛み潰される音。
あまりの激痛に視界が明滅する。
そして、一際大きな音が聞こえた。
ブチッ、という水気を帯びた音とともにリビングデッドの顔が離れる。
その口には、赤黒く光る肉塊が咥えられていた。
「ぎっ…………、っ!!」
絶叫しそうになる喉を必死に押さえ込み、無事な左手でリビングデッドの顎を掌打し上半身をはね上げると、足を折り曲げて下半身のバネを使って体の上から吹き飛ばす。
力の入らない右腕の激痛に耐え、地面を転がるリビングデッドの首へと剣を突き刺す。
が、そこではっと我に返る。
「(しまった、リビングデッドは首を落としても意味が……!)」
激痛で判断力が鈍ったか、人型の急所である首を無意識の内に狙ってしまった。
ラグは自分の判断ミスを呪い、再び距離をとろうとするが、そこで異変に気づいた。
「…………オオオオオオォォォォ…………」
目の前のリビングデッドが動かない。
いや、動かないのではなく、動けないのか。
口や眼の腐り落ちた眼窩、首の切断面から煙のようなものを立ち上らせ、全身を痙攣させていた。
「な、なんだ……!?」
ラグはわけがわからず驚きで動きを止める。
ラグは本当に活性魔法と身体強化以外は使っていない。
「坊主! 無事か!」
リビングデッドと向かい合う老人が目線だけを向けて声をかけてくる。
三体同時に相手にするのは流石に厳しいのか、老人も息があがっているように見えた。
「は、はい! 大丈夫です!」
本当は肩の激痛で右腕に力が入らないのだが、言ってもどうにもならない。
「そりゃ破邪の聖印か! ずいぶんな業物じゃねえか! そっち片付けたら手伝ってくれや!」
「破邪の聖印…………!?」
驚いてラグが見ると、確かにうっすらと刀身を覆うように複雑ながらも整然とした魔法式が刻み込まれていた。
破邪の聖印とは、物理攻撃の効かないアンデッドと死霊に対してダメージを与えるための付加魔法の一種だ。
破邪の聖印が刻まれた武器はアンデッドなどに有効な聖属性の魔法属性を帯び、攻撃した際に非常に高い威力を発揮する。
もちろん、付加にはその効果に見合うだけの労力が必要とされる。
相当な凄腕の鍛冶職人に特別な材料を渡して作成時に刻印そのものを刻み込んでもらうか、希少な聖属性の魔法の使い手に後から付加してもらうしかない。
どちらにせよ、そんなことを出来るのは数えるほどしかいない超一流の者たちだけで、費用は莫大なことになる。
当然、貴族の、それもヘールバズやロッテンハイムのような大物たちにしか行えないような額だ。
それが今、ただの没落貴族にすぎないラグの剣に刻まれている。
「…………ありがとうございます、エルフィナさん……」
剣を贈ってくれた赤髪の美女を思いだし、何度目になるかわからない感謝の言葉をこぼす。
剣を地面から引き抜き、残る一体のリビングデッドに向き直る。
相変わらず右腕は動かないが、破邪の聖印があるのならばただ斬りつけるだけでいい。
今のラグでは満足に斬りつけられるかも怪しいところだったが、都合の良いことにリビングデッドが雄叫びをあげて正面から突っ込んできた。
それならばと、ラグは左手で剣を体の正面に地面と水平に構える。
知性のかけらもないリビングデッドはそのまま突進し、深々と腹部に剣を突き刺されることとなった。
「お、っとと……」
加減すらしなかった突進は想像以上の勢いで、ラグはたたらを踏み、足元の門に躓いて倒れこんだ。
「(いてて、なんでこんなところに門が……門?)」
そう、門だ。
山の上から見ただけでも半壊してリビングデッドが群がっていた、門。
そのことを認識したかどうかのうちに、背後から無数の腕が伸び、ラグの体を肉の海へと引き込んだ。
ああ、死ぬのか。
どこか他人事のように思ったラグに肉を貪ろうとする大量の死人が群がり――――。
そのほとんどが焼き尽くされた。
わずかに残った死人の隙間から華奢な腕が伸び、ラグの体をかっさらう。
同時に、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。
「ダンタールさん!!」
「任せろ! 『走れ雷撃!【サンダーボルテクス】!』」
周辺に残っていた大量のリビングデッドが雷によって消し炭になっていく。
ラグを腕の中に抱えながら油断なく周囲に目を配っていたミリアだったが、魔物の気配がないことを確認するとラグへと心配そうな視線を向ける。
「ご無事ですか、先輩」
「ミリア……助かった、よ……」
「間に合ってよかったです。信号弾を見て殲滅から突破に切り替えなければ危ないところでした」
「はは、こんなざまだけど、一応役に立てたってことかな……」
そう言って一人で立ち上がろうとするが、足元がふらつき再び倒れ込みそうになる。
「せ、先輩! 酷い怪我なんですから無理しないで!」
「大丈夫……このくらい、かすり傷だよ」
「どこがかすり傷なんですか!? どう見ても重傷ですよ!」
「死にさえしなければ、かすり傷だよ……生きてさえいれば、どうとでもなる」
「…………死んでしまうかもしれなかったのに、なんでこんな無茶を……私たちに任せてくれればよかったのに……」
「そう、だね……確かに、僕が来た意味はなかったかもしれないけど……」
おっかなびっくり、といった様子で教会の中から出てくる人々をその視界におさめながら、ラグは言う。
「それでも、国民を、護るべき人を見捨てるような真似だけは…………できない、かな」
「っ…………」
言葉を失うミリアをよそに、ラグは教会の方へと歩き出そうとする。
「さ、行こう。怪我人がいるかもしれないし、そうなら早く助けてあげないと」
「今一番の怪我人が何を言ってるんですか!?」
「いや、死にさえしなければかすり傷で……」
「わかりました、わかりましたから! 先に先輩を手当てしますからじっとしててください!」
そう言って有無を言わさぬ勢いでミリアの膝の上に寝かされる。
仕方なしに大人しく手当てを受けていると、あの老人が騒いでいる声が聞こえてきた。
「ガウディさん! お孫さんが心配な気持ちはわかるけどその怪我じゃ無理だよ!」
「離しやがれってんだ! 俺が探しにいかなきゃ誰が探しにいくってんだよ!」
ラグはじっと耳を傾けていたが、おもむろにミリアへと声をかける。
「ミリア」
「ダメですよ」
「ミリア」
「……ダメですよぅ……」
「……サイアク…………」
薄暗い森のなか、ドルテアの町に住む少女アーヒンは目の前で腐臭を漂わせてにじるよる魔物を睨み付けながら、呟いた。
本当なら、こんな魔物は町を守ってる軍の人間が倒してくれるはずだった。
だが、その頼るべき軍の人間は緊急事態だとか言って基地の方へ帰ってしまった。
その数日後に、これだ。
あてにならないどころの話ではない。
「サイアク!」
今までは何があろうと自分の力だけでなんとかしてきた。
一人になってから、自分に差しのべられた手は全て振り払ってきた。
だが今、自分一人ではどうしようもない事態に直面し、自棄になった少女は叫ぶ。
「ちょっと遊びに来ただけなのに! 軍の人間だからって偉そうにふんぞり返ってたアイツが帰っちゃうからこんなことになっちゃったじゃん! 町のみんなだって死んだ! おじいちゃんだって死んだに決まってる!」
アーヒンの祖父は退役軍人でとても強い。
でも、もういい年だ。
アーヒンが森の奥から出てくるのを見た魔物の大群には負けてしまう。
やぶれかぶれの少女はなおも叫ぶ。
「だから魔法使いは嫌なの! 汚くて、卑怯で、なんでもかんでも奪っていって! 私たちにはなぁんにもしてくれないくせに!」
アーヒンは魔法使いが大嫌いだった。
軍で魔法使いをやっていた両親も大嫌いだった。
いつも家にいなくて、毎年欠かさず帰ってくるのなんてアーヒンの誕生日くらい。
そして、いつの頃からか誕生日にすら帰ってこなくなった。
だから、アーヒンは魔法使いが大嫌いだった。
魔法も、魔法使いも、軍も、魔物も、大嫌いだった両親を帰ってこれなくした全てが大嫌いだった。
自分を寂しくしたものがみんなみんな大嫌いだった。
「魔法使いなんて大っ嫌い!!!!!!」
大口を開けて目の前に迫る魔物の顔を射殺さんばかりに見詰めながら、ひとりぼっちのアーヒンはそう叫ぶのだった。
だが、訪れるはずの死は訪れない。
自分の目の前で動きを止めた腐った魔物に怪訝な目を向けていると、やがてその首がずるりとずり落ちる。
「いっ……!」
いくら魔物とはいえ、体は元々人間のものだ。
思わず口を押さえるアーヒンの目に、魔物の向こうで剣を振りきった体勢の少年の姿が飛び込んできた。
ほんの一瞬前まで死ぬと思っていた少女は、自分が助けられたということを自覚することもなくぶっきらぼうに問う。
「……誰よ、あんた」
声をかけづらそうにチラチラとこちらを見ながら剣の血を払っていた少年は、びくりと身を竦ませると、人の良さそうな苦笑いを浮かべながらアーヒンへと向き直る。
「あははは……えーと、その……」
アーヒンはとても気まずそうに頭をかく少年をぼんやりと眺めながら、右肩に包帯が巻かれているのに気がつく。
包帯の上からでも血が滲んでいて、既に力なく垂れた右手の指先から鮮血が滴っていた。
戦いという言葉とは無縁の少女でも一目でわかる酷い怪我のようだったが、少年はその痛みなどおくびにも出さずにアーヒンへと笑いかける。
「えっと……君は大嫌いだろうけど、助けに来たんだ」
「…………魔法使い?」
アーヒンはぶすっとした顔のまま、内心とても驚いていた。
魔法使いといえば、おじいちゃんたち以外は意地が悪くて陰険で、ずるっこくて自分のことしか考えてないようなイヤーな顔で笑う奴らだと思っていたのに。
目の前の少年は、とても優しく笑うのだ。
まるで、誕生日に帰ってきてくれた時のお父さんとお母さんのように。
「そう。ただの、落ちこぼれの魔法使いだよ」
そう言って差し出された手。
アーヒンは今まで振り払ってきたその手を見つめ――――今度はゆっくりと掴むのだった。




